原町宿はらまち(旧:筑後国山門郡原町村 現:福岡県みやま市山川町原町)

概要

大悲山甲山寺多福院の山門- 左右方向の道は国道443号線(薩摩街道)
大悲山甲山寺多福院の山門- 左右方向の道は国道443号線(薩摩街道) 

当宿場の構口・番所などの出入り口の場所は判然としない。 お茶屋跡多福院あたりが宿場の中心部分であったようである。

下のページによれば、ここには御茶屋・人馬継所(馬16疋が置かれた)・原町馬役場(牧馬養馬場に関する事業事務を司る役所)などがあったという。 また、原町小町女郎屋が、お茶屋付近にあり、宿場の宿屋を営業していた。屋号を桜屋という。

参考: [W]薩摩街道をゆく (②薩摩街道・みやま市編)

ここでは、原町宿から南関宿までのルートを記載する。 このルートは坂などはほとんど無く楽に歩ける。 但し、街道沿いにはコンビニ・食堂などはほとんど無く、事前に弁当などの準備が必要。

経路

西楽寺 標高: 28.2m MAP 4km以内の寺社検索

山門
山門 
門前の薩摩街道 - 南関宿に向かって撮影
門前の薩摩街道 - 南関宿に向かって撮影 

西楽寺は松林山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。

文化9年(1812)伊能忠敬一行が宿泊した寺である。

西楽寺の南隣には真弓山 顕忠寺(日蓮宗)がある。

お茶屋跡 標高: 28.8m MAP 4km以内の寺社検索

ここには原町郵便局がある。そのあたりにお茶屋があったという。 現在はお茶屋の遺構は確認できない。

多福院 標高: 28.3m MAP 4km以内の寺社検索

本堂(向かって左手には多数の石仏が安置されている)
本堂(向かって左手には多数の石仏が安置されている) 
門前の薩摩街道(国道443号線) - 南関宿に向かって撮影
門前の薩摩街道(国道443号線) - 南関宿に向かって撮影 

多福院は大悲山甲山寺と号し、天台宗の寺院である。

本堂前の案内板によれば、毎年旧暦8月17日18日の2日間は、観音様の縁日で賑わった。 肥後・肥前からも参詣が多かったという。

かさ地蔵 標高: 41.8m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵堂
地蔵堂 
地蔵堂前の薩摩街道(国道443線。左手がかさ地蔵) - 南関宿に向かって撮影
地蔵堂前の薩摩街道(国道443線。左手がかさ地蔵) - 南関宿に向かって撮影 

かさ地蔵境内には江戸期に造立された石に線刻された地蔵菩薩像と、この地区の土豪、田尻因幡守種貞の供養塔がある。

はなたれ小僧様 標高: 68.2m MAP 4km以内の寺社検索

はなたれ小僧様
はなたれ小僧様 
お堂から橋を渡った西側を走る薩摩街道 - 南関宿に向かって撮影
お堂から橋を渡った西側を走る薩摩街道 - 南関宿に向かって撮影 

はなたれ小僧様の安置されているお堂はシイノキの大木の根本にある。 ベンチも設置されており休憩には持って来いである。

薬師堂 標高: 76.3m MAP 4km以内の寺社検索

御堂内の荘厳
御堂内の荘厳 
御堂脇の薩摩街道(写真左手の草の生えている土手を登った所に薬師堂がある) - 南関宿に向かって撮影
御堂脇の薩摩街道(写真左手の草の生えている土手を登った所に薬師堂がある) - 南関宿に向かって撮影 

薬師堂内には薬壺の欠落した薬師如来像と数体の頭部のおれた石仏が安置されている。

街道はこの地点前後は昔ながらの道幅のようである。 ここより、明行寺までは上り坂である。

今まで、みやま市内を通過していた街道はここから、湯谷柳河領境石までは大牟田市となる。

明行寺 標高: 75.4m MAP 4km以内の寺社検索

楼門(向かって右手はザクロ)
楼門(向かって右手はザクロ) 
門前の薩摩街道(右手は参道口) - 南関宿に向かって撮影
門前の薩摩街道(右手は参道口) - 南関宿に向かって撮影 

明行寺は浄土真宗本願寺派の寺院である。

[W]薩摩街道をゆく(②薩摩街道・みやま市編)によれば、このあたりは昔は「四箇村湯谷(しかむらゆや)」と呼ばれていた。太古には温泉が湧き出していたという伝説があるという。 参道口の向かい側には藁屋根2階建の旅籠(はたご)が昭和30年代まで残っていたという。

この前後の街道は蛇行している。道幅も狭い。昔のままと思われる。

天満宮 標高: 75.1m MAP 4km以内の寺社検索

一の鳥居(天明3年銘)
一の鳥居(天明3年銘) 
本殿
本殿 
本殿
本殿 
社殿
社殿 
本殿の軒下の装飾
本殿の軒下の装飾 
拝殿の軒下の装飾
拝殿の軒下の装飾 
楼門
楼門 
楼門 - 本殿前より撮影
楼門 - 本殿前より撮影 
楼門内の矢大臣(昭和56年6月の復元銘)
楼門内の矢大臣(昭和56年6月の復元銘) 
楼門内の矢大臣(昭和56年6月の復元銘)
楼門内の矢大臣(昭和56年6月の復元銘) 
社殿前の相撲場(準備中のようである)
社殿前の相撲場(準備中のようである) 
参道
参道 
門前の薩摩街道(写真右手が天満宮) - 南関宿に向かって撮影
門前の薩摩街道(写真右手が天満宮) - 南関宿に向かって撮影 

[W]薩摩街道をゆく(②薩摩街道・みやま市編)によれば、天満宮は当湯谷(ゆや)地区の産土神で、宝暦12年(1762)社殿再建の棟札が保存されているという。 天満宮の社殿は見事な木造建築で保存状態も良好である。 一の鳥居(参道口側)には天明3年(1783)、鳥居の後ろの石柱には安政4年丁巳(1857)の銘がある。 楼門内の矢大臣・狛犬には昭和56年6月の復元銘の札がある。

天満宮参道の途中に地蔵堂がある。

ここより街道沿いに300mほど南下すれば、熊本県との県境である。 その先は南関宿である。 この辺りの道路は久留米・福岡ナンバーの車にまじり熊本ナンバーの車も多数走っている。

、猛暑。当原町宿と南関宿の踏査の予定で福岡市西区の自宅を出発。 天満宮の石段を降りた所で、暑さと空腹の為前進を断念。 帰途につく(写真のタイムスタンプで12時51分)。

湯谷柳河領境石 標高: 74.3m MAP 4km以内の寺社検索

遠景 - 南関宿に向かって撮影
遠景 - 南関宿に向かって撮影 
全景 - 南関宿に向かって撮影
全景 - 南関宿に向かって撮影 
南関宿に向かって右手の領境石
南関宿に向かって右手の領境石 
南関宿に向かって右手の領境石(拡大。逆光ですみません。)。「従是西北筑後国立花左近将監領内柳河札辻ヨリ是迄四里二十町余」
南関宿に向かって右手の領境石(拡大。逆光ですみません。)。「従是西北筑後国立花左近将監領内柳河札辻ヨリ是迄四里二十町余」 
南関宿に向かって右手の領境石
南関宿に向かって右手の領境石 
南関宿に向かって右手の領境石(拡大)。「従是西北筑後国柳河領従柳河札辻四里二十町余」
南関宿に向かって右手の領境石(拡大)。「従是西北筑後国柳河領従柳河札辻四里二十町余」 

この地点は肥前国と肥後国の「国境であった」。現在も福岡県(大牟田市)と熊本県(玉名郡南関町)の県境である。 向かって左手の古い方の領境石の文字はほとんど判読不能である。 右手の新しい方は、存在感のある書体である。 案内板の内容を下に記す。

湯谷柳河領境石

ここにある新旧2本(新しい方が南関宿に向かって右手。作者)の領境石は、江戸時代に筑後国柳川領と肥後国熊本領の国境を示すために建てられたものと思われ、1辺36cmの四角柱の花崗岩で作られています。 3つに折れて中段と下段だけが残っており、現在高は3mです。 表面の文字は、読みにくくなっていますが次のように判読できます。

「(従是西)北筑後国立花(左近将監)領内(柳河札辻ヨリ是迄四里二十町余)」()内は、推定

新しい方は、古い方が折れたため江戸時代末期に取り替えられたものと思われます。 1辺35cm、高さ3.7mの良質砂岩の四角柱材で作られています。 表面には肉太の文字で次のように刻まれています。

「従是西北筑後国柳河領(従柳河札辻四里二十町余)

平成10年3月
福岡県教育委員会
大牟田市教育委員会

十一里木跡 標高:101.9m MAP 4km以内の寺社検索

標識
標識 
標識前の街道 - 南関宿に向かって撮影
標識前の街道 - 南関宿に向かって撮影 

標識の手前は丘の上の平坦な道が続く。両サイドは畑である。 この先は「緑のトンネル」の状態の下り坂である。コンクリートで舗装されてはいるが、昔ながらの道幅のようである。

薩摩街道を歩くによれば、ここより薩摩街道を南下中に街道沿いにある里程は熊本城下の札の辻にあった里程元標跡が基準であるとの事。

大津山阿蘇神社 標高: 67.2m MAP 4km以内の寺社検索

門前は通過してしまいました。

悟真寺 標高: 62.4m MAP 4km以内の寺社検索

門前の薩摩街道(写真右手が悟真寺) - 南関宿に向かって撮影
門前の薩摩街道(写真右手が悟真寺) - 南関宿に向かって撮影 

悟真寺は浄土宗の寺院である。

この先、程なくして南関宿の番所に到着である。