羽犬塚宿(旧:筑後国御井郡 現:福岡県筑後市羽犬塚)
概要
羽犬塚は中世後半にはすでに宿場町として知られており、江戸初期に柳河藩田中家か久留米藩によって整備されたと考えられている。
久留米藩は松崎宿・府中宿と共に「筑後三宿」の一つとして重視され御茶屋が設けられていた。 文化9年(1812)には伊能忠敬一行が利用している。(以上『筑後市の文化財 平成16年度版』より)
参考: [W]薩摩街道をゆく (②薩摩街道・みやま市編)
[W]坊津街道をゆく(③薩摩街道・筑後市編)
近世薩摩街道をゆく 府中宿~羽犬塚宿へ : 筑紫潟の風
薩摩街道を歩こう(府中宿~羽犬塚宿)
ここでは、羽犬塚から瀬高宿迄のルートを記載する。
経路
北構口跡 標高: 18.4m MAP 4km以内の寺社検索
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北構口跡付近には、当時の遺構などは確認できていない。 ここには、枡形構造の道があったようであるが、民家の敷地となっている。
構口両脇には、宗岳寺, 願長寺が当時からあったようである。 北側の防衛の役割も果たしていたのであろう。
国道209号線には歩道橋が架けられている。 その場所は枡形構造を通り宿場内に入った所と思われる。 その西側の橋脚脇の狭い路地の奥に観音堂がある。 この観音様は珍しい坐像である。かなり古いもののようである。その脇にはお地蔵様が立っておられる。
秋葉神社西 標高: 17.5m MAP 4km以内の寺社検索
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鳥居前には六地蔵堂がある。 このお堂内には「羽犬塚六地蔵」と記されている。 この六地蔵は、伝秀吉寄進と言われる宗岳寺境内に安置されているものと 大きさも形もよく似ている。 同じ石工が作成したもののようである。 長期間風雪にさらされたようで、風化が進んでいる。
参道脇の民家の塀には恵比寿像が安置されている祠がみられる。
御茶屋跡 標高: 18.2m MAP 4km以内の寺社検索
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国道沿に羽犬の像、道標、案内板があるだけで昔の遺構は残っていない。 案内板の内容を下に記す。
御茶屋跡
羽犬塚宿場には整備された休泊施設として「御茶屋」が設けられていました。 御茶屋とは大名居城の御殿に対し、遊猟・領国内巡覧などのとき休泊する本陣のことで、久留米藩の直営の施設でした。
豪華な門構え、玄関は唐風造り、式台に駕籠が横付けされ貴賓客は、 そのまま最上の間に案内されるように造られていました。施設の広さは、間口17間余、奥行き28間余の500坪5合で、 更に付属地として691坪余がありました。
建物は平屋建てで四脚門を通って奥に本屋があり、 本屋南の中庭三方を屋根付の土塀が巡り、ソテツ、ツバキカヤ、マキ、ナギが植えられていました。(御茶屋の跡が今の羽犬塚小学校になっています。)
筑後市教育委員会
筑後郷土史研究会
贈 筑後ライオンズクラブ40周年
平成13年3月
六所神社 標高: 17.6m MAP 4km以内の寺社検索
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六所神社の参道は昔ながらと思われる狭い道幅である。 境内には多数の末社、「正平塔」、恵比寿堂、猿田彦大神などが見られる。
正平塔は、本殿に向って右手にある。 案内板によれば、南北朝の南朝方の戦没者の冥福を祈る為に建立された供養塔のことを「正平塔」と呼ぶようである。 和暦「正平(1346-1369)」は南朝方で使用された年号である。 ここには、正平11年(1356)建立(筑後南部、肥後中部にかけて石像を制作した筑後馬篭の大工、藤原助継が制作したと推定されている)のものがあったが、櫛原園(久留米城東北にあった別荘)に移され、現在は所在不明とのこと。 現在ここにあるのは、1844年、久留米藩第9代藩主有馬頼徳が建立したものという。 下段部に刻まれた恵比寿様は良いお顔をされておられる。
恵比寿堂は本殿に向って左手にある。 お堂内には5宇の重厚な造りの石祠が並んだ壮観なものである。 それぞれの石祠には左から「下の町」「春日町」「下町」「中町」「上町」の表示が見られる。 当時の町割りの名であろう。 中でも中町の石祠には「日本最古夫婦恵比寿像(正平12年(1357)建立)」の表示がある。 ご利益は「商売繁盛」「夫婦円満」「縁結び」という。 石祠の中には二体の恵比寿様が一つの自然石に並んで刻まれている。
本殿正面の大楠は良く形の整った樹形をしている。
街道を挟んだ西側には制札場・会所があったという。
南枡形口 標高: 14.9m MAP 4km以内の寺社検索
国道209号線を南下してきた街道はここで右に急カーブする。 南枡形の入口である。
藤島橋 標高: 13.1m MAP 4km以内の寺社検索
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道幅は拡張されていると思われるが、枡形構造が良く保存されている。 枡形の終点の地点は山ノ井川が流れ、藤島橋が架けられている。 橋のたもとには、道標と種田山頭火の 「さろうとして けふもくれたか山頭火」の歌碑がある。
南構口が橋を渡った所にあったというが、その遺構は確認できない。
商家 標高: 16.3m MAP 4km以内の寺社検索
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この辺りは古い町並みが散見できる。
一里塚 標高: 15.8m MAP 4km以内の寺社検索
街道脇左手に「薩摩街道」の同業と松の木が植えられている。(by Google Street View)
道標 標高: 15.6m MAP 4km以内の寺社検索
街道左手脇に御影石製の道標がある。「旧坊津街道(薩摩街道)」銘。(by Google Street View)
郡境石 標高: 15.8m MAP 4km以内の寺社検索
「北上妻郡 南下妻郡」。
文政2年(1819)建立。現在は道路整備などの為、本来の場所より少し離れた所に立っている。(『筑後市の文化財 平成16年度版』より)
この四つ角の済(瀬高宿に向って左手)に立っている。
道標 標高: 14.5m MAP 4km以内の寺社検索
街道左手脇にある。「坊津街道(薩摩街道)」銘。(by Google Street View)
天満神社 標高: 13.2m MAP 4km以内の寺社検索
未参拝の為未稿。
一之塚源平古戦場跡・観音堂 標高: 13.3m MAP 4km以内の寺社検索
尾島公民館前に一之塚源平古戦場跡の石柱と薩摩街道標柱が立っている。平家の落人達は、ここ筑後市へも逃れてきいるが源氏の追討により多数の死者がでたようだ。
恵比寿の石祠 標高: 12.9m MAP 4km以内の寺社検索
天明年間のものという。(by Google Street View)
下川明神祠・恵比寿の石祠 標高: 13.5m MAP 4km以内の寺社検索
街道右手に下川明神祠、左手に文化年間の恵比寿祠がある。(by Google Street View)
興満寺 標高: 12.4m MAP 4km以内の寺社検索
興満寺は市塚山と号し、浄土真宗東本願寺派(単立)の寺院である。
常用で創建されたが、延宝2年(1674)長尾町での公用の休憩施設として現在地に移転してきた。 参勤交代途上の諸大名への見栄の為として整備された為、広い敷地を与えられたようである。
大門橋 標高: 11.5m MAP 4km以内の寺社検索
手前に道標あり石製茶色。「薩摩街道」銘。(by Google Street View)
道標 標高: 10.9m MAP 4km以内の寺社検索
「旧坊津街道(薩摩街道)」銘。(by Google Street View)
筑後船小屋駅北 標高: 9.5m MAP 4km以内の寺社検索
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JR筑後船小屋駅構内の案内板によれば、 元禄2年(1689)に矢部川の河川工事用の平田舟を格納する小屋が設置され、 住民は小屋番の役職の監督下に置かれたという。 そのため、「御船小屋」「石船小屋」などと呼ばれ、これが転じて「船小屋」と呼ばれるようになったという。
船小屋温泉は文政7年(1824)に井戸を堀り、薬泉のわかし湯として利用されたのが始まりとされ、日本有数の含鉄炭酸泉という。 かつては陸軍指定の転地療養所として多くの戦傷者を迎え、昭和初期には、飲食店、遊技場、土産物店などが道筋を埋め、 県南唯一の温泉地として栄えていたという。
案内板の写真には、河原で水遊びをする人々が見られる。 ここから矢部川の上流400mほどの所に温泉施設はあるようである。 作者はまだ利用したことが無い。
駅周辺は再開発が進んでおり、工事中の箇所が多い。 駅も近代的な建物となっている。 この付近には、江戸期のものと思われる遺構は確認できない。
今寺番所跡 標高: 9.5m MAP 4km以内の寺社検索
この付近には久留米領の今寺番所が設置されていたという。 「今寺」とは、下の光明寺の別称である。
光明寺東 標高: 10.6m MAP 4km以内の寺社検索
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県道96号線沿いに一直線に南西方向に進んできた街道は、光明寺の北側で「コ」の字型に曲がる。
光明寺(真言宗大覚寺派)では、仁王像、石造九重塔など多数の文化財を拝むことができる。 作者お勧めの寺院である。
津島の地蔵堂 標高: 11.4m MAP 4km以内の寺社検索
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お地蔵様と仏様が並んで安置されている。 真新しい花が供えられていた。 地元の方々の信仰心の篤さを感じる。(津島地蔵堂参照のこと)
北田番所跡 標高: 11.3m MAP 4km以内の寺社検索
この付近には柳川領の番所があったという。
行基橋 標高: 11.1m MAP 4km以内の寺社検索
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橋の手前の歩道の真ん中にぽつんと大師堂がある。 何ともさみしげなありようである。周りには何もない。 大師堂内にはガラスケースに納められた弘法大師像とその隣に剣と宝珠を持った石像が納められている。
行基橋は現在は鉄製である。昔からあったのであれば、架け替えられたものであろう。 この橋のいわれを地誌などで少し調べたが、どうやら行基が架けた橋ではなさそうである。
そういえば、この少し上流の光明寺の御本尊も伝行基作。 何らかの関係があるのか無いのか? これ如何に。
葉玉商店脇の渡し場 標高: 11.0m MAP 4km以内の寺社検索
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商店脇には河原に通じる幅の広い石段。 そしてその付近の堤防には装飾が施され、堤防の上部には瓦が乗せられている。 何かの神事か、偉い人が河原に降りて舟で行き来する場所のようでもある。 この付近ではこのような堤防は作者は見たことがない。 この構造は一体何なんだろう?
商店脇には紙垂が掛けられたエノキがある。
本郷の天満宮 標高: 9.7m MAP 4km以内の寺社検索
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境内の石灯籠には文政(1818-1830)銘の石灯籠がある。
本郷信号 標高: 10.9m MAP 4km以内の寺社検索
街道はここで右に大きくカーブする。
徳円寺 標高: 10.7m MAP 4km以内の寺社検索
徳円寺は本誓山と号し真宗大谷派の寺院である。
本郷の恵比寿祠 標高: 10.8m MAP 4km以内の寺社検索
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恵比寿祠は民家の作業場脇にポツンとある。 真新しい榊がお供えされていた。
本郷の地蔵堂 標高: 9.8m MAP 4km以内の寺社検索
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銅葺き屋根のお堂の中にはお地蔵様。両脇には真新しい前掛けをつけた十三仏が鎮座している。
本郷の神社 標高: 9.5m MAP 4km以内の寺社検索
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街道脇に拝殿が見られる。御神体は拝殿奥に鎮座。石のようである。 神社の名、祭神などの表記が無く不明である。
この付近には古い町並みが所々見られる。
中山の地蔵堂 標高: 9.3m MAP 4km以内の寺社検索
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地蔵堂には大小二体のお地蔵様が安置されている。
中山の二里石 標高: 8.1m MAP 4km以内の寺社検索
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案内板によれば、この二里石は柳河札の辻(現柳川市辻町交差点)を基点にしたものという。 当時の二里石は大正期に堤防を低めた際に失われ、昭和57年に地元有志により元の位置に復元されたものという。
二里石の裏手には赤い鳥居の神社が鎮座。束額には「元邉橋稲荷大明神」「徳十丸稲荷大明神」と記されている。 お堂は施錠されており内部を拝むことは出来なかった。
ここから北西方向へ直線距離で100m程に鎮座する熊野神社の大藤は見事なもののようである。 中山大藤 | イベント情報 | 福岡県観光情報 クロスロードふくおか 参照のこと。 そう言えばこの交差点の名は「中山大藤交差点」である。
中山の観音堂 標高: 7.6m MAP 4km以内の寺社検索
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安置されている観音様は石造り。かなりの年歴を経たもののようだ。
清楽寺 標高: 7.3m MAP 4km以内の寺社検索
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清楽寺は真言宗醍醐寺派の寺院である。 境内には多数の石仏が安置されている。
天満神社 標高: 7.3m MAP 4km以内の寺社検索
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本殿は覆屋の中である。
この先からは瀬高宿となる。