金出宿(旧:表糟屋郡篠栗村 現:糟屋郡篠栗町篠栗)
概要
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『街道と宿場町(アクロス福岡文化誌)』では、この宿場は「金出宿」と呼ばれている。 『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡表の項も『筑前國続風土記拾遺』巻之40 表糟屋郡の項も 共に「篠栗村」と「金出村」とは別村となっている。
上の両風土記は共に宿駅は「篠栗村」にあった旨の記載がある。 宿駅の呼び名が何故「篠栗宿」でなく「金出宿」となっているのか作者は不思議である。 ちなみに、「金出村」は「篠栗村」の北隣にあったようである。
ここでは、『街道と宿場町(アクロス福岡文化誌)』に従って、「金出宿」として話しを進めて行こう。
規模は東西ほぼ一直線約1km足らず。 問屋場・お茶屋があったという。 西から下町、中町、上町の構成。
『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡表の項に下記の記載がある。
○篠栗村
此村、むかしは南の山側にありて、民家こゝかしこに在しを、 慶長年中(1596-1615)長政公の家臣母里浄甫君命をうけ、 所々の民家を今の地に移し集めて驛家とす。 福岡へ3里20町あり。
此川には深淵多く、鰷多し。 糟屋川の水上也。宇瀰河内、須恵河内、山田河内よりも川流れ、 多々良川に入れども、此川を本流とす。
萩尾より流れ出る谷に後藤淵とて、ちひさき深き淵あり。おし鳥住。
この里に、國君の別館ありしが、元禄7年(1694)綱政公、其家臣黒田重時に預けさせたまふ。 其後も光之公東郡往来し給ふ時、此館に立入せ給ひ、 一宿 したまふ事5度に及べり。 綱政公も此館に度々立寄せ給ひ。宿し給ふ事たびたびに到る。
『拾遺』には「飯塚へ3里 町在り。 (綱政公の時迄は別館を置給へしか其後引て今はなし)」とある。
謝辞:JR篠栗駅前の案内所の方(男女二名)が、熱心に資料を引っ張り出して場所を教えて下さいました。 それから、51・79番札所の土産物店(田中寿栄堂)のお女将さんからは、お茶の接待を受けた上に道案内もして頂きました。 感謝感謝。(記:2013-09-17)
経路
西構口跡 標高: 43.3m MAP 4km以内の寺社検索
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西構口には道路脇には石碑が設置されているが、当時の遺構は何も残っていない。
西構口から少し宿場内に入った民家前に祠があり、石仏が祀ってある。
この辺りより、八木山の郡境手前までは街道の両サイドに_篠栗新四国八十八箇所霊場)の札所が立ち並んでいる。
問屋場跡 標高: 46.5m MAP 4km以内の寺社検索
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問屋場跡の前後には数軒、古い商家と思しき建物を見ることができる。
問屋場跡の裏手の篠栗新四国霊場第84番札所中町屋島寺のすぐ南側に天明3年(1783)銘の猿田彦大神がお堂の中に納められている。 これは、昔は街道沿いに立っていたものかもしれない。
須賀神社 標高: 46.3m MAP 4km以内の寺社検索
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門前の案内板の内容を下に記す。
須賀神社
- (前略)
- 御祭神
- 須佐之男生命・稲田姫命・大己貴紙・玉依姫命・大山祇神・菅原神・恵比須神
- (中略)
- 由緒
- 創立 安永4年(1775)。
菅原神は金川町菅原神社として祭祀せしを明治45年2月2日合併。
玉依姫命は字彼岸田に宝満神社として、大山祇神は字日ノ裏・ウリウノ・谷口・中ノ河内・田ノ浦に祭祀ありしを大正5年7月10日に合併祭祀す。
但し山祇神社5社は合霊して一座に祭祀す。 恵比須神は鎮座不詳。境内左奥にありしを平成2年12月併せ祭祀(1月10日恵比須祭。)- (中略)
- 氏子区域
- 城戸・山手・山王・上町・中町・下町以上6区
- (以下略)
東構口跡 標高: 48.8m MAP 4km以内の寺社検索
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宿場は県道607号線の一筋南の裏通りにあったが、この少し手前の上町信号で県道607号線と合流する。 ここも当時の遺構はなにも残っていない。
石碑の対面には、篠栗第62番札所石原山遍照院の山門がある。 県道607号線は福岡市-飯塚市の物流の動脈となっており、貨物トラックが唸りを上げて頻繁に走っている。
篠栗地蔵堂 標高: 51.0m MAP 4km以内の寺社検索
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篠栗地蔵堂(立江寺)は篠栗新四国八十八箇所霊場第19番札所(本尊:地蔵菩薩)である。
延命寺 標高: 54.3m MAP 4km以内の寺社検索
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延命寺は篠栗山と号し、高野山真言宗の寺院である(篠栗新四国八十八箇所霊場第39番札所)。
山王薬師堂(77番) 標高: 64.4m MAP 4km以内の寺社検索
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山王薬師堂は篠栗新四国八十八箇所霊場第77番札所(本尊:薬師如来)である。
この辺りの道幅はほぼ当時のままと思われる。昔懐かしさを感じさせる道である。
山王薬師堂(67番) 標高: 75.7m MAP 4km以内の寺社検索
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山王薬師堂は篠栗新四国八十八箇所霊場第67番札所(本尊:薬師如来)である。
山手薬師堂 標高: 72.0m MAP 4km以内の寺社検索
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山手薬師堂は篠栗新四国八十八箇所霊場第17番札所(本尊:薬師如来)である。
この前後の街道は多々良川を左に見て進む。
かどや旅館脇の小堂 標高: 71.5m MAP 4km以内の寺社検索
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小堂内には不動明王が2体、地蔵菩薩が2体、弘法大師と思しき尊像が1体安置されている。皆石仏である。
街道はこの先、橋を渡り国道201号線に合流する。
千手十一面観音堂 標高: 75.0m MAP 4km以内の寺社検索
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観音堂は民家の入口のヤツデの木の陰に淋しげにひっそりと立っている。 石像の千手十一面観音。丁寧な造りをしておられる。 霊場めぐりの人たちはほとんど気づかれないだろう。
街道はここで国道201号線を横切り再び旧道に入る。
山手阿弥陀堂 標高: 78.3m MAP 4km以内の寺社検索
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山手阿弥陀堂は高野山真言宗の寺院。日切地蔵尊としても名高い。篠栗新四国八十八箇所霊場第78番札所となっている。
街道は当寺の手前で旧道に入る。短い旧道だが街道は木々に覆われ昔の風情を残している。
旧道口 標高: 88.4m MAP 4km以内の寺社検索
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街道は柳ケ瀬橋の手前を曲がって旧道に入る。
旧道は舗装されていない。この先を進めばほどなくして城戸薬師堂の境内に入る。
城戸薬師堂 標高: 92.0m MAP 4km以内の寺社検索
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城戸薬師堂は「城戸病奪り薬師堂」とも呼ばれる。
篠栗新四国八十八箇所霊場第74番札所(本尊:薬師如来)となっている。街道は境内を通っている。
城戸千手観音堂 標高:103.7m MAP 4km以内の寺社検索
城戸千手観音堂は篠栗新四国八十八箇所霊場第71番札所(本尊:千手観音)となっている。
南蔵院 標高:107.8m MAP 4km以内の寺社検索
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南蔵院は岩陰山と号し高野山真言宗の寺院である。篠栗新四国八十八箇所霊場第1番札所(本尊:釈迦如来)となっている。当霊場の総本寺にして最大規模の寺院である。
当寺の南には福北ゆたか線の城戸南蔵院前駅があり、その周辺には有料・無料の駐車スペースも多数ある。
地蔵 標高:125.3m MAP 4km以内の寺社検索
未参拝の為、未稿。
二瀬川観音堂 標高:128.6m MAP 4km以内の寺社検索
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篠栗新四国八十八箇所霊場第81番札所(本尊:千手観世音菩薩)となっている。
ここより、八木山の郡境までは、今昔マップの大正11年測図と現在の地図を重ね合わせても合致しない(右に大正11年測図を掲示する)。図中では「七曲り」と標記されている。大正期・現代共ヒトの大腸のような曲がりくねった坂道である。
この地点と次の八木山の郡境との標高差は約110m。昔も今もかなりきつい坂道である。当時は馬も悲鳴を上げたと思われる。
八木山の郡境 標高:239.9m MAP 4km以内の寺社検索
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この付近より、八木山の老松神社の手前あたりまでは昔は「山伏谷」といったようだ。『筑前國続風土記』巻之18 糟屋郡 表の項に下記の記事がある。
○山伏谷
篠栗村の境内也。其川上谷の奥也。此谷をのぼれば、嶺に糟屋と穂波郡との境あり。嶺より東は穂波郡八木山村なり。
むかし山賊此所にて山伏を切殺し、其持ちたる物を奪取る。しかるに彼山伏の霊魂祟をなし、行かふ人の目にも見えけるとかや。故に山伏谷と號す。切通し、古よりあり。(後略)
この山伏の供養塔(自然石製)は 篠栗新四国八十八箇所霊場第56番札所の松ヶ瀬地蔵堂の本尊の脇に安置されている。
昔この地点が糟屋郡・穂波郡の郡境であったと思われる。 現代でも糟屋郡・飯塚市の境である。
昔の遺構(郡境石など)は残っていない。あるのは「飯塚市」と記された道路標識のみである。
少し手前からの、糟屋郡の山並みの景色はなかなかのものである。
ここから先のルートは八木山のページに記す。