小郡宿おごおり(旧:周防国吉敷郡 現:山口県山口市小郡下郷)

概要

ここでは小郡宿から次の山中宿までのルートを掲載する予定である。

経路

正福寺 標高: 3.8m MAP 4km以内の寺社検索

正福寺は東明山と号し、曹洞宗の寺院である。

この付近に小郡代官所があったという。

追分(旧山陽道道標)[小郡宿] 標高: 3.2m MAP 4km以内の寺社検索

山陰道と山陽道の追分である。

「左 萩 山口 石見」「右 京 江戸」「牛馬繋事無用」。 案内板によれば、現在の道標はレプリカで、本物は工事中に破損。中村邸に保存されているようだ。

三原屋本陣跡 標高: 3.2m MAP 4km以内の寺社検索

西中国信用金庫小郡支店(赤丸の所に案内板)
西中国信用金庫小郡支店(赤丸の所に案内板) 
案内板
案内板 

街道をそれて50m程南側に西中国信用金庫小郡支店がある。この場所に本陣があったという。

案内板の内容を下に記す。

三原屋本陣跡

昔東津方面から津市方面を通る道は山陽道と称し江戸への参勤交代の要衝道路であったため当地に本陣三原屋があった。 この本陣は諸大名や武士の宿るところで藩費(公金)でまかなわれていたものである。

長州は文久3年(1683)5月10日赤間関(下関)で全国に先がけ攘夷(外国船を砲撃)決行したので、 これを中止させるため詰問支社として幕府使番・中根市之丞等が艦船朝陽丸で現地に来て協議するも話し合いがつかず藩公敬親に目通りのため同年7月29日に本陣三原屋に入った。

この時たまたま藩公病気のため快癒を三原屋で待っていた。 同年8月19日壮士数人が三原屋を襲い幕府目付け鈴木八五郎他、長谷川勇助、須原栄3銘が暗殺され、中根市之丞等は難をのがれて脱出したが、翌々日、帰る途中防府市中ノ関沖の船上で暗殺された。 これを三原屋事件という。(以下略)

山口市教育委員会

粟島神社 標高: 6.2m MAP 4km以内の寺社検索

未参拝の為未稿。

21番札所(大師堂) 標高: 14.5m MAP 4km以内の寺社検索

未稿。

恵比寿神社 標高: 13.3m MAP 4km以内の寺社検索

未稿。

嘉川郵便局 標高: 11.1m MAP 4km以内の寺社検索

未稿。

小堂 標高: 11.3m MAP 4km以内の寺社検索

未稿。

中野三仏 標高: 10.8m MAP 4km以内の寺社検索

未稿。

熊野神社 標高: 8.5m MAP 4km以内の寺社検索

未参拝の為未稿。