宰府参詣道_長崎街道長尾口

概要

参詣道口
参詣道口 

長崎街道の飯塚宿-内野宿間長尾から右手(西方に)山口村を通り、米の山峠を越えて太宰府天満宮に向かう道とある。この道は冷水峠が開通する江戸時代初めまでは、豊前田川地方と宰府を結ぶ唯一の重要な道であったという。 文明12年(1480)連歌師の宗祇がこの山道を馬で宰府に越している。

長尾の宰府参詣道口の起点より、推定合流地点までのルートはよく利用された年代は江戸期の前までである。江戸期に入り、内野宿-山家宿間の冷水峠越えの道が開通(慶長17年(1612))してからは、内野宿から推定合流地点経由で宰府への道(「スダワラ越」)のコースをたどることが多くなった。(以上『筑前の街道』より)

当ルートは1:50000 chikeizu | Stanford Digital Repository(昭和16年10月発行の1/5000地形図)と本ページに記している書籍の情報を主に参考に、作者が推定した経路である。

お断り:当地の地理に疎い、理科系出身のド素人が多少の資料を元に推定したもので、科学的根拠は希薄なものとなっている

地図

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経路

長尾の宰府参詣道口 標高: 49.3m MAP 4km以内の寺社検索

参詣道口
参詣道口 

参詣道はこの先JR筑豊本線のガードをくぐり次の元吉老松社へと向かう。

長尾|長崎街道飯塚宿参照のこと。

元吉老松社 標高: 66.4m MAP 4km以内の寺社検索

拝殿(左手)と神殿(右奥)(脇に五穀神)
拝殿(左手)と神殿(右奥)(脇に五穀神) 
境内風景
境内風景 
「大日霊神」
「大日霊神」 
北側参道口の鳥居
北側参道口の鳥居 
南側参道口の鳥居(向かって左手の柱には享保5年銘、右手の柱には大正3年銘)
南側参道口の鳥居(向かって左手の柱には享保5年銘、右手の柱には大正3年銘) 
南側参道口前の道 - 右手が老松社
南側参道口前の道 - 右手が老松社 
南側参道口前の道脇の石祠
南側参道口前の道脇の石祠 

『筑前國続風土記附録』巻之23 穂波郡上 元吉村の項に下記の記事がある。

老松宮(タルカド 神殿方1間半・拝殿2間2間半。祭禮9月9日・奉祀井上出雲)

産神なり。菅公を祭れり。社内に大日堂及松の神木あり。

境内には拝殿・神殿・「大日霊神」・五穀神などがみられる。 「大日霊神」は『附録』に記されている大日堂のことだろうか?

拝殿・社殿は作者が推定する参詣道の裏側(南側)に向いている。 裏側にも鳥居があり、どうやら表参道は南側のようである。

裏側にも作者が推定する参詣道に並行して道があり、当社の前後100mほど確認できる (昭和16年10月発行の1/5000地形図でもこの道は確認できる)。この道の脇には石祠もたっている。 昔々はこの道が本来の参詣道のルートだったのかも知れない。

馬敷 標高: 83.6m MAP 4km以内の寺社検索

この地点は正確には元吉と馬敷の境目にあたると思われる。

ここより北西方向に道なりに行った所に西光寺がある。同寺門前の案内板によれば、慶長6年(1601)福岡藩祖、黒田官兵衛が福岡城築城のため、用材を求め山口村に訪れた時の宿泊場所が「西光寺(馬敷村)」で、 現在も黒田家ゆかりの品々が多く残っている。 また、三郡山麓(山口村)には今尚「如水が原」「休場」「山立」など、ゆかりの地名が残っているという。

官兵衛も宰府よりこのルートを利用してやって来た可能性が高い。

若八幡宮(山口) 標高: 95.6m MAP 4km以内の寺社検索

社殿
社殿 
拝殿内(多数の絵馬が掛けられている)
拝殿内(多数の絵馬が掛けられている) 
改題風景 - 拝殿を背にして撮影
改題風景 - 拝殿を背にして撮影 
多数の石塔(表面が読み取れるものとしては「幸神」「猿田彦大神」など)
多数の石塔(表面が読み取れるものとしては「幸神」「猿田彦大神」など) 
建物名不詳(内部にびっしりと説明書きがされた木板がある) - 拝殿に向かって左手
建物名不詳(内部にびっしりと説明書きがされた木板がある) - 拝殿に向かって左手 
「大行事」塔
「大行事」塔 
参道途中
参道途中 
猿田彦大神(明和5年銘)
猿田彦大神(明和5年銘) 
参道口
参道口 
参道口迄の参詣道(右手が若八幡宮) - 米ノ山峠に向かって撮影
参道口迄の参詣道(右手が若八幡宮) - 米ノ山峠に向かって撮影 
参道口近くの土造りの納屋
参道口近くの土造りの納屋 

山口の集落は東側は山、西側は山口川が流れている。 集落内は川のせせらぎの音・鳥の啼声が聞こえるくらいでひっそりとした佇まいである。

『筑前國続風土記』巻之12 穂波郡 山口村の項に下記の記事あり。

此村内野村の北の方、別の谷中ひきゝ所にある。(中略)是より米の山嶺にゆく入口なる故に山口と云、 むかしの京へ登る大路也。此村より飯塚へ3里、宰府にも3里あり。 京、堺の聖人長崎へゆくに、宰府を見まく欲する者は、必ずこの道を過ぐ。 (中略)米の山嶺は山口村に属す。嶺より此村まで1里に近し。是太宰府より山口をこへて、飯塚の方に出る道にして、いにしへ太宰府及近國より都への大道也。

集落のほぼ中央に若八幡宮が鎮座している。境内には4-5本のイチョウの大木・クスノキなどで覆われている。 社殿に向かって左手の一段登った所に建物があり、そこに文字がびっしりとかかれた木板が掛けられている。 季節柄、長いものの出現の可能性があり、近づく事は断念。残念。

眼鏡橋(山口) 標高:110.8m MAP 4km以内の寺社検索

遠景 - 下流より撮影
遠景 - 下流より撮影 
眼鏡橋(矢印の先に石塔) - 下流より撮影
眼鏡橋(矢印の先に石塔) - 下流より撮影  
眼鏡橋脇の石塔
眼鏡橋脇の石塔 
眼鏡橋(矢印の先に石塔) - 上流より撮影
眼鏡橋(矢印の先に石塔) - 上流より撮影 
眼鏡橋脇の参詣道(左手が眼鏡橋)
眼鏡橋脇の参詣道(左手が眼鏡橋) 

眼鏡橋の下流側の2/3が自然石製、上流側の1/3はコンクリートで出来ているようだ。 元は幅が2/3だったのか、それとも破損してコンクリートで補強されたのかはわからない。 橋の上の人が通行する所はコンクリート製である。

参詣道から橋を渡った所に自然石製の石塔が立っている。 石塔表面上部には向かって右手より「浦■」「寺主坊」「慶應■年■2月」「奉献永代橋」「■宿方」「延壽院」 石塔表面の地面に近い所には寄進者のものと思しき氏名がびっしり刻まれている。 裏面には文字は確認できない。

この橋は慶応年間(1865-1868)に造られたものなのだろう。

「延壽院」が気にはなるところであるが、飯塚市内に古鏡山延壽院 無量寺という「延壽院」という院号を持った浄土宗のお寺がある。ほぼ無関係とは思われるがメモとして残す。

県道65号線との合流地点 標高:113.8m MAP 4km以内の寺社検索

県道65号線との合流地点
県道65号線との合流地点 

参詣道はここで県道65号線との合流する。

推定合流地点 標高:202.4m MAP 4km以内の寺社検索

根拠は希薄であるが、このあたりで宰府参詣道_長崎街道内野口[スダワラ越]からの参詣道と合流すると思われる。

米ノ山峠 標高:341.1m MAP 4km以内の寺社検索

『筑前國続風土記附録』巻之10 御笠郡上 油須原村の項に下記の記事がある。

米山古城

此所を里人は牛頸の城といふ。平地方10間(ばかり)あり。 其下巽[1]の方、坤[2]の方にも平地あり。又里人のいへる馬さしの谷といふ所もあり。

此山を越え行けハ穂波郡山口村に出つ。 又米山越を左に見、高山を越へ内野宿に出る道あり。油須原越[3]と云う難所也。

この地点は筑紫野市(油須原)と飯塚市(山口)の境となっている。

、ここを我が念仏4号にて通過。切通(きりとおし)の道となっており、 昔の状況とはうって変わっていると思われる。また、この地点が昔の「峠」であったかどうかもわからない。 ここから先、吉木迄ざっと走って見たが、途中旧道と思しき道は県道の左右に見える。 昔の道はこの県道から付かず離れず下って行ったのではなかろうか?

蛇足であるが、この辺りは路側帯もなく、産業用のトラック・自家用車がほぼ半々が轟音をたてて行き交っており危なくて停車もできない。両側が崖の為景色も悪い。

柚須原 標高:281.2m MAP 4km以内の寺社検索

この地点より200mほど北側に登った所に大山祇神社が鎮座している。境内に柚須原観音堂がある。

『筑前國続風土記附録』巻之10 御笠郡上 柚須原村の項に下記の記事あり。

山祇神(神殿拝殿なし、岩窟の中に祭れり。祭礼2月初丑日・奉祀宝満山道場坊)

産神也。村の東深林の中にあり。神鏡3面をもて神體と崇めり。 此地は人里遠く俗塵のけかれなく、おのつから神霊の鎮り給ふもことハりにこそ。

香園 標高:237.3m MAP 4km以内の寺社検索

通過。

『筑前國続風土記附録』巻之10 御笠郡上 香園村の項に下記の記事あり。

天満宮(神殿拝殿作続1間半2間、祭礼11月5日・村民奉祀す。)

産神也。祭る所、菅神・紅梅殿・老松殿3座なり。社内に観音堂あり。

本道寺 標高:178.5m MAP 4km以内の寺社検索

通過。

ここより200mほど北側に登った所に安楽寺(大平山と号し浄土真宗本願寺派)と本道寺不動堂がある。

大石 標高:100.9m MAP 4km以内の寺社検索

通過。

ここより北側50mほど登った所に大石観音堂大石薬師堂がある。

吉木 標高: 59.5m MAP 4km以内の寺社検索

通過。

この地点の50mほど手前に吉木観音堂がある。 参詣道はここを右折して太宰府天満宮に向かう。

九州国立博物館南 標高: 68.8m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

溝尻口 標高: 48.5m MAP 4km以内の寺社検索

溝尻口(左手に庚申塔とえびす像 - 天満宮表参道に向かって撮影)
溝尻口(左手に庚申塔とえびす像 - 天満宮表参道に向かって撮影) 
庚申塔(左)とえびす像が刻まれた板碑
庚申塔(左)とえびす像が刻まれた板碑 
庚申塔(側面・拡大、年号銘が見えそうで見えない。)
庚申塔(側面・拡大、年号銘が見えそうで見えない。) 
えびす像が刻まれた板碑(「文化14丁丑歳 應■10月」銘)
えびす像が刻まれた板碑(「文化14丁丑歳 應■10月」銘) 

2020-06-25、雨中の踏査。写真が鮮明でありません。

ここは、宰府宿の4つの構口(かまえぐち)の内の一つである。 番所があったと思われるが、その遺構などは確認できない。

道脇の庚申塔とえびす像が刻まれた板碑が立っている。 えびす像は自然石の表面に線を刻んで描かれている。

このタイプのえびす像は二日市宿山家宿・およびその地域の街道沿に見られるものである。

庚申塔は存在感たっぷりの物。側面に文字が刻まれているが、雨に濡れているせいか判読不可。残念。

脚注