八屋宿(旧: 現:福岡県豊前市)
概要
ここでは、八屋宿から中津城下までのルートを記載する予定である。
経路
前川橋 標高: 4.2m MAP 4km以内の寺社検索
ここから先しばらくは昔ながらの町並みが見える。
賢明寺 標高: 8.8m MAP 4km以内の寺社検索
賢明寺は紫金山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
教円寺 標高: 8.8m MAP 4km以内の寺社検索
教円寺は宝林山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
岩岳橋 標高: 6.3m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為、未稿。
沓川神社 標高: 8.0m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為、未稿。
沓川公民館(正念寺参道口) 標高: 7.7m MAP 4km以内の寺社検索
正念寺は清涼山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
御界川 標高: 5.4m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為、未稿。
橋 標高: 3.0m MAP 4km以内の寺社検索
橋の名は不詳。橋柱に大正9年(1920)銘。
宝福寺 標高: 6.6m MAP 4km以内の寺社検索
宝福寺は廣松山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
小犬丸の渡し跡 標高: 6.7m MAP 4km以内の寺社検索
山国川対岸の小倉口渡の案内板「山国川の船渡場(小倉口渡)」(中津市教育委員会・中津市郷土■■)の内容を下に記す。
小倉城下、中津口より下往還海岸よりの小倉街道を下ると、小笠原領境木があり、ここから10町(1100m)向かいは中津城第一関門の小倉口であった。 山国川の川波は急な瀬や満潮の増水があって、中津城に入る難所であった。
中津城の外馬場の広津村・小犬丸村を結ぶ交通手段は、江戸時代そのほとんどの期間を通じて主に船渡であったが、寛保2年(1742)には橋が架けられた。 しかし、延享元年(1744)の洪水で橋が流出した。
それ以降、明治2年(1869)に船橋ができるまではほとんど渡船で、両岸の固定船を互いに太い綱で繋ぎ、綱づたいにその間を小船で渡った。