牛津宿うしづ(旧:肥前国小城郡 現:佐賀県小城市牛津町)

概要

街路灯の牛津宿の看板
街路灯の牛津宿の看板 

牛津宿には残念ながら、江戸期を思わせる建物などは少ない。 この宿は唐津街道の牛津-橋本ルートの追分の宿でもある。

ここでは、牛津宿から、次の朝鍋追分までのルートについて記載する。

経路

牛津宿入口 標高: 3.4m MAP 4km以内の寺社検索

交差点 - 小田宿に向かって撮影
交差点 - 小田宿に向かって撮影 

街道は、国道207号線から別れ、ゆるやかに左カーブする。

牛津観音堂 標高: 3.7m MAP 4km以内の寺社検索

牛津観音堂小城新四国霊場第71番(本尊:千手観世音菩薩)となっている。

道標(天満町信号) 標高: 4.4m MAP 4km以内の寺社検索

道標
道標  
交差点(道標は写真左手にある) - 小田宿に向かって撮影
交差点(道標は写真左手にある) - 小田宿に向かって撮影  

街道はこの青信号を直進する。

街道から街道を挟んだ所に正満寺がある。 脇本陣として利用されていたという。

問屋場跡・高札場(牛津高校校門脇) 標高: 4.2m MAP 4km以内の寺社検索

案内石板の絵
案内石板の絵  
街道 - 写真左手が牛津高校校門
街道 - 写真左手が牛津高校校門  

問屋場跡・高札場趾は牛津高校校門となっており、当時の面影を知るものは何もなく、案内の石板が設置されているだけである。

街道はここで右に直角にカーブする。

上使屋跡 標高: 5.0m MAP 4km以内の寺社検索

上使屋跡の前の街道(突き当たりが乙宮社) - 小田宿に向かって撮影
上使屋跡の前の街道(突き当たりが乙宮社) - 小田宿に向かって撮影  

上使屋跡は、本町公民館となっており、何の痕跡もない。 当時の間取り図の案内石板が設置されているのみである。 下にその案内石板に書かれている内容を記載する。

上使屋は、長崎街道を往復する奉行や大名達がここに休憩し或は一泊した高級旅館である。

立町東側中央に軒並三分の二を占拠する敷地で、大きな長屋門(ながやもん)をはいると、 邸内には四、五棟の建物がある広いものであったが、明治維新には(すた)れてしまった。

経営はすべて小城藩が当たっていた。

「牛津町史、佐賀の街道より」

乙宮社 標高: 4.2m MAP 4km以内の寺社検索

乙宮社前の街道 - 小田宿に向かって撮影
乙宮社前の街道 - 小田宿に向かって撮影  
乙宮社一の鳥居
乙宮社一の鳥居 
案内石板の絵
案内石板の絵  

境内の案内板によれば永萬元年(1165)鎮西八郎為朝が下向の際、若宮大明神を勧請。 当時牛津町は昔は「海津」と称せしに大雄黒髪山大蛇退治の時、祈願成就の報恩祭を行い養父郡牛津と改称した。 文治3年(1187)乙宮大明神と改称したという。(乙宮社より)

街道はここで左にカーブする。

JR牛津駅 標高: 3.1m MAP 4km以内の寺社検索

牛津駅脇の巨大な当時の絵
牛津駅脇の巨大な当時の絵  
牛津駅
牛津駅 
駅前の商家
駅前の商家  
駅前の街道 - 左手が牛津駅
駅前の街道 - 左手が牛津駅  

JR牛津駅はおしゃれな洋館仕立てである。 駅脇の公園には、巨大な江戸期の想像図が掲示されている。

恵比寿像 標高: 4.4m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像前の街道(左手に恵比寿像) - 小田宿に向かって撮影
恵比寿像前の街道(左手に恵比寿像) - 小田宿に向かって撮影 

よいお顔をされている。

六間橋 標高: 4.5m MAP 4km以内の寺社検索

橋脇の恵比寿像
橋脇の恵比寿像 
六間橋先の街道 - 小田宿に向かって撮影
六間橋先の街道 - 小田宿に向かって撮影 

六間橋の先の街道には多少、古い民家が残っている。

牛津追分 標高: 4.9m MAP 4km以内の寺社検索

唐津街道(橋本-唐津)の始まり
唐津街道(橋本-唐津)の始まり 
追分前の長崎街道 - 右手の黒い建物の所が唐津街道の入口
追分前の長崎街道 - 右手の黒い建物の所が唐津街道の入口 

ここは、長崎街道と唐津街道(橋本-唐津)の追分である。

唐津街道への入口両サイドには恵比寿像が鎮座している。

最勝寺前 標高: 4.4m MAP 4km以内の寺社検索

最勝寺前の街道 - 左手が最勝寺。街道はこの先を左にカーブする。
最勝寺前の街道 - 左手が最勝寺。街道はこの先を左にカーブする。 
最勝寺前の長崎街道の道標
最勝寺前の長崎街道の道標 

街道は、この交差点より国道34号線と合流する。

この交差点の脇にある最勝寺は慈光山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。

永福寺前 標高: 5.7m MAP 4km以内の寺社検索

永福寺前の街道(右手が永福寺) - 小田宿に向かって撮影
永福寺前の街道(右手が永福寺) - 小田宿に向かって撮影 

永福寺は吸江山と号し、臨済宗南禅寺派の寺院である。 本堂前は広大な墓地となっており、その前には砥川石工作と思しき石像が多数並ぶ。 あの平川与四右衛門作の地蔵菩薩像も鎮座している。

妙蓮寺前 標高: 6.2m MAP 4km以内の寺社検索

    妙蓮寺は片岡山と号し、日蓮宗の寺院である。 大永年間(1521-1527)、開山日念上人による建立である。

    カンカン石 標高: 4.5m MAP 4km以内の寺社検索

    カンカン石(正面の台座の上の石、脇の小石で叩くと金属製の音が出る)
    カンカン石(正面の台座の上の石、脇の小石で叩くと金属製の音が出る) 
    観音堂前の国道34号線(赤い破線は長崎街道) - 観音堂前より撮影
    観音堂前の国道34号線(赤い破線は長崎街道) - 観音堂前より撮影 

    カンカン石(観音堂)長崎街道の名所の一つであったという。

    長崎街道はカンカン石の前の国道34号線より一本南側をほぼ東西に通っていた。 案内板によれば現在の敷地よりもっと広かったことが記されている。 江戸期は長崎街道沿いにあったと考えられる。 カンカン石・観音堂境内のあった場所に国道34号線が通った為、規模が縮小して現在の場所に移動したのではないだろうか?

    上述のように街道上の当地点からカンカン石との間は国道34号線(片側2車線)が通っている。 街道からカンカン石までは少し東側の横断歩道まで戻り、迂回が必要。ご用心。

    宗光寺 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索

    山門
    山門 
    宗光寺参道入り口前の街道(右が参道口) - 小田宿に向かって撮影
    宗光寺参道入り口前の街道(右が参道口) - 小田宿に向かって撮影 

    宗光寺は白華山と号し、臨済宗南禅寺派の寺院である。 山門は特徴のある建物である。

    西隣には堤雄神社が鎮座している。 天平初年(729)、の創建。

    小坂峠の清水 標高: 11.9m MAP 4km以内の寺社検索

    清水前の長崎街道(赤矢印の先が清水が湧き出ていた所だろう) - 小田宿に向かって撮影
    清水前の長崎街道(赤矢印の先が清水が湧き出ていた所だろう) - 小田宿に向かって撮影 
    この先に清水が湧き出てる所があるのだろう
    この先に清水が湧き出てる所があるのだろう 

    佐賀城下から歩いてくると、この前後が峠になっていることがわかる。

    この場所から街道の右手奥から溝が街道まで伸びている。 その先に水の湧く場所があるのだろう。(未確認)

    昔の人達はここで一休みしたのだろう。

    東照寺 標高: 7.5m MAP 4km以内の寺社検索

    東照寺山門
    東照寺山門 
    東照寺前の街道(右が山門) - 小田宿に向かって撮影
    東照寺前の街道(右が山門) - 小田宿に向かって撮影 

    東照寺は医王山と号し、曹洞宗の寺院である。 寺の裏手には「身代わり観音像」が見られる。

    JR肥前山口駅 標高: 5.4m MAP 4km以内の寺社検索

    JR肥前山口駅
    JR肥前山口駅 
    JR肥前山口駅前の街道 - 小田宿に向かって撮影
    JR肥前山口駅前の街道 - 小田宿に向かって撮影 

    街道は、写真の先の信号機を右側に進む。

    その先の道幅は狭くなっており、当時の道幅とほぼ同じと考えられる。(大型車は通行禁止)

    朝鍋追分 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索

    追分 - 小田宿に向かって撮影
    追分 - 小田宿に向かって撮影 

    街道は、ここを直進すれば小田宿方面。左に曲がると「鹿島道(浜通り)」六角宿高島宿方面である。

    追分石などはなにも確認できなかった。