高町宿たかまち(旧: 現:佐賀県杵島郡白石町)

概要

高町地蔵堂前の道標
高町地蔵堂前の道標 
稲佐神社の社殿
稲佐神社の社殿 

高町宿の成立の歴史などのは作者はわからないが、稲佐神社の門前町として栄えたものではなかろうか。

ここでは、六角宿から、次の鹿島城下の手前までのルートについて記載する。

経路

高町地蔵堂 標高: 3.2m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵堂前の街道
地蔵堂前の街道 
地蔵堂
地蔵堂 

地蔵堂はコンクリート製。 石造り地蔵菩薩坐像と人物の顔が2つ刻み出されている石像が安置されている。 周辺は広大な田園地帯となっている。

街道はここで左に90°カーブする。

厳島弁財天宮 標高: 5.2m MAP 4km以内の寺社検索

社殿
社殿 
門前の街道
門前の街道 

厳島弁財天宮の境内には、 観音堂・大師堂もみられる。

高町郵便局 標高: 5.2m MAP 4km以内の寺社検索

社殿
社殿 
門前の街道
門前の街道 

郵便局の掲示板に「おかげさまで90年」の表示。 今(2018年)から90年前といえば、昭和3年。

経験的に昔の宿場内の場所にある郵便局は宿場内の問屋場などの街道交通の重要な機能を果たしていた事が多い。 この郵便局の前身がそうであったかどうかは作者はわからない。 いずれにしても稲佐神社の門前町で人々の往来は多かったと思われる。 旅籠・土産物屋等の建物があったのかも知れない。

稲佐神社参道口 標高: 3.5m MAP 4km以内の寺社検索

門前の街道 - 鹿島城下に向かって撮影
門前の街道 - 鹿島城下に向かって撮影 
神門
神門 

『日本三大実録』の貞観3年(861)8月24日の条に、「肥前国正六位上稲佐神・堤雄神・丹生神ならびに従五位下を授く」とあり、これが稲佐神社が正史に現われた最初の記録である。 社記には「天神、女神、五十猛命をまつり、百済の聖明王とその子、阿佐太子を合祀す」と記されている。

平安時代になり、稲佐大明神をまつる稲佐神社の参道両側に真言寺十六坊が建立され、この一帯を「稲佐山泰平寺」と呼ぶようになった。 泰平寺を開いたのは弘法大師であると伝えられている。 現在では、稲佐神社と十六坊のうち、座主坊観音院玉泉坊の3つを残すのみとなっている。

『肥前古跡縁起』(江戸期)の稲佐太(泰)平寺の項に「流鏑馬祓様々にして神慮を冷め奉る…」とあるように、鎌倉時代には、武芸をともなう祭礼が盛んに行われるようになった。今も毎年10月19日の供日には「流鏑馬(うまかけ)」が行われてる。 稲佐神社山門から望む有明海の眺望はすばらしいものであるという。(白石町ホームページ |稲佐神社より)

東楽寺 標高: 2.2m MAP 4km以内の寺社検索

東楽寺は福衆山と号し、曹洞宗の寺院である。

寺は佐賀県重要文化財の鰐口(康正3年(1457)12月吉日の銘)を所蔵している。

彦嶋神社 標高: 5.8m MAP 4km以内の寺社検索

長崎街道―肥前長崎路と浜道・多良海道 (九州文化図録撰書)』のP92「室島」の項に下記の記事がみられる。

右手には、権現堂裏の侵食岩に大権現放生池があり、傍らに「宮司法印周厳・潜水上下・不殺結界」の結界がある。 戒律の厳しい禅宗で、山門を建てる戒壇石のことである。 この結界石を中心に12種類の石造物が群立している。 なかでは五代将軍綱吉の生類憐れみの令に発揚された三界万霊塔の結界石もある。

室島の由来は権現堂の堂宇をムロと称して、お室さんと呼んでいた。これが室島の起源である。

天竜寺跡 標高: 22.7m MAP 4km以内の寺社検索

天竜寺は廃寺となっている。

天満宮 標高: 28.0m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

光明院 標高: 3.2m MAP 4km以内の寺社検索

光明院は松原山と号し、浄土宗の寺院である。

深浦西分公民分館 標高: 5.1m MAP 4km以内の寺社検索

公民分館の脇に深浦西分観音堂がある。

琴平神社 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

古渡 標高: 5.2m MAP 4km以内の寺社検索

古渡(ふるわたし)は「長浜の渡し」とも呼ばれた、江戸期の渡船場である。 渡し賃は1人1文、荷物は3文、馬は9文と決められていた。武士は無料であった。(Links② より)

北の塞跡 標高: 2.4m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

鏡智院 標高: 2.4m MAP 4km以内の寺社検索

鏡智院は浄土宗の寺院である。

殿の橋 標高: 3.6m MAP 4km以内の寺社検索

ここは塩田-鹿島ルートと、高町-鹿島ルートの追分となっている。