彼杵宿(旧:大村領 現:長崎県東彼杵郡東彼杵町)
概要
『長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))』によれば、追分より東南側を大村往還(本町・東町)、西北側を平戸往還(街道)と言っていた。
海側は堀川の港で、時津への港であった。この港は元禄7年(1694)に築港された。 大村往還には駅馬や町別当屋敷、堀川への角には問屋場が置かれていた。 なお平戸街道に面した金谷町にも駅馬が置かれていたがのちに廃止されたという。
嬉野往還の南側に脇本陣・高札場が連なり、今の彼杵神社に本陣があり、その東隣りには彼杵上村庄屋と年貢米の蔵が置かれていた。 制札場の東側に彼杵下村の庄屋があって町の入り口を抑える格好になっている。 2つの庄屋は、文化2年(1814)大村藩の政策により町村合併が行われ、彼杵村庄屋は上村庄屋に統一された。下庄や跡地には横目付役所が設置され、宿場としても機能がほぼ整ったという。
ここでは、彼杵宿から、次の松原宿の前までのルートについて記載する。
経路
川原千部塔 標高: 5.7m MAP 4km以内の寺社検索
千部塔前の案内板の内容を下に記す。
川原千部塔
江戸時代の初頭、キリスト教の追放が強化され、大村藩内仏教に改宗が進められた。
明暦3年(1567)、現在の大村市内で多数の隠れキリシタンが発見された「郡崩れ」があったので、長崎街道沿いや集落の中に仏教徒の証として寛文4年(1664)も15基の宝塔が建立されたものの一つである。
彼杵神社(本陣跡) 標高: 3.9m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
脇本陣跡 標高: 3.7m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
彼杵追分 標高: 3.6m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
下川橋 標高: 6.3m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
耳の石(ほげ石様) 標高: 4.0m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為、未稿。
一本松の一里塚 標高: 4.1m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
牛ノ頭壺日審上人霊場 標高: 5.9m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。
千綿宿 標高: 6.3m MAP 4km以内の寺社検索
鹿ノ島 標高: 4.2m MAP 4km以内の寺社検索
未稿。