鹿島城下(旧:肥前国藤津郡鹿島町 現:佐賀県鹿嶋市)
概要
鹿島宿の範囲は、作者は詳しくは分からない。 当ページでは道慶橋から黒川の手前の幸徳寺までと仮定して記事を掲示する。
鹿島鍋島藩の歴代藩主は文化4年(1807)までは常広城を居城とした。 常広城は元は戦国時代末期に鍋島信房という武将が居城としていたもの。 常広城の跡地は北鹿島小学校となっている。 当時は二重の堀と土手に囲まれ、外堀の内側の二の丸には、本丸を囲うように上級の武士の屋敷があった。
当城は海岸線に近く、度々の洪水にみまわれ、幕府に願い出て、文化4年に高津原の鹿島城に居城を移した。 道慶橋から黒川の手前の幸徳寺あたり(昔は「本町」と呼ばれていた)までは、常広城の城下町であった。(以上 Links① より)
ここでは、鹿島城下から、次の浜宿の前までのルートについて記載する。
経路
道慶橋 標高: 4.1m MAP 4km以内の寺社検索
道慶橋の前後はクランク状に街道が曲がっており、防衛目的の道の構造の痕跡とも思われる。
継場跡 標高: 4.8m MAP 4km以内の寺社検索
継場は問屋場・継立場などとも呼ばれ、人馬の継立(次の宿場まで荷物・人を送ること)を行う場所のこと。 現在は本町公民館となっている。
このあたりから矢野酒造のあたりまで、古い商家の町並みを散見できる。
諸国屋・願行寺 標高: 5.5m MAP 4km以内の寺社検索
願行寺は天照山と号し浄土宗の寺院である。
願行寺の門前には諸国屋旅館がある。文化9年(1812)10月25日、当旅館に伊能忠敬が宿泊した。
諸国屋旅館の斜向いに吉田家住宅がある。 吉田家は鹿島村の地主を務め、明治以降は貸金業・米穀商として繁栄した家。 現住宅は明治23年(1890)に建築されたもの。国の登録文化財。(Links① より)
幸徳寺 標高: 5.4m MAP 4km以内の寺社検索
幸徳寺は横澤山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
矢野酒造 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索
矢野酒造は創業寛政8年(1796)創業の老舗である。
清水観音(一里塚) 標高: 6.0m MAP 4km以内の寺社検索
街道沿いに観音堂がある。ここが一里塚の跡だろうか?
藤津郡鹿島町道路元標[鹿島城下] 標高: 6.1m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為、未稿。