神埼宿かんざき(旧:肥前国神埼 現:佐賀県神埼市神埼町)

概要

西の木戸口の街道に埋め込まれた案内板
西の木戸口の街道に埋め込まれた案内板 
東の木戸口近くの商家
東の木戸口近くの商家 
櫛田宮二の鳥居(肥前鳥居)
櫛田宮二の鳥居(肥前鳥居) 

ここでは神埼宿より次の境原(さかいばる)宿の手前までを記載する。

櫛田社にある案内板の内容をそのまま記載する。

(長崎街道)神埼宿

神埼[1]宿は、長崎街道沿いに形成された江戸時代の宿場町です。中世末頃に櫛田宮の門前町として成立した街並みを基盤として、江戸時代には五か所の鍵型をした街並みに改変された宿場です。 神埼宿には、藩主や幕府巡見使・長崎奉行などの宿所や休憩所に使用された本陣や脇本陣・問屋場が置かれ、宿場の東西の入口には木戸が設けられ、出入りが厳重に管理されていました。

神埼宿の様子を記録した「神埼百田旧記」によると、天正19年(1591)に四日町・七日町馬場が立ち、 慶長4年(1599)八日町立、寛永17年(1640)横町杉山が開かれ、元和3年(1617)東溝から三本松まで町立てし、 元禄2年(1689)ひの柱地蔵町が立ち、宿場としての街並みの整備が元禄期頃に整ったことが伺えます。

シーボルトの「江戸参府紀行」には、神埼は約1000戸の街並みで、八つの町に分かれ、長さ一里に及ぶ宿場で、 非常に多くの神社仏閣があったことが記されています。

また、市立の日を示した二日・四日・五日・七日・八日・九日の町名がある、 市立には、その場所以外での取引を禁ずる神埼市場定め十一条が出されています。

現在、宿場当時の街並みは、佐賀の乱[2]の戦火によりそのほとんどが焼失していますが、 ひのはしら一里塚や原岡家住宅などの明治から大正期の建物が一部見られ、当時の面影を見ることができます。

神埼市教育委員会

宿場内の街道沿いには、10ヶ寺が軒を連ねている。 ほんの1時間ほどあれば、お寺めぐりができます。

経路

東の木戸口 標高: 7.7m MAP 4km以内の寺社検索

笹隈川に架かる長橋 - 神埼宿に向かって撮影
笹隈川に架かる長橋 - 神埼宿に向かって撮影 
笹隈川 - 川の中の石組は年代物
笹隈川 - 川の中の石組は年代物 

神埼宿の東の木戸口はこの長橋から4~5軒先にあったという。 はね上げ式の木戸構造で、開門時は通行人はその下をくぐって出入りしていたという。 開門は明け六(午前6時)、閉門は暮れ四(午後10時)拍子木を合図に開閉していたという。

現在はその痕跡は何も残っていない。

取材したとき笹隈川はちょうど掘削工事中であり、川底が見えていた、その両サイドの石組はかなりの年代ものである。

古い商家 標高: 7.7m MAP 4km以内の寺社検索

古い商家
古い商家 

未稿

円楽寺 標高: 8.2m MAP 4km以内の寺社検索

円楽寺
円楽寺 
円楽寺前の街道 - 境原宿に向かって撮影
円楽寺前の街道 - 境原宿に向かって撮影 

円楽寺は虬谷山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。門前には"多門速明の墓"の表示がある。

恵比寿像と観音像 標高: 8.3m MAP 4km以内の寺社検索

聖観音と恵比寿像
聖観音と恵比寿像 
聖観音と恵比寿像前の街道 - 東の木戸口に向って撮影
聖観音と恵比寿像前の街道 - 東の木戸口に向って撮影 

道端に聖観音像と恵比寿像が立っている。

櫛田宮 標高: 10.2m MAP 4km以内の寺社検索

一の鳥居
一の鳥居 
二の鳥居
二の鳥居 

櫛田宮は境内見取り図のとおり広大な敷地に鎮座している。二の鳥居は肥前鳥居である。(慶長7年(1602)の建立とのことである。)

この付近には、御茶屋、高札場、問屋場などがあったという。

太閤道伝説を歩く』によれば、博多の櫛田神社は、平清盛がここから勧請したとの説があるという。

こが酒店前 標高: 10.4m MAP 4km以内の寺社検索

こが酒店前の街道- 境原宿に向かって撮影
こが酒店前の街道- 境原宿に向かって撮影 
こが酒店
こが酒店 

櫛田宮の一の鳥居前にある。

小林薬局前 標高: 8.9m MAP 4km以内の寺社検索

小林薬局
小林薬局 
小林薬局のショーウインドー内の古い看板
小林薬局のショーウインドー内の古い看板 
小林薬局前の商家 - 境原宿に向かって撮影
小林薬局前の商家 - 境原宿に向かって撮影 
恵比寿像(寛政元年己酉銘)
恵比寿像(寛政元年己酉銘) 

恵比寿像には寛政元年己酉(1789)の銘がある。

薬局のショーウインドウには、昔の薬の看板が多数陳列されている。

恵比寿像 標高: 12.3m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像前の街道 - 境原宿に向かって撮影
恵比寿像前の街道 - 境原宿に向かって撮影 

恵比寿様は良いお顔をされている。

街道右手には、輿立山 光蓮寺清流山 明正寺が軒を連ねている。共に浄土真宗本願寺派の寺院である。 光蓮寺の山号「輿立山」は、藩主が櫛田宮に参詣するとき、馬から下りて輿に乗り換えた場所であったことに由来するという。

明正寺の参道口の街道を挟んだ東側は薬師堂への参道口となっており、薬師堂内には櫛田宮の本地仏であった薬師如来像が安置されている(佐賀県重要文化財)。

脇本陣 標高: 8.7m MAP 4km以内の寺社検索

眞光寺
眞光寺 
浄光寺
浄光寺 
浄光寺前の街道 - 境原宿に向かって撮影
浄光寺前の街道 - 境原宿に向かって撮影 
眞光寺駐車場前の古い家並み
眞光寺駐車場前の古い家並み 

大勝山 眞光寺高尾山 浄光寺は脇本陣であったという。 共に浄土真宗本願寺派の寺院である。

街道はここで右にほぼ直角に急カーブする。

恵比寿像 標高: 7.5m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 

浄光寺の正面の街道の反対側の道端に小堂がある。 中には頭部の無い恵比寿像が安置されている。

大圓寺門前 標高: 7.6m MAP 4km以内の寺社検索

大圓寺門前の街道(写真右手が門柱) - 西の木戸口に向って撮影
大圓寺門前の街道(写真右手が門柱) - 西の木戸口に向って撮影 

補陀山 大圓寺の開基は佐賀鍋島藩初代藩主鍋島勝茂公と伝えられている。曹洞宗寺院である。

西の木戸口 標高: 11.9m MAP 4km以内の寺社検索

西の木戸口
西の木戸口 
案内板
案内板 
家並み
家並み 
家並み
家並み 
家並み
家並み 
鳥居
鳥居 
西の木戸口を宿場内に向かって撮影
西の木戸口を宿場内に向かって撮影 

木戸の内外には、数軒の旅籠と旅飯屋があったという。 早立ちする旅人は木戸の外の宿で宿泊したようである。

現在は、木戸の痕跡は何も残っていないが、木戸の形の模型と案内板が設置されている。 観光用に数軒の土産物店、食堂などがあり、音楽が流されている。 木戸口から少し神埼宿内に入ったところには"神埼そうめん"のお店も営業している。

城原川 標高: 12.6m MAP 4km以内の寺社検索

城原川 - 境原宿に向かって撮影
城原川 - 境原宿に向かって撮影 

街道は西の木戸を出て城原川を渡る。当時ここに橋がかかっていたかどうかは定かではないが、 軍事上おそらく橋は無く、船もしくは浅瀬を徒歩もしくは馬で渡ったのではないだろうか?

右の写真は、城原川の神埼宿側の土手から撮影したものである。 街道はしばし川向こうを、城原川に沿って進む。

観音堂 標高: 4.9m MAP 4km以内の寺社検索

観音堂は街道の左手にある。

光巖寺 標高: 6.2m MAP 4km以内の寺社検索

光巖寺は浄土真宗の寺院である。

地蔵橋 標高: 3.5m MAP 4km以内の寺社検索

六地蔵
六地蔵 
地蔵橋交差点 - 境原宿に向かって撮影
地蔵橋交差点 - 境原宿に向かって撮影 

六地蔵は、地蔵橋交差点の手前の20mほど東側の道路脇に鎮座している。

真新しい花が手向けられていた。また、前掛けも新しい。地元の方々の信仰心がしのばれる。

長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2)) 』によれば、元はクリークの中に安置されていたが、近年現在の地に祀られるようになったという。 かつては、水辺の六地蔵と呼ばれていて、クリーク中に水が入っている春から秋にかけてはほとんどが水の中に隠れ、水落が始まる秋から冬にかけてその姿が現れていた。地元の人々はこのことによって冬の訪れを知ったという。

ここよりほどなくして、次の境原宿に入る。

脚注