浜宿(旧:鹿島藩領藤津郡濱町 現:鹿島市浜町)
概要
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街道沿いの天満宮参道口に設置されている案内板の内容を下に記す。
(国選定伝統的建造物群保存地区) 【浜庄津町浜金屋町】【浜中町八本木宿】(選定告示 平成18年7月5日)
浜庄津町浜金屋町地区[1]と浜中町八本木宿地区[2]は多良街道(長崎街道)の宿場町として栄え、 現在の町並みの形態は、宿駅機能が整備された近世初頭には形成されていたと思われます。 長崎警護役を任じられた佐賀藩は、佐賀と長崎の往来の際、多良街道を陸路の主要道として利用しました。 また、鹿島藩の外港であることから、水上交通の拠点としての機能を果たしていました。
伝統的建造物としては、建築物の茅葺や居蔵造の町家・酒蔵・寺社など、工作物に水路の石積み・石橋などがあります。 往時の雰囲気を色濃く残す町並みは、全国の他の都市には見られない景観として大変貴重です。
文化庁・鹿島市・鹿島市教育委員会
酒蔵の多さには驚く。 中島酒造場前の案内板によれば、天保9年(1838)の記録によれば、浜町には9軒の酒蔵があったという。
観光客の為の専用の駐車場・トイレ完備。 毎年3月末には2日間に渡り肥前浜宿花と酒まつりで賑わう。
ここでは、浜宿から、次の多良宿の前までのルートについて記載する。
経路
天満宮 標高: 9.9m MAP 4km以内の寺社検索
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社殿は街道より少し奥まった所にある。 街道沿いの参道口脇に肥前浜宿の案内板がある。これが目印。
社殿は小規模なもの。その隣は浜新町公民館となっている。 当社の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
社殿の前には小堂があり、観音菩薩像と思しき石仏が3体。弘法大師あるいは地蔵菩薩と思しき石仏が1体安置されている。
この辺りが宿場の入口と思われるが、番所・構口などの所在のデータを持ち合わせていない。 ここでは、とりあえずこの辺りを宿場の北側の入口として話を進めよう。(記)
上使屋跡 標高: 11.0m MAP 4km以内の寺社検索
ここより50mほど南に鎮座している若宮神社の隣にあったようだ。
飯盛酒造場 標高: 9.1m MAP 4km以内の寺社検索
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飯盛酒造 -【鹿島市公式観光サイト】かしまいろ参照のこと。
継場跡 標高: 10.5m MAP 4km以内の寺社検索
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継場とは問屋場とも言い、街道を旅する人達を補助する人足・馬・駕籠などを手配する所。 宿場には必須の機構である。
建物は開放されており、1階は観光案内所を兼ねている。 宿場内の写真・チラシなどが置かれている。
案内板によれば、江戸期の建物。2階には季節柄雛人形が飾られていた。 建物の前には昔懐かしいバンコ(長椅子)が置かれ、2階の裏手の部屋の天井は船底形式である。
山口醤油店 標高: 10.4m MAP 4km以内の寺社検索
案内板の内容を下に記す。
山口宗昭家住宅(山口醤油屋)
この住宅は、この通りでも古いものの一つで、19世紀中頃にさかのぼる建物です。 山口家は江戸時代には武士で、鹿島藩士の名簿(着到帳)にも記されています。 建物は入母屋造りで妻入りになっています。 内部は2階建てで、元武士の屋敷らしく格式が高い造りになっています。(以下略)
中島酒造場 標高: 10.3m MAP 4km以内の寺社検索
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蔵前の案内板によれば、当酒造場は浜町の中で最古のもの。 母屋は明治18年、奥座敷は天保年間(1931-1945)のものと推定されるという。
映画「次郎物語」(1987)のロケ地にもなったという。
光武酒造場 標高: 9.5m MAP 4km以内の寺社検索
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ホームページによれば、元禄元年(688)の創業という。
この辺りが宿場の中心であったと思われる。
知恩寺 標高: 8.7m MAP 4km以内の寺社検索
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知恩寺は原山松岡院と号し浄土宗の寺院である。
呉竹酒造場 標高: 10.1m MAP 4km以内の寺社検索
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母屋と土蔵は昭和8年(1933)に建てられたもの。 ケヤキ等の各地銘材を使用し、この通りでは最大のものという。
現在は、酒造りは行われていないが、広い建物を利用して、コンサート・講演会・展示会など多彩なイベントに活用されている。(案内板より)
魚市場 標高: 8.7m MAP 4km以内の寺社検索
この建物は、戦前は魚問屋であった。戦後は魚市組合となり、当地区はもとより現鹿島市内や、遠くは武雄の仲買人が来て賑わっていた。
周辺にはかまぼこ屋・魚屋が多く、昭和37年には株式会社となる。 その後、手狭になったことから昭和39年に浜新町に移転した。
当魚市場前の通りでは毎年1月19日の夜明け前から鮒市が催される。 多くの露天が並び、大勢の人で賑わう。
鮒は昆布巻きにして一昼夜煮込まれフナンコグイという郷土料理になり、恵比寿・大黒などに供えられる。 本来なら鯛を供えるべきところ、有明海ではあまりとれず高価であったため鮒を代用するようになったと云われる。(案内板より)
峰松酒造場 標高: 8.5m MAP 4km以内の寺社検索
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パンフレットによれば、大正8年(1919)の創業。 建物は昭和5年(1930)の建築。
一年を通して無料で酒蔵見学、試飲ができるという。
街道はこの先右に直角にカーブ、その先さらに左に直角にカーブする。
高札場跡 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索
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現在ここに残る遺構は道路元標のみである。 「藤津郡濱町道路元標」と記されている。 案内板によれば、旧「道路施工令」により大正11年(1922)に全国の各市町村に1ヶ所ずつ建てられたという。
案内板にはここに高札場があったと推定できる旨の記事がある。
道路元標の街道を挟んだ向かい側(北側)には観彼山 寶圓寺が伽藍を構えていたが、河川改修工事の為移転した。
この地点は、上流の浜橋と下流の浜大橋とのほぼ中間地点となっているが、どうやら街道はこの地点から浜川の対岸に渡ったようだ。ここに橋があったのかどうかは不詳。
峰松うなぎ屋 標高: 6.6m MAP 4km以内の寺社検索
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街道は浜川を渡り、浜庄津町浜金屋町地区に入る。
ここには創業70年の老舗「峰松うなぎ屋」が店舗を構えている。
浄立寺 標高: 10.6m MAP 4km以内の寺社検索
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浄立寺は法聚山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。
夷(恵比寿)三郎の祠 標高: 8.8m MAP 4km以内の寺社検索
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案内板によれば、貞享4年(1689)に造られたもの。
祠の中には夷像は無く、「夷三郎」と文字が刻んであるのみである。
旧橋本家・筒井家 標高: 9.4m MAP 4km以内の寺社検索
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両家共、よく保存された住宅となっている。 築造年代等は作者は不詳。
民家の脇に光厳寺への参道口がある。 同寺は浄土真宗本願寺派の寺院である。 境内には真宗寺院としては珍しい六地蔵塔がみられる。
一里塚跡 標高: 7.4m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
天満神社 標高: 11.1m MAP 4km以内の寺社検索
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社殿は街道より少し奥まった所にある。 街道沿いの参道口脇に肥前浜宿の案内板がある。これが目印。
社殿は小規模なもの。その隣は浜新町公民館となっている。 当社の縁起等は不詳。分かり次第追記します。
社殿の前には小堂があり、観音菩薩像と思しき石仏が3体。弘法大師あるいは地蔵菩薩と思しき石仏が1体安置されている。
この辺りが宿場の入口と思われるが、番所・構口などの所在のデータを持ち合わせていない。 ここでは、とりあえずこの辺りを宿場の北側の入口として話を進めよう。(記)
浜宿番所口 標高: 13.3m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
矢答の水置場 標高:375.9m MAP 4km以内の寺社検索
佐賀藩主などの往来があると、鹿島藩から鉄砲組をここに配置して警備させた。
太良嶽大権現上宮 Links①一里塚跡 標高:268.0m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。
「多良街道」道標 標高:123.0m MAP 4km以内の寺社検索
未踏査の為未稿。