相知宿おおち(旧:肥前国唐津領 現:佐賀県唐津市相知町)

概要

参道口脇の旧呉服屋「たしろ」(現「たしろ衣料」)(前の道は唐津街道)
参道口脇の旧呉服屋「たしろ」(現「たしろ衣料」)(前の道は唐津街道) 

相知盆地は厳木川と松浦川に形作られた扇状地です。相知は二つの川が「逢う地」。これがこの「相知」の名の由来と思われる。

唐津城下と伊万里、多久、佐賀を結ぶ交通の要衝として、後には炭鉱として栄えた。 あたりの丘陵地には立石岩陰遺跡、鵜殿岩陰遺跡、天徳山遺跡などの遺跡が残る。(以上 <たてものがたり(19)>相知の旧呉服屋たしろ 宿通りの面影色濃く|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE(2021-09-30)より)

相知宿から山本宿の手前までのルートについて記載する。

経路

東枡形 標高: 12.3m MAP 4km以内の寺社検索

枡形 - 相知宿に向って撮影
枡形 - 相知宿に向って撮影 
地蔵堂(地蔵菩薩と恵比寿像が祀られている)
地蔵堂(地蔵菩薩と恵比寿像が祀られている) 
地蔵堂遠景
地蔵堂遠景 
地蔵堂から北側の町並み - 山本宿に向って撮影
地蔵堂から北側の町並み - 山本宿に向って撮影 

道の形状は枡形(鍵型)構造をしているが、これが宿場内の防衛の為にこの形をしているのか、 すぐ北側を流れる厳木(きゅうらぎ)川との関係で結果的にこの形になったのかはわからない。

当サイトでは、ここを相知宿の東側の入口と仮定することにする。

枡形の曲がり角にある大坪時計店の脇には地蔵堂がある。御堂内には恵比寿像も祀られている。 ここから先しばらくの間は昔懐かしい町並みがみられる。

熊野神社参詣口 標高: 13.5m MAP 4km以内の寺社検索

社殿
社殿 
お籠り堂(と思われる)
お籠り堂(と思われる) 
石段(122段ほど。かなりきつい)
石段(122段ほど。かなりきつい) 
参道途中を横切るJR唐津線(左右方向)
参道途中を横切るJR唐津線(左右方向) 
一の鳥居
一の鳥居 
熊野神社の森(遠景) - 参道口より撮影
熊野神社の森(遠景) - 参道口より撮影 
参道口(左手が参道口・前方に旧呉服屋「たしろ」が見える)
参道口(左手が参道口・前方に旧呉服屋「たしろ」が見える) 

熊野神社は14世紀頃に相知氏によって、紀伊国(和歌山県)の熊野三山の神仏を勧請して祀られたことが始まりと考えられる。 16世紀には波多氏や近隣の松浦党の武将たちも厚く崇拝していた。 武将たちの奉納品が現在も残っている。

懸仏(非公開)
享録4年(1531)波多盛が奉納したもの。円形状の桧材の板と共に阿弥陀如来像と薬師如来像の2体が残っている。(唐津市重要文化財)
肥前こま犬(非公開)
天正年間(1573-1596)厳木地方(現厳木町)を支配していた獅子城主(厳木町浪瀬)の鶴田上総介賢に奉納されたもの。

毎年10月に行われる「相知くんち」は、神輿行列・山笠・大名行列(唐津市無形民俗文化財)などで賑わいを見せている。(以上 境内の案内板より)

参詣口に向って右手には旧呉服屋「たしろ」(現「たしろ衣料」)がある。 呉服屋「たしろ」は明治時代、質屋も兼ねていた。着物は持ち運びのできる財産で質草にもなる。 昔は着物を倉庫代わりに預ける感覚もあったとか。着物の扱いに()けた呉服屋が質屋、古着屋を兼ねるのは合理的といえる。江戸時代までは庶民には高価であった蚊帳(かや)も扱った。(<たてものがたり(19)>相知の旧呉服屋たしろ 宿通りの面影色濃く|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE(2021-09-30)より)

石塔 標高: 10.5m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

この先は山本宿である。