桃川宿もものかわ(旧:佐賀領桃川村 現:佐賀県伊万里市松浦町)

概要

桃川宿内の街道 - 伊万里に向って撮影
桃川宿内の街道 - 伊万里に向って撮影 
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示れた案内板より
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示れた案内板より 
石敢當斜め前の酒店
石敢當斜め前の酒店 

ここでは桃川宿より伊万里宿の手前までのルートを記載する。

当往還は桃川から山形・伊万里方面への主要道路であった。 佐賀藩主は伊万里巡検の折に通ったと伝えられる。(『松浦GUIDE MAP』より)

桃川口留番所跡の掲示された地図によれば、桃川→山方→伊万里と記されている。この山方の場所がわからない。

[メモ]『測量日記』の下記の記事は桃川宿から伊万里への測量の順路のようだ。太字の部分がルート解明の鍵のようだ。

文化9年(1812)9月10日 晴天

(前略)松浦川渡24間、桃ノ川宿人家15軒、小休日渡与兵衛、右に薬師堂、字後田、後田峠、字下平、山方村字久良木、左に鎮守豊姫大明神、 昼休油屋忠兵衛、左の山上に弁天社、枝金石原、字波瀬峠、(後略)

本ルートのほとんど全ては『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』を参考にしている。

経路

桃川橋 標高: 24.3m MAP 4km以内の寺社検索

桃川橋 - 伊万里に向って撮影
桃川橋 - 伊万里に向って撮影 
浄誓寺 - 桃川橋より撮影
浄誓寺 - 桃川橋より撮影 
松浦川で遊ぶカモ - 桃川橋より撮影
松浦川で遊ぶカモ - 桃川橋より撮影 
桃川橋
桃川橋 

現在は、ここで桃川橋を渡るが、江戸中期の絵図(当の先頭に掲示)では橋はなかったようだ。 飛石を伝わって渡ったのだろうか?

現在の水深では渡れないことはなさそうだが。。。

恵比寿像 標高: 29.9m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像前の街道 - 伊万里に向って撮影
恵比寿像前の街道 - 伊万里に向って撮影 

街道左手に露座状態の恵比寿像が鎮座している。

街道はこの辺りから登り坂となる。

石敢當 標高: 32.0m MAP 4km以内の寺社検索

石敢當
石敢當 
石敢當前の街道 - 伊万里に向って撮影
石敢當前の街道 - 伊万里に向って撮影 

街道左手に露座状態の石敢當(いしがんとう)が立っている。

佐賀藩西目代官所口 標高: 32.5m MAP 4km以内の寺社検索

ここは三ツ辻となっており、伊万里に向って右手に曲がった先には佐賀藩西目代官所があったという。(江戸中期の絵図(当の先頭に掲示)より)

後田薬師堂六躯地蔵参道口 標高: 32.8m MAP 4km以内の寺社検索

参道口下の街道 - 伊万里に向って撮影
参道口下の街道 - 伊万里に向って撮影 
祭壇 - 薬師堂
祭壇 - 薬師堂 

街道沿いに白杭の道標「後田峠・薬師堂六躯地蔵」がある。

細長い石段あり。この上に『測量日記』の記事に記された薬師堂(後田薬師堂六躯地蔵がある。

緑のトンネルの始まり 標高: 51.5m MAP 4km以内の寺社検索

緑のトンネルの始まり
緑のトンネルの始まり 
少し手前の街道
少し手前の街道 
街道沿いの池の上の枝で羽を休めるアオサギ
街道沿いの池の上の枝で羽を休めるアオサギ 

街道はこの先、両サイドが杉木立で覆われた道となり、後田峠に向って登る。

少し手前には街道左手に池がある。

後田峠 標高: 56.5m MAP 4km以内の寺社検索

後田峠 - 伊万里に向って撮影
後田峠 - 伊万里に向って撮影 

歩いていてこの辺りが峠と思われる。 昼尚薄暗い峠である。

峠附近には目印となるようなものは無い。

厳島弁財天社 標高: 40.0m MAP 4km以内の寺社検索

厳島弁財天社石段前の街道 - 伊万里に向って撮影
厳島弁財天社石段前の街道 - 伊万里に向って撮影 
弁天堂 - 伊万里に向って撮影
弁天堂 - 伊万里に向って撮影 

厳島弁財天社は伊万里に向って右手の石段を登った所に鎮座している。

新旧2体が祀られており、古い方の弁財天は慶応3年(1867)に奉造されたものという。

文化9年(1812)にここを通過した伊能隊もこの弁財天を拝んだのだろう。

伊能の測量隊は桃川番所から当街道を通って伊万里に向う途中の情景を「の山上に弁天社」と記している。 この記述が正しいとすると、街道はこの場所(弁財天社の南側)でなく、弁財天社の北側を通っていたことになる。 この記述が「左」でなく「右」の書き誤りであることを願うばかりである。

地蔵と石塔 標高: 36.5m MAP 4km以内の寺社検索

遠景(記念碑・石塔・墓碑などがみられる)
遠景(記念碑・石塔・墓碑などがみられる) 
地蔵菩薩(写真中央)
地蔵菩薩(写真中央) 
地蔵・石塔前の街道
地蔵・石塔前の街道 

ここには、地蔵菩薩の他は近代に入って建てられた記念碑・墓碑などがある。

この記念碑は道の改良工事に関連したもののようで、この地点前後の街道は多少変更されているのかも知れない。

歓喜天堂・豊姫神社 標高: 36.1m MAP 4km以内の寺社検索

歓喜天堂・豊姫神社前の街道 - 伊万里に向って撮影
歓喜天堂・豊姫神社前の街道 - 伊万里に向って撮影 
全景(赤矢印の先に歓喜天堂)
全景(赤矢印の先に歓喜天堂) 
歓喜天堂
歓喜天堂 

歓喜天堂・豊姫神社は街道の左手にある。

豊姫神社は正保4年(1647)の「肥前一国絵図」に登場する。それ以前の創建である。

歓喜天像は名号石のお姿。元禄12年(1699)銘。

地蔵菩薩 標高: 39.4m MAP 4km以内の寺社検索

北側の桃川伊万里往還(左手に地蔵堂) - 伊万里に向って撮影
北側の桃川伊万里往還(左手に地蔵堂) - 伊万里に向って撮影 
遠景 - 北側の街道より撮影
遠景 - 北側の街道より撮影 

境内に掲示された由来書によれば、昔はここには山があり、地蔵菩薩はその山の上に祀られていたという。

釈那身童子地蔵 標高: 41.7m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵菩薩
地蔵菩薩 
地蔵菩薩台座部拡大(文字・絵が記されているが判読できない。左端の「六月」の文字は読める)
地蔵菩薩台座部拡大(文字・絵が記されているが判読できない。左端の「六月」の文字は読める) 
順路①(前後方向が街道) - 伊万里に向って撮影
順路①(前後方向が街道) - 伊万里に向って撮影 
順路②
順路② 
順路③
順路③ 
順路④遠景(赤丸の所)
順路④遠景(赤丸の所) 

『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ』p78によれば、釈那身童子地蔵(「天明3年(1783)」銘)は金石原の三つ辻に立っているという。

2022-01-29に続き、2022-02-09に当地蔵尊を探索。 地蔵菩薩をやっとこさ発見!発見した尊像が上の「釈那身童子地蔵」かどうかは確認できない。 周辺には他に地蔵菩薩と思しきものは見つからない。 消去法で発見したこの尊像が釈那身童子地蔵であろうと強引に仮定することにする。

尊像は作者が普段目にするお姿と何ら変わりがないように思える。 像高約30cm。 台座に文字・絵がびっしりと刻まれている。 わずかに左端の「六月」の文字だけ判読できるがその他は判読不可。

「釈那身童子地蔵」。作者は初めて聞く尊名である。

尊像の祀られている場所は、街道のある三叉路から少し右手に入った所の木の下。 画像に順路を①〜④で記している。

元はこの三叉路にあったものを現在の場所に移動させたものと思われる。

子安観音参道口 標高: 44.7m MAP 4km以内の寺社検索

観音堂
観音堂 
参道口(前後方向の道は街道。赤丸内に「⑱子安観音(0.2k)」と記された道標が立っている)
参道口(前後方向の道は街道。赤丸内に「⑱子安観音(0.2k)」と記された道標が立っている) 
参道口の南側を疾走する筑肥線車両 - 参道口附近より撮影
参道口の南側を疾走する筑肥線車両 - 参道口附近より撮影 

街道脇に子安観音の参道口がある。

観音堂への参道は分かりづらい。上のページを参照のこと。

この前後の街道は筑肥線の線路を縫うように走っている。

中野原薬師堂 標高: 63.3m MAP 4km以内の寺社検索

薬師堂遠景
薬師堂遠景 
超遠景(左右方向の道が街道)
超遠景(左右方向の道が街道) 

中野原薬師堂内の薬師如来の隣に祀られている地蔵菩薩像は宝暦12年(1762)銘。(『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ』より )

当薬師堂は伊万里新四国霊場第22番(本尊:薬師如来)となっている。

波瀬峠 標高: 73.9m MAP 4km以内の寺社検索

波瀬峠(赤矢印の地点)
波瀬峠(赤矢印の地点) 
波瀬峠(赤丸印の地点)
波瀬峠(赤丸印の地点) 

街道は波瀬峠の直前で旧道に入る。 と、いうよりも現在の舗装された道はこの峠を削って造られた道で、現在わずかに残る旧道が昔からの街道だろう。

旧道はわずか60m前後の距離。新道脇の石垣の上の民家の前を通る細い道である。

旧道の石垣沿いには手すりなど設置されていない。 転落にはご用心。

西念寺 標高: 25.9m MAP 4km以内の寺社検索

全景(左右方向の道が街道)
全景(左右方向の道が街道) 
本堂
本堂 

西念寺は松栄山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。

大坪町の御堂 標高: 20.0m MAP 4km以内の寺社検索

拝殿
拝殿 
御堂脇の街道 - 伊万里に向って撮影
御堂脇の街道 - 伊万里に向って撮影 

大坪町の御堂には石祠内に如来型石仏と、その前に地蔵菩薩が祀られている。

八坂神社 標高: 13.7m MAP 4km以内の寺社検索

社殿
社殿 
ニの鳥居(肥前鳥居)
ニの鳥居(肥前鳥居) 
門前の風景(前方は一の鳥居・左右方向の道は桃川伊万里往還)
門前の風景(前方は一の鳥居・左右方向の道は桃川伊万里往還) 

八坂神社は中世に松浦地方を支配していた松浦党一族の地北(じきた)氏の城跡で、守護神として祇園社を勧請したものと思われる。 中腹には「寺屋敷跡」と呼ばれる場所があり、地北氏ゆかりの寺と考えられる。

境内には肥前鳥居肥前狛犬逆修板碑六道板碑などがみられる。 これらは慶長期(1596-1610)に建造された一連の石造物と推定される。(以上 境内の案内板(伊万里市教育委員会)より)

至近距離に山王神社が鎮座している。

祇園町地蔵堂 標高: 9.4m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵堂前の風景(前後方向の道が街道、画像右端に陶器の壺が見える)
地蔵堂前の風景(前後方向の道が街道、画像右端に陶器の壺が見える) 
地蔵堂内
地蔵堂内 

祇園町地蔵堂内には3体の地蔵菩薩が祀られている。

現在ではこの辺りから伊万里の町中となる。

地蔵堂前には陶器製の壺が置かれている。街道の反対側にも同様の壺が見られる。

追分 標高: 8.3m MAP 4km以内の寺社検索

追分(前後方向が唐津街道と桃川伊万里往還、唐津街道はここで画像の右側(北側)にそれる)
追分(前後方向が唐津街道と桃川伊万里往還、唐津街道はここで画像の右側(北側)にそれる) 

ここは、当桃川伊万里往還と唐津街道(唐津街道_佐賀長崎路)との追分である。

この地点には、追分を示す道標などは確認できない。

街道は、この先伊万里の町中方面と徳須恵方面に分岐する。