桃川番所跡もものかわばんしょあと(旧:佐賀領桃川村 現:佐賀県伊万里市松浦町)

概要

ここでは桃川番所跡より大川野宿までのルートを記載する。

桃川宿は桃川口留番所より追分より西側の松浦川を渡ったあたりだったようだ。 桃川口留番所より桃川宿を通り伊万里へのルートは「桃川伊万里往還」「伊万里道」と呼ばれていたようだ。

西に進めば、伊万里に至る往還となっている。

本ルートのほとんど全ては『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』を参考にしている。

経路

桃川口留番所跡 標高: 29.3m MAP 4km以内の寺社検索

全景
全景 
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影 
領境石
領境石 
裏手の神社
裏手の神社 
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右)
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右) 
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました 

過去の番所の遺構などは確認できない。 番所の門の模型・「諏訪神社御神幸御旅所・諸祭事用地」の建物それと領境石がある。

領境石は、ここより3km程北の桃川新橋の北側にあったもの(下の領境石推定地参照)。 明治になって保存の為移設されたものという。

文化9年(1812)には伊能忠敬一行がこの地を測量したという。

慶長2年(1597)2月には秀吉の禁教令によって捕らえられたキリシタン26名とその護衛の一行(総勢300名近く)がこの地を通過したという。

この前の道を西に100mほど進むと桃川宿・佐嘉藩西目代官所があったという。 この道は伊万里に通じる道である。

石塔(緑のトンネル始まり?) 標高: 51.3m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為未稿。

緑のトンネル終わり 標高: 42.5m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為未稿。

「唐津街道」道標(白杭状)-この辺りに「田代可休の碑-寛政4年」があるはず 標高: 32.5m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為未稿。