厳木宿きゅうらぎ(旧:肥前国唐津藩領 現:佐賀県唐津市厳木町)

概要

肥前鳥居 - 上より撮影(室園神社)
肥前鳥居 - 上より撮影(室園神社) 

『唐津街道 肥前長崎路から時津街道へ』によれば、厳木宿は唐津藩と佐賀藩の国境の町であったという。番所付近ではなかろうか?

長崎街道厳木宿から相知宿の手前までのルートについて記載する予定である。

経路

大師堂 標高: 56.8m MAP 4km以内の寺社検索

大師堂
大師堂 
お堂脇の石仏群
お堂脇の石仏群 

大師堂内には、弘法大師像が安置されている。 お堂脇には4体の石仏がみられる。

覚圓寺 標高: 59.3m MAP 4km以内の寺社検索

覚圓寺先の街道 - 牛津宿に向かって撮影
覚圓寺先の街道 - 牛津宿に向かって撮影 
覚圓寺先の民家
覚圓寺先の民家 
覚圓寺先に貼られた看板(懐かしい)
覚圓寺先に貼られた看板(懐かしい) 

覚圓寺は豊國山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。

寺前後の道は蛇行している。

長厳寺 標高: 49.3m MAP 4km以内の寺社検索

本堂
本堂 
門前の唐津街道(左手が長厳寺) - 相知宿に向かって撮影
門前の唐津街道(左手が長厳寺) - 相知宿に向かって撮影 

長厳寺は大蔵山と号し曹洞宗の寺院である。

室園神社 標高: 49.1m MAP 4km以内の寺社検索

肥前鳥居
肥前鳥居 
石垣(上部に社殿が見える)
石垣(上部に社殿が見える) 

室園神社は天正2年(1574)獅子城(ししがじょう)鶴田越前守前(つるたえちぜんのかみすすむ)が城の鬼門の祭神として、蔵王権現を奉納したことに始まると伝わる。境内の肥前鳥居は高さ2.38m、笠木の長さ2.74m。 柱には「願主鶴田上総介賢(つるたかずさのすけかしこ)」「天正18年(1590)庚寅11月吉日」の銘がある。佐賀県内でも最古級のものである。(境内の案内板(唐津市教育委員会)より)

五輪塔群 標高: 52.9m MAP 4km以内の寺社検索

五輪塔群前の街道 - 相知宿に向かって撮影
五輪塔群前の街道 - 相知宿に向かって撮影 
五輪塔群
五輪塔群 
五輪塔群(拡大)
五輪塔群(拡大) 

街道脇に多数の五輪塔がある。中心に卵形墓碑もある。

これはご当地でたまに見る「末孫様(ばっそんさま)」ではなかろうか? 「末孫様(ばっそんさま)」については瑞巌寺跡参照のこと。

街道の左手には水路がある。道幅は昔のままのようである。

石塔・石仏群 標高: 49.0m MAP 4km以内の寺社検索

石塔・石仏群前の街道 - 相知宿に向かって撮影
石塔・石仏群前の街道 - 相知宿に向かって撮影 
石塔群
石塔群 
野仏
野仏 
野仏(拡大・観音菩薩か?)
野仏(拡大・観音菩薩か?) 
野仏(拡大・尊名不詳)
野仏(拡大・尊名不詳) 

ここにも仏に関連する石塔・石仏群がみられる。

石塔・墓碑群 標高: 46.2m MAP 4km以内の寺社検索

石塔・墓碑群
石塔・墓碑群 
石塔・墓碑群前の街道(写真右手の道路は県道350号線) - 相知宿に向かって撮影
石塔・墓碑群前の街道(写真右手の道路は県道350号線) - 相知宿に向かって撮影 

街道はこの先もしばらく、室園神社の鎮座する山を巻くように山裾を進む。

愛宕神社 標高: 38.4m MAP 4km以内の寺社検索

鳥居
鳥居 
門前の唐津街道(左手が愛宕神社) - 相知宿に向かって撮影
門前の唐津街道(左手が愛宕神社) - 相知宿に向かって撮影 

愛宕神社の門前には街道と並行して、JR唐津線と厳木川が流れている。

地蔵群 標高: 38.9m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

六地蔵 標高: 30.2m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

観音像(文久2年) 標高: 30.2m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

町切の飛び石渡跡 標高: 28.2m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

岩屋水天宮 標高: 27.8m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

天照皇太神宮・猿田彦大神 標高: 22.9m MAP 4km以内の寺社検索

未踏査の為、未稿。

金剛寺 標高: 20.0m MAP 4km以内の寺社検索

金剛寺は鎮西高野山と号し真言宗醍醐派の寺院である。

金比羅神社 標高: 19.2m MAP 4km以内の寺社検索

①金比羅神社東側の唐津街道(と思われる。写真中央が金比羅神社)
①金比羅神社東側の唐津街道(と思われる。写真中央が金比羅神社) 
②金比羅神社東側の唐津街道(と思われる。写真左手が金比羅神社)
②金比羅神社東側の唐津街道(と思われる。写真左手が金比羅神社) 
仏堂 - 金比羅神社社殿の左手奥
仏堂 - 金比羅神社社殿の左手奥 
拝殿 - 金比羅神社
拝殿 - 金比羅神社 

下記の資料によれば、街道はここより100mほど手前から、当社の東側を通り、左折するようだ。 現在は街道と思しき所が畑地・野原となってその痕跡は判然としない。(2021-10-03記)

神殿両側の末社には5体の肥前狛犬が見られる。

拝殿の左手奥には長部田仏堂があり、相知四国霊場第35番となっている。

参考:『唐津街道 肥前長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』

仏堂 標高: 18.0m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵堂脇の街道(赤丸に地蔵堂。前方の左右方向の道は県道350号線)
地蔵堂脇の街道(赤丸に地蔵堂。前方の左右方向の道は県道350号線) 
地蔵堂遠景(地蔵堂は写真中央。左右方向の道は県道350号線)
地蔵堂遠景(地蔵堂は写真中央。左右方向の道は県道350号線) 
地蔵堂
地蔵堂 
中央の地蔵菩薩(お顔がリアル)
中央の地蔵菩薩(お顔がリアル) 

街道をこの仏堂の前後でクランク状に曲がり、県道350号線と合流して相知宿に向かう。

仏堂内には3体の石仏が祀られている。 左手は尊名不詳、残りの2体は地蔵菩薩。 中央の地蔵菩薩はお顔がリアルである。

浦上火薬店 標高: 15.0m MAP 4km以内の寺社検索

①浦上火薬店手前 - 唐津に向かって撮影
①浦上火薬店手前 - 唐津に向かって撮影 
②浦上火薬店手前 - 唐津に向かって撮影
②浦上火薬店手前 - 唐津に向かって撮影 
③浦上火薬店手前の街道 - 唐津に向かって撮影
③浦上火薬店手前の街道 - 唐津に向かって撮影 
④浦上火薬店前の街道
④浦上火薬店前の街道 
火薬庫 - 浦上火薬店前の街道を挟んだ向かい側
火薬庫 - 浦上火薬店前の街道を挟んだ向かい側 
浦上火薬店前の入口
浦上火薬店前の入口 
唐津街道の道標 - 浦上火薬店前
唐津街道の道標 - 浦上火薬店前 

街道は浦上火薬店の前後でクランク状に曲がっている。 写真の①〜④の順である。街道は①の地点より上り坂、この先の大日堂あたりが坂の頂上か? 街道横に真新しい道標があり、この前後の道幅は当時のままと記してある。

当火薬店の建物・石垣などはしっかりとした造りである。 近所の方にお聞きすると、今でも住宅として利用されているとの事。

ここよりすぐ東側に岩栄土場跡(海軍土場)があるという。 その地点には石垣が残っているという。草が繁茂しており近づけず未確認。 佐賀新聞LIVE(2017-02-11)「さが維新前夜 唐津炭田の夜明け(6)」の一部を下に引用する。

唐津市相知町の旧唐津街道沿い。厳木川と土手で隔てられた一角に、テニスコートほどの草地がある。ここが幕末から明治にかけて、石炭を積み出す場所として川船が寄り集った土場と聞いても、面影はない。隅にかろうじて残る高さ2メートルほどの石垣だけが、往時をしのぶよすがだ。

唐津市の相知や厳木、北波多には「唐津炭田」と呼ばれる炭鉱群があった。享保年間(1716-35)に北波多で、農民が偶然に「燃える石」を発見したことが起源とされる。炭層が地表に近く、採炭も容易だったといい、まき代わりの燃料や、塩田で海水を煮詰める作業で利用されていく。天明8年(1788)には唐津藩が、九州の諸藩に先駆けて石炭採掘に関する法令を定め、専売化した。

地の神三十六神 標高: 17.4m MAP 4km以内の寺社検索

石碑
石碑 
石碑前の街道 - 唐津に向かって撮影
石碑前の街道 - 唐津に向かって撮影 

石碑には「地の神三十六神」「岸岳末孫一同の神」と記されている。

「岸岳」とはここより直線距離で北西4kmにある山。 ここには波多氏が城を構えていた。 秀吉に改易され、一族・家臣は四散したと聞く。 その一族あるいは、家臣達がこの周辺に移り住んだのかもしれない。 (瑞巌寺の記事も参照のこと。)

大日堂 標高: 17.7m MAP 4km以内の寺社検索

大日堂前の街道(大日堂は右の建物の先にある) - 唐津に向かって撮影
大日堂前の街道(大日堂は右の建物の先にある) - 唐津に向かって撮影 
大日堂(写真の丸印)
大日堂(写真の丸印) 

大日堂は中園公民館の建物の表に埋め込まれた形となっている。

村田英雄記念館北 標高: 15.3m MAP 4km以内の寺社検索

村田英雄記念館
村田英雄記念館 
村田英雄記念館
村田英雄記念館 
村田英雄記念館入館券
村田英雄記念館入館券 

ご存知、村田英雄。昭和4年(1929)、福岡県うきは市にて出生。 3歳の時、当地に一家で引っ越す。 その後浪曲の道に進み、昭和を代表する歌手となった。(村田英雄 - Wikipedia より)

記念館は街道より一本西側の道沿いにある。

この先は相知宿である。