川古宿かわご(旧: 現:佐賀県武雄市)

概要

ここでは朝日西分より徳須恵までのルートを記載する。

本ルートのほとんど全ては『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』を参考にしている。

経路

大師堂 標高: 58.7m MAP 4km以内の寺社検索

大師堂
大師堂 
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影 

詳細は大師堂のページをご覧下さい。

川古の大楠 標高: 57.5m MAP 4km以内の寺社検索

大楠
大楠 
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影 

大楠は樹周21m、樹高25m、根周り33m。全国で5番目の大きさを誇るものという。

公園内には観音堂がある。 詳細は観音堂のページをご覧ください。

火伏地蔵尊 標高: 59.3m MAP 4km以内の寺社検索

七地蔵塔
七地蔵塔 
石仏
石仏 
全景
全景 
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影 

境内の案内板の内容を下に記す。

火伏地蔵尊(ひよけじぞうそん)の由来

江戸時代の文化9年(1812)長崎脇街道(唐津街道)の宿場であった川古宿に原因不明の大火災が起こり、 約50戸の人家が全焼し、街道を覆うように茂っていた大楠まで枝葉を焼き取られてしまった。

住む家も失い、火災の悲惨さを身を以って感じた住民たちは二度と火災が起こらないようにと、 六地蔵に火伏地蔵尊一体を加え七地蔵とし、嘉永5年(1852)宿通りの真中に火伏地蔵尊として建立し、 火災撲滅を祈願した。

爾来この習慣は現在に至るまで続けられ、毎年、8月23日は火伏地蔵祭りとして区民あげて盛大に行われ、 近隣からの参詣者も多い。

平成12年(2000)8月吉日 皿宿区

このあたりが川古宿であったようである。 この前後の道幅はほぼ昔のままのようである(2間程度)。

六地蔵塔と地蔵 標高: 55.7m MAP 4km以内の寺社検索

全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘)
全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘) 
六地蔵塔
六地蔵塔 
遠景
遠景 
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影 

ここには、六地蔵塔、2体の地蔵菩薩像、石灯籠がある。

石灯籠には延享5年(1748)の銘あり。

自然石板碑 標高: 54.4m MAP 4km以内の寺社検索

板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘)
板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘) 
石段
石段 
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影 

板碑は坂の上にある。 両側は草でほぼ覆われている。 板碑の裏の年号などの確認は長いものの気配を感じ断念。

板碑には「天照皇太神宮■結衆」銘あり。

秀岩寺 標高: 51.1m MAP 4km以内の寺社検索

秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影
秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影 
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影 
遠景
遠景 

秀岩寺は高峯山と号し、曹洞宗の寺院である。