若松宿わかまつ(旧:筑前国遠賀郡若松村 現:北九州市若松区)

概要

洲口番所跡石碑
洲口番所跡石碑 
若松浦・蛭子社・日吉社 問屋場・回船 図(巻之7遠賀郡)
若松浦・蛭子社・日吉社 問屋場・回船 図(巻之7遠賀郡)
『筑前名所図会』

ここでは若松宿より芦屋宿に至る街道を記載する。

筑前國続風土記』巻之15 遠賀郡下に下記のような記述がある。

○若松

町あり。民家多し、(これ)當國東北の端に在て、豊前長門(およそ)上方への渡口なり。 むかしは修多羅(すたら)の枝村なりしが、長政公入國の後、別村となる。 宗祇が筑紫紀行に(いわく)、「うつりて行て筑前國若松の浦といふにつきぬ。 則此所をしる人麻生の何某兄弟、ある寺にむかへとりぬ。 かた山かけてうへ木たかきかげあり。内外の海を見るに、芦屋のけぶり、 くれわたる入日影に移ろうほど、又いふかたなし。 此二人は将軍家の奉公の人に侍れば、都の物語こまやかにして、いろいろのさかなもとめ出たるほど、こよろぎのいそがはしさも思ひやらる。 さかづきさかななり、さし更る月のひかりも思ひやらる。 さかづきさかななり、さし更る月のひかりもただばらず。 今宵は十三夜なれば、発句
名やおもふ今宵しぐれぬ秋の月」

この時宗祇が宿せし寺は正法寺といふ禅寺なり。 今は廃してなし。長政公入国の後、此所に飛船數十艘をつなぎ、舟司舟人等多く置て、 急用に備へらる。 これは芦屋洋は風あらき時は、舟の往来成がたき故、此所より使の人を舟にのせて、 大阪に遣すべき為なり。

経路

洲口番所跡 標高: 6.1m MAP 4km以内の寺社検索

フェリー乗り場
フェリー乗り場 
フェリー
フェリー 
洲口番所跡横の街道 - 芦屋宿に向って撮影
洲口番所跡横の街道 - 芦屋宿に向って撮影 

街道は対岸の戸畑より船で渡り芦屋宿へと進む。 今でも程近いところに戸畑へ渡るフェリー乗り場があり、利用者も多いようである。 余計な亊ではあるがフェリー料金が大人片道¥100である(2009/11現在)。安い。 運営会社は未確認であるがこれで運営できるのであろうか?

石碑の脇にある案内板の内容をそのまま記載する。

洲口番所は船着番所とか船改(ふなあらため)番所ともいい、 正徳年間(1711-1716)福岡藩が人や品物の出入を監視、管理するために設けたものです。 若松のほか芦屋と福岡に置かれていました。

この番所は寛延4年(1751)若松代官が廃止されてから、黒崎代官の管轄になり、 明治4年(1871)に廃止されました。

北九州市教育委員会

吉祥禅寺前 標高: 4.4m MAP 4km以内の寺社検索

吉祥禅寺の山門
吉祥禅寺の山門 
吉祥禅寺前の街道 - 芦屋宿に向って撮影
吉祥禅寺前の街道 - 芦屋宿に向って撮影 
吉祥禅寺前の古い商家
吉祥禅寺前の古い商家 

吉祥禅寺は曹洞宗のお寺で山号を瑞雲山と云う。 その裏手には若戸大橋がひかえる。 山門・本堂共かなり古いものであり格式を感じる。

筑前國続風土記』巻の三によれば福岡市中央区の吉祥寺は本寺の子院であったようである。

善念寺前 標高: 2.9m MAP 4km以内の寺社検索

善念寺の境内
善念寺の境内 
善念寺前の街道 - 芦屋宿に向って撮影
善念寺前の街道 - 芦屋宿に向って撮影 

善念寺は浄土宗の寺院である。 山号を若松山という。

境内には黒田二十四騎の一人三宅家義の墓がある。 慶長5年(1600)長政が筑前に入国後、36000石を受け、若松城の城主として豊前口の防備にあたったという。 以前は市役所北側にあったが現在当寺に移されている。

境内の大きな石地蔵はよく目立つ。 境内の案内板によれば本堂は明治29年(1896)に建て替えられたものとある。

エトス本町商店街-ウェル本町商店街 標高: 2.0m MAP 4km以内の寺社検索

エトス本町商店街入口 - 芦屋宿に向って撮影
エトス本町商店街入口 - 芦屋宿に向って撮影 
ウェル本町商店街入口 - 芦屋宿に向って撮影
ウェル本町商店街入口 - 芦屋宿に向って撮影 

街道はここより商店街の中を一直線に進む。 ウェル本町商店街には手動式のポンプが街道筋にいくつもあった亊が印象的である。

極楽寺前 標高: 1.7m MAP 4km以内の寺社検索

極楽寺の山門
極楽寺の山門 
極楽前の街道 - 芦屋宿に向って撮影
極楽前の街道 - 芦屋宿に向って撮影 

極楽寺は商店街のはずれに伽藍を構える浄土真宗本願寺派のお寺である。 寺前の案内板によれば寛政元年(1460)に開基されたとある。

若松駅前 標高: 1.6m MAP 4km以内の寺社検索

若松駅
若松駅 
若松駅のホーム
若松駅のホーム 
セム1石炭車
セム1石炭車 
セム1石炭車
セム1石炭車 

若松駅は筑豊本線の終点駅で昔は筑豊本線沿い炭鉱からの石炭の集散地であった。 駅の脇の屋外に陳列されている石炭車は作者が子供のころ良く見かけたものであり懐かしい。

善光寺 標高: 9.4m MAP 4km以内の寺社検索

寺裏手の唐津街道(左手が善光寺) - 芦屋宿に向かって撮影
寺裏手の唐津街道(左手が善光寺) - 芦屋宿に向かって撮影 
善光寺山門
善光寺山門 

街道は寺の裏側を通る。この前後の街道は、再開発の為途切れている。

善光寺は洞海山法蔵院と号し浄土宗の寺院である。

白山神社 標高: 6.4m MAP 4km以内の寺社検索

日吉神社参道 標高: 14.4m MAP 4km以内の寺社検索

日吉神社はここより130mほど北に登った所に鎮座している。

二島駅前 標高: 6.1m MAP 4km以内の寺社検索

二島駅
二島駅 

未稿

汐分地蔵 標高: 2.7m MAP 4km以内の寺社検索

地蔵堂
地蔵堂 

洞海湾及び遠賀川から江川に満ち上がって来る潮がこの付近で会合し、また両側へ引き退いていた潮の分岐点であった。 従って、ここを通過する船は、満潮にならないと通れないため、この地蔵堂の前あたりが、潮待ちの場所となっていたという。 詳細は汐分地蔵参照のこと。

小敷の太古水 標高: 1.9m MAP 4km以内の寺社検索

太閤水
太閤水 
太閤水前の街道 - 芦屋宿に向って撮影
太閤水前の街道 - 芦屋宿に向って撮影 

『筑前國続風土記』巻之14の内容をそのまま引用する。

○太閤水

小敷村の西四五町、洞海(くきのうみ)[1]の南側海辺にあり。 道のほとりなり。 小敷村の境内也。 豊臣秀吉公筑紫に下り給ひし時、 此処にて人をして地を掘らしめて水を得たり。 頃刻(きょうこく)[2]に則石を畳みて井とし玉ふ。 後人是に依て太閤水と號す。 (その)(はなはだ)いさぎよし。 近村の酒家此水を汲取て酒をかもす。

小敷の太閤水も参照のこと。

城山神社 標高: 4.0m MAP 4km以内の寺社検索

街道はここで左に急カーブする。

安楽寺 標高: 4.4m MAP 4km以内の寺社検索

安楽寺の山門
安楽寺の山門 

街道は善慶寺跡-皆乗山 大願寺の裏手-金龍山 安楽寺前を曲がりくねって通る。 安楽寺境内の経蔵はお経でいっぱいで必見である。

鹿門学舎跡 標高: 3.6m MAP 4km以内の寺社検索

石碑
石碑 
石碑前の街道 - 芦屋宿に向って撮影(左手に石碑)
石碑前の街道 - 芦屋宿に向って撮影(左手に石碑) 

鹿門学舎は山鹿小学校の前身であったようである。

渡し場跡 標高: 2.8m MAP 4km以内の寺社検索

渡し場跡 - 対岸が芦屋宿
渡し場跡 - 対岸が芦屋宿 

街道はここより船にて芦屋宿に向う。

脚注