大穂町(旧:宗像郡大穂町 現:宗像市大穂町)
概要
大穂町は宿場は無く、旅人達の休憩の場であった。 現代の街並みも当時の面影がしのばれる。
『筑前國続風土記拾遺』巻之38 宗像郡 下 大穂町の項に次の記事がみられる。
大穂町
この町ハ大穂村と一村なりしを後に分かれて両村となれり。 村落は官道にあり。
恵比寿神社から南方約1kmの地点に宗生寺がある。 宗生寺境内には馬頭観音がある。お勧めの寺院である。
経路
正覚寺前 標高: 49.3m MAP 4km以内の寺社検索
正覚寺付近の街道は昔ながらの街並みである。 その歴史については、正覚寺のページ参照のこと。
貴船神社 標高: 45.9m MAP 4km以内の寺社検索
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貴船神社への参道は、途中古い石段と石段の無い山道とが交互にあり、 また急な坂であるため本殿に到着するまでにかなりきつい。 早朝・雨上がりなど地面が濡れているときはお参りは控えた方がよい。 作者は何度も足を滑らせた。
本殿は地元の方々がよく手入れされている。
鳥居横には弘化3年(1846)の銘の石柱がある。
『筑前國続風土記拾遺』巻之38 宗像郡 下 大穂町の項に次の記事がみられる。
貴布祢社
鷹ノ番に在。産神なり。 大穂村の神を勧請す。 祭日9月27日なり、 相殿に素戔嗚尊をも合祭れり。
蛭子神社 標高: 43.6m MAP 4km以内の寺社検索
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蛭子神社を過ぎると畦町に向かってかなり急な上り坂である。
太閤橋 標高: 43.3m MAP 4km以内の寺社検索
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幅2mの高瀬川にかかる大穂橋は川底や側壁にりっぱな栗石が敷かれている。
秀吉が九州攻のとき整備したという。
大穂三叉路 標高: 60.9m MAP 4km以内の寺社検索
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この三叉路を畦町宿に向かって左側の道を約1kmほどを行くと 宗生寺がある。 宗生寺境内には馬頭観音堂もある。 この近辺は山に囲まれ、きれいな川も流れ絶好の散策場所である。
太閤水 標高: 75.2m MAP 4km以内の寺社検索
説明は八並の太閤水をご覧ください。
赤間宿側より山の口峠を越えたところの農家の前にある。
月ヶ森池のお地蔵様 標高: 61.3m MAP 4km以内の寺社検索
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太閤水より下って行くと左手に月ヶ森池がある。そこを本道よりそれて池のほとりを街道は続く。 お地蔵様はその池の脇にひっそりと鎮座されている。少し坂を下ると「このみ釜」という窯元がある。
上の「月ヶ森池」は、現在の畦町にお住まいの方に伺うと「つんがもりいけ」と発音するという。
供養塔 標高: 51.8m MAP 4km以内の寺社検索
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供養塔は街道の左手、杉木立の中にある。 真新しい供養塔のように見えるが、これは畦町在住の岩熊寛氏が水で磨いたものである。 銘は下記のとおり。
「宝永四丁亥年(1707)
畝町
(釈迦如来の梵字)大乗妙典六十六部供養塔
四月吉日
施主
善六
母」
唐津街道畦町宿保存会発行の『畦町物語』 畦町の歴史の節(文責:岩熊寛氏)によれば、 この供養塔は、畦町の中町に住んでいた善六(延享3年(1746)10月1日没)が、 妻・娘・息子を相次いで亡くしたため、 その菩提を弔う為六十六部となって諸国を巡礼しその満願が叶ったことを記念してこの供養塔を建立したのだという。 畦町宿中にある護念寺には元はこの善六とその妻が寄進した喚鐘が架けられていたが、 戦時供出となる。現在はその末裔の7代目善六氏とその妻により昭和23年にあらためて寄進されたものが架けられているという。
この史実は岩隈氏の粘りと努力で判明したものである。 その発見過程の概要は下記の通りである。
①供養塔の文字の解読 ②護念寺の喚鐘銘の発見 ③護念寺の過去帳(一般の方の閲覧は不可)の調査と年号の照合
詳細な内容は上記の『畦町物語』に4ページに渡って詳しく記されている。
宗像宮路石碑 標高: 45.5m MAP 4km以内の寺社検索
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石碑には「安政3年(1856)」の銘あり。街道は写真の石碑を右に見て畔町宿の東構口へと続く。