今宿駅(旧:志摩郡谷村 現:福岡市西区今宿)
概要
![]() | 『筑前名所図会』 |
街道はここより海岸線から内陸部に入り前原宿へと進む。 『街道と宿場町 (アクロス福岡文化誌)』によると今宿は貞享2年(1685)頃、前原-姪浜間の距離が長いという理由で設けられたとの事。
『筑前国続風土記拾遺』巻之48 志摩郡 上 谷村(今宿驛)の項に下のような記載がある。
民居本村(谷村)今宿(上町横町松原)是也。 今宿ハ宿驛にて早良郡姪濱より此驛まて1里、此驛より當郡前原驛に至りて2里民家多し。 海に漁して運漕の利多く頗富有の地なり。(本編に此宿は永禄の頃(1558-1570)) 産神ハ怡土郡上原村の祇園社なり。
右の『筑前名所図会』では、宿場全体が描かれている。 手前が博多湾である。
町の構成は、東から東構口→横町(国道202号線沿)→中町(徳正寺の付近)→上町(上町天満宮の付近)→西構口の順である。
ここでは、今宿より次の前原宿の手前まで記載する。
経路
旧道入り口 標高: 1.1m MAP 4km以内の寺社検索
ここで202号線から旧道に入る。ここより、しばらく海岸線を西へと進む。
地蔵尊 標高: 4.7m MAP 4km以内の寺社検索
地蔵尊は街道の右手にある。 享保の大飢饉の際の死者を供養する為に建てられたという。 境内には、フジ棚・エノキの古木・庚申塔などが見られる。
二宮神社 標高: 5.4m MAP 4km以内の寺社検索
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境内の案内板の内容をそのまま記す。
この神社は、今から270年前、 今宿五朗江(現・今宿小学校)にあったものを現在地に移転したといわれており、 主祀神は埴安神で、稲の生産豊穣と疫病厄除、また、福徳開運の神社として地元の人に親しまれています。
正月3日の子ども達による玉せせりや、7月29日夕刻より催される夏越祭は、大勢の人で にぎわい、今宿の風物詩となっています。
神社鳥居前の通りは、旧唐津街道で、江戸時代には宿場町として栄えました。
神社横は、書、絵画に秀でた才能を発揮した、亀井小琴(1798年~1857年)が 住んだ地で、少琴の漢詩など筑前亀井学派の資料は能古資料館に数多く展示されています。(平成13年3月 福岡市)
追分石 標高: 4.1m MAP 4km以内の寺社検索
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「大明神鳥居迄二里半三丁五間 右櫻井道」。 街道はこの追分を左に進み今宿に向かう。
この大明神とは、ここより北西方向に約8km(≒2里)の所に鎮座している桜井神社のことのようである。
東構口推定地 標高: 3.1m MAP 4km以内の寺社検索
今宿の構口 | 唐津街道歴史研究所によれば、このあたりが東構口と推定できるという。 この付近には当時の遺構などは何も確認できない。
東構口から、国道202号線の今宿横町信号のあたりまでをかつては横町と云った。 現在、横浜1丁目(ここより200m程西)にある真宗大谷派欣浄山 西方寺は、昭和63年まではこの付近(横町)にあったという。
馬つなぎ石 標高: 3.6m MAP 4km以内の寺社検索
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馬つなぎ石前は国道202号線で車の往来が激しい。馬つなぎ石の形はちょうど馬をつなぐロープを 結びやすいような形をしている。
ここには昔問屋場があったという。
地蔵菩薩他2祠 標高: 4.1m MAP 4km以内の寺社検索
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街道右手に3つの石祠が祀られている。 左から地蔵菩薩・荒熊稲荷大明神 ・秋葉大権現である。
こちらの秋葉大権現は、仏像のお姿をしておられる。右手に宝剣をお持ちである。
徳正寺 標高: 4.2m MAP 4km以内の寺社検索
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徳正寺は金剛山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。
上町天満宮 標高: 4.9m MAP 4km以内の寺社検索
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上町天満宮の庚申塔の左には榎の巨木がある。この木は一里塚の目印とされていたとのことである。
社殿の左隣の観音堂は糸島東部八十八ヶ所霊場第37番となっている。
境内の案内板によれば、毎年1月7日の夜に神殿にて「鬼すべ祭典」が開催される。 その後町内の子供・天青会を中心に今津海岸にてお汐いを採り、町内を廻り、天満宮に戻り境内では「松葉火」が焚かれ「替えましょ替えましょ」と云って金のウソを廻し一年間の無病息災を願うものという。
西構口推定地 標高: 4.6m MAP 4km以内の寺社検索
当時の遺構などは何も確認できない。この付近に西構口があったのではなかろうか?
ここを過ぎ、R202バイパスとJR筑肥線の間を西に向かって進むと、次の周船寺である。
ここから周船寺までは、現在再開発が進んでおり、街道の痕跡が失われつつある。残念である。