原町はるまち(旧:宗像郡光岡村 現:宗像市原町)

概要

原町交差点附近の灯篭のモチーフと案内板
原町交差点附近の灯篭のモチーフと案内板 

赤間宿から南西方向に坂を下り、国道3号線を横切ると原町がある。 原町には宿場はなく、旅で疲れた旅人の小休止する場所であった。

筑前國続風土記拾遺』巻之37 宗像郡 中 光岡村の項に下記の記載が見られる。 「原町」の項はなく、その北側の光岡村の項に少し原町の解説が掲載されている。

民居2所有。 本村原町是也。 此村古名ハ嶺村と云り。 又本村の内に都留と云小名あり。 慶長の頃(1596-1615)當郡に都留村有。 是其遺名也へし。 此村下の側を釣川と云。 都留より出たる名なるへし。 (慶長5年の頃當村の田畠53町3段6畝有。 都留村の田畠12町5段6畝有。 今當村の田畠94町9反8畝餘有。 是都留村と合せて一村と成たる事を知へし。 其数の古への2村の高より多くハいつれの村も治世となりてハ、 開墾の地多き事此村のミに非す。 めつらしからす。) 此村の東邉は即官道なり。

ここでは原町より次の大穂町の手前まで記載する。

経路

原町 標高: 20.4m MAP 4km以内の寺社検索

原町の屋並 - 赤間宿側に向かって撮影
原町の屋並 - 赤間宿側に向かって撮影 
原町交差点(この先赤間宿に向かう街道跡)
原町交差点(この先赤間宿に向かう街道跡) 
大正~昭和時代の原町の街並(間口が狭く、奥行きが長い家並の様子がよくわかる) - 原町交差点の案内板。
大正~昭和時代の原町の街並(間口が狭く、奥行きが長い家並の様子がよくわかる) - 原町交差点の案内板。 

街道沿いの家並みが良く整備されており、当時の賑わいの様子が伺われる。 案内板によればこのあたりは、黒田藩・薩摩藩の参勤交代時の休憩所として機能していたとの事。

古民家を活かしたギャラリー、店舗、飲食店などがあり、散策を楽しめる。

経石様・幸福稲荷大明神 標高: 27.7m MAP 4km以内の寺社検索

幸福稲荷大明神(左)と経石様(右)
幸福稲荷大明神(左)と経石様(右) 
経石様・幸福稲荷大明神前の街道 - 大穂に向かって撮影
経石様・幸福稲荷大明神前の街道 - 大穂に向かって撮影 
案内板(写真をクリックして拡大してご覧ください)
案内板(写真をクリックして拡大してご覧ください) 

街道はここから少し上り勾配がきつくなる。

お大師様 標高: 38.6m MAP 4km以内の寺社検索

全景
全景 
門前の唐津街道(右手がお大師様) - 大穂町に向かって撮影
門前の唐津街道(右手がお大師様) - 大穂町に向かって撮影 

お大師様境内には藤棚・十三仏がみられる。 宗像四国東部霊場第49番札所となっている。

坂を登ってほどなくすれば、次は大穂町である。