博多はかた(旧:筑前国博多 現:福岡市博多区)

概要

石堂橋 - 上流の東大橋より撮影。向って左が博多
石堂橋 - 上流の東大橋より撮影。向って左が博多 
山笠櫛田入の図(巻之2博多)
山笠櫛田入の図(巻之2博多)
『筑前名所図会』

博多区役所発行の『博多情緒めぐり 公式ガイド』によれば、博多の名前の由来は 「羽形」「泊潟」「羽片」「葉形」などの他多数あると言う。博多の歴史は古く 天平3年(759)『続日本記』で「博多」という言葉が初めて文献上に現れると言う。 「海域、土地(ひろ)く、人、物多し」で「博多」という。近世以降は主にこの漢字が使われるようになったという。

経路

石堂橋 標高: 6.7m MAP 4km以内の寺社検索

石堂橋 - 博多に向かって撮影
石堂橋 - 博多に向かって撮影 

石堂橋を渡ると、いよいよ博多である。

参考:高杉晋作、官内町関所突破.. 「目指すは、博多 柳町..」 | はかた博物館

一行寺 標高: 8.5m MAP 4km以内の寺社検索

一行寺前の街道 - 写真奥が石堂橋、右手が一行寺
一行寺前の街道 - 写真奥が石堂橋、右手が一行寺 
蓮池寺町の図其2(巻之2博多) - 当時のこの場所の様子がよく描かれている。
蓮池寺町の図其2(巻之2博多) - 当時のこの場所の様子がよく描かれている。
『筑前名所図会』

筑前名所図会』の左上が石堂橋。石堂橋を渡るとすぐ左に 一行寺選擇寺。 すぐ右手には海元寺、 その隣には正定寺。 その他、本興寺善導寺妙典寺 などもほぼ現在のままの位置関係で描かれている。

街道には、商人・馬・僧侶などのすがたも見える。

福岡町名散歩』によるとこのあたりは、江戸期には官内町(かんないまち)と呼ばれ、その北側は蓮池町(はすいけまち)と呼ばれた。 上の寺院はお上により、万一の場合、東からの敵に対する兵の宿舎や、兵站地(へいたんち)とするために集められたという。

福岡大空襲の被害からかろうじてまぬがれ、古い街並みが残っている場所である。

大場商店 標高: 9.6m MAP 4km以内の寺社検索

大場商店前の街道 - 福岡に向かって撮影
大場商店前の街道 - 福岡に向かって撮影 
大場商店
大場商店 

このあたりは昔は官内筋と言われた道である。

当商店の建物は町家造りの風情を残している。

大博通り 標高: 10.8m MAP 4km以内の寺社検索

大博通り - 福岡に向かって撮影
大博通り - 福岡に向かって撮影 

街道はここで、現在は「大博通り」と呼ばれる大通りを横切る。 横断禁止の為、迂回が必要である。

網敷天神 標高: 12.7m MAP 4km以内の寺社検索

網敷天満宮
網敷天満宮 

網敷天神は街道より一筋南東側の通りに面している。 下に案内板の内容をそのまま記す。

菅原道真が太宰府に左遷されて赴任の途中、(そで)の浜に上陸したとき、住民達は綱で敷物をつくり出迎えたと言われている。 その後、その場所に社殿が建ち綱輪(つなわ)神社といっていたが、 次第に綱場とよばれるようになって、現在、町名として残っている。

博多会所・馬継所跡 標高: 13.8m MAP 4km以内の寺社検索

福岡・博多の町名誌』によれば、 ここより北西約600mほどの古門戸町(こもんどまち)が博多の宿場であったという。 町内に博多会所・馬継所などがあった。 空襲で全町が焼失。 痕跡は町名以外は何も残っていない。

東中島橋 標高: 11.6m MAP 4km以内の寺社検索

渡唐口跡 - 鏡天満宮の脇にある
渡唐口跡 - 鏡天満宮の脇にある 
鏡天満宮
鏡天満宮 
中嶋東西の橋 札の辻の図(巻之2博多) - 東西の中島橋が見事に描かれている。本図は博多湾側から見た図で、左手前が東中島橋、右が西中島橋で、東中島橋のたもとには高札場と思われる建物も見られる。人々の往来も丁寧に描かれている。また右手奥には住吉神社も見える。
中嶋東西の橋 札の辻の図(巻之2博多) - 東西の中島橋が見事に描かれている。本図は博多湾側から見た図で、左手前が東中島橋、右が西中島橋で、東中島橋のたもとには高札場と思われる建物も見られる。人々の往来も丁寧に描かれている。また右手奥には住吉神社も見える。
『筑前名所図会』

唐津街道は鏡天満宮の後のホテルの中を通っていたという。 もちろんその道は今は通れない。

西中島橋 標高: 5.0m MAP 4km以内の寺社検索

那珂川に浮かぶ中洲の歓楽街 - 西中島橋より撮影
那珂川に浮かぶ中洲の歓楽街 - 西中島橋より撮影 
福岡市赤煉瓦文化館(この付近に桝形門があった) - 西中島橋より撮影
福岡市赤煉瓦文化館(この付近に桝形門があった) - 西中島橋より撮影 

東中島橋を過ぎ、西中島橋を渡ると福岡城下である。

その入り口にはりっぱな(ます)形門があったという。 その地付近には現在は福岡市赤煉瓦文化館が立っている。