青柳宿(旧:筑前国裏糟屋郡青柳町 現:古賀市青柳)
概要
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ここでは青柳宿より次の香椎宿の手前までを記載する。
案内板をそのまま記す。
唐津街道は豊前小倉から肥前唐津までの街道で、 長崎街道に対して内宿通りと呼ばれました。青柳宿は慶長10年(1605) ごろ川原村の住民によって上町が、青柳村良仙寺 の住民によって横町ができ、寛永2年(1625)に青柳村古屋敷の住民によって下町・仲脇が つくられ本町が出来上がり、承応2年(1653)には新町が加わり、 宿場としてほぼ整いました。
宿場は長さ244間(444m)あり、出入り口に構口が設けられ、現在、 西の構口の石積みが残っています。宿には藩主が宿泊・休憩する御茶屋 がありました。また町茶屋は上と下に二軒あり、藩主の従者や武士たちが利用しました。
宿の最盛期には103軒ほどありましたが、江戸時代を通じて84軒前後でした。 江戸時代に二回、明治初年に一回の大火に見舞われています。 唐津街道は黒田藩・唐津藩が参勤交代で通り、文政8年(1825)からは、薩摩藩も通っています。
経路
東構口 標高: 13.6m MAP 4km以内の寺社検索
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石碑など何も残っていないため正確な場所が特定できない。
東構口を出て、青柳交番横を35号線を越えると小路があり、40mほどを行くと 天満宮がある。横に川が流れ、夏場は子供たちが水遊びをする。また、水車も 回っている。
為息庵前 標高: 12.8m MAP 4km以内の寺社検索
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宿場は為息庵を右に見て宿場内へと進む。 前のR536はかなり車の往来が激しい。
作者はよく為息庵の前を通る。急な雨の時は作者は何度か雨宿りをさせていだいた。
託乗寺前 標高: 12.0m MAP 4km以内の寺社検索
ここより西構口までは古い街並みが点在している。 到關山 託乗寺も参照のこと。
青柳醤油前 標高: 12.0m MAP 4km以内の寺社検索
街道は、ここで次の香椎宿に向かって大きく右にカーブする。防衛上の設計であろう。
西構口 標高: 9.9m MAP 4km以内の寺社検索
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宿内に向かって右側に構口の石組が保存されている。また、左側に練塀が保存されている。
伊藤氏メモ道向かいには[青柳村役場跡]の碑がありました。()
橋本橋 標高: 10.4m MAP 4km以内の寺社検索
この辺は、ほとんどが田んぼである。橋を渡るとすぐ左手に青柳小学校がある。 前方の山は丘越山と思われる。
青柳高等小學校跡地 標高: 10.7m MAP 4km以内の寺社検索
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同高等小學校は明治20年(1887)にできた。太平洋戦争が勃発した昭和16年(1941)まで続いたようだ。(近代・現代| 古賀の歴史| 古賀市の魅力 -観光ガイド-| 古賀市オフィシャルページより)
跡地の裏手には神田大師堂がある。 粕屋北部新四国八十八箇所霊場の第61番、62番、63番札所となっている。
五所八幡宮 標高: 12.8m MAP 4km以内の寺社検索
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境内の御影石製の案内板によれば、祭神は応神天皇、神功皇后、 玉依姫命、保食神、墨江三前神。この5神を以って「五所」という。神功皇后が三韓神幸の砌、竜輿を休められた所と伝わる。 表粕屋・裏粕屋・宗像の3郡の総社とされた。
創建の年は不明であるが、延元(1336-1339)の頃、5度兵火に遭い焼失。 立花道雪の崇敬は篤く、天正11年(1583)に社殿を造営寄進。 同年島津軍により鳥有に帰す。 黒田藩主は参勤交代の都度社参。 忠之は社殿を、継高は神殿を斉溥(長溥)は拝殿を造営寄進。
応永年間(1394-1427)に寄進された大般若経600巻は、大正15年に佐賀県嬉野市の慈眼庵[1]で発見され、 現存する11巻の内5巻が本宮に献納された(兵火を逃れるため移されたもの)。
保管されている9枚の棟札うち、明応2年(1493)のものは九州最古のものという。
境内はクスノキを主体とした原生林となっている。 樹齢1000年という大楠をはじめ多数の大楠をみることができる。 拝殿裏手奥は梅林となっている。
青柳大日如来 標高: 13.2m MAP 4km以内の寺社検索
青柳大日如来は室町時代作の金剛界大日如来坐像である。
長泉寺 標高: 14.9m MAP 4km以内の寺社検索
長泉寺は浄土真宗本願寺派。山号を金華山と云う。
地蔵堂 標高: 17.3m MAP 4km以内の寺社検索
地蔵堂の縁起等は不詳。
青柳仏堂 標高: 18.3m MAP 4km以内の寺社検索
青柳仏堂参照のこと。
太閤水 標高: 18.0m MAP 4km以内の寺社検索
記事は三代の太閤水に譲る。
祥雲寺 標高: 19.4m MAP 4km以内の寺社検索
祥雲寺は吉光山と号し、西山浄土宗の寺院である。 この手前に太閤水がある。
夜泣き観音 標高: 16.8m MAP 4km以内の寺社検索
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夜泣き観音は立花山山中にあった立花城陥落時の城主の悲話が元となっているという。
和白入口 標高: 17.9m MAP 4km以内の寺社検索
街道は写真の左の道を香椎に向かって進む。
駕篭立場 標高: 24.0m MAP 4km以内の寺社検索
和白の入口より前進すると50mほどで緑のトンネル状態となる。そのトンネルをさらに前進すると道が枝分かれしており 道に迷いそうなので引き返した。 カメラの時計が調子が悪く、GPSでの正確な位置確認ができていない。 もう一度、蛇のいない冬場に訪れようと思う。
浄光寺 標高: 33.8m MAP 4km以内の寺社検索
浄光寺参照の事。
石原橋 標高: 30.3m MAP 4km以内の寺社検索
ここから先に香椎と続く。
『筑前国続風土記拾遺』巻之42 裏糟屋郡 下 青柳町
民居は上町 横町 下町 仲筋(以上町) 良泉寺(二軒)に在り。 町は大道を挟めり。
宿駅にて箱崎へ4里、畦町へ2里の所なり。 國君の別館並に人馬継所あり。
凡此宿を置れし時、青柳村 川原村 今在家村の地を割て一村を立し故に、村々田圃所々に入交れり。 (此村の水田鹿部村に近き所に在り。又今在家の圃地川原村の南に在り。 各本村との間に他村の地を隔テたり。 宿の東新町は河原村に属せり。)