田主丸たぬしまる(旧:筑後国竹野郡恵利村 現:福岡県久留米市田主丸町)

概要

祇園社前の辻に鎮座するカッパの像
祇園社前の辻に鎮座するカッパの像 
天保7年「田主丸町并村絵図(藤田正登蔵)」(『田主丸町誌』より引用) - 北を上にするため写真を180度回転させています。
天保7年「田主丸町并村絵図(藤田正登蔵)」(『田主丸町誌』より引用) - 北を上にするため写真を180度回転させています。 

『田主丸町誌』によれば、この町は諸説あるが慶長年間(1596-1615)には成立していたようである。 町割りは、西から出町・横町・中町・上町・祇園丁・新町(下新町・中新町・上新町)・橋口の順であり、493間半(約583m)。 天保期(1830-1844)にはこの7町は総称して「田主丸町」と呼ばれていた。 横町の構口脇に別当長兵衛、上町に別当次兵衛の屋敷があり、この二人が町の運営にあたっていたらしいという。

町中には多くのカッパ像が登場する。 メインストリートの南側(町南を流れる古川沿)の道もなかなかのものである。

ここでは山川町追分の先から善導寺-田主丸を経て吉井宿の直前までのルートを掲載する。

おことわり

現在下記の2区間は作者の推定する経路である。残念ながら根拠に乏しい状態である。 地図上ではオリーブ色で描いている。
   ①追分信号-田主丸豊城信号間
   ②素盞鳴神社-吉井宿の西の木戸間
当分の間、これ以上の深入りの調査は控えます。(お寺めぐりより優先度を落とします。)

①は単に国道210号線上としているが、その間に中尾の恵比寿像志塚島の猿田彦大神がある事だけの根拠である。

②はほぼ国道210号線上としているが、 その間に樋ノ口の恵比寿像冨永の恵比寿像がある事だけの根拠である。 特に、冨永の恵比寿像-吉井宿の西の木戸間は全然手がかりがない。

経路

山川町追分 標高: 30.5m MAP 4km以内の寺社検索

山川町追分|府中北追分参照のこと。

山川町熊野神社 標高: 25.2m MAP 4km以内の寺社検索

全景
全景 
門前の街道 - 善導寺に向って撮影
門前の街道 - 善導寺に向って撮影 

熊野神社の縁起については不詳。 ここから少し下り坂である。 道幅はかなり狭い。

川崎の恵比寿像 標高: 14.8m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
川崎橋(カッパの像がある) - 田主丸西の構口に向って撮影
川崎橋(カッパの像がある) - 田主丸西の構口に向って撮影 

恵比寿像は川崎橋の手前に鎮座。 街道を行き交う人々を見守っておられる。 「川崎町氏子中 明治43年(1910)6月20」銘。

川崎橋の橋柱にはカッパの像が飾られている。

志塚島の猿田彦大神 標高: 15.8m MAP 4km以内の寺社検索

猿田彦大神
猿田彦大神 
猿田彦大神前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影
猿田彦大神前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影 

大人の身の丈ほどの大きなものである。

田主丸熊野宮 標高: 15.9m MAP 4km以内の寺社検索

鳥居と拝殿
鳥居と拝殿 
カッパ像
カッパ像 
カッパ像の安置されている小堂
カッパ像の安置されている小堂 
本殿
本殿 
門前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影
門前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影 

本殿裏手に小堂があり、施錠されている扉の格子越しに見ると、 中には多数の古い木彫の人形(僧型、武士型など)などが安置されている。 その中にひときわ目立つのがカッパの像である。 このカッパは「志床の川ん殿」と呼ばれているという。(ふしぎな河童 志床の川ん殿さま ~久留米市田主丸町~ | 徒然くたくた日記参照) 怒ったような笑っているような。。。

本殿は大きな石祠となっており。明治27年5月再建銘。

出町の石碑 標高: 18.6m MAP 4km以内の寺社検索

石碑
石碑 
石碑前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影
石碑前の街道 - 田主丸西の構口に向って撮影 

石碑の表裏共文字などは確認できない。

石碑前の街道脇には古川(筑後川から取水しているようである)が流れている。 流れはときおり水音をたててはかなり早い。 綺麗な水である。

阿弥陀寺 標高: 18.3m MAP 4km以内の寺社検索

阿弥陀寺間の街道(阿弥陀寺は左手の古川を渡った所)
阿弥陀寺間の街道(阿弥陀寺は左手の古川を渡った所) 

阿弥陀寺は来迎山と号し、天台宗の寺院である。 別名「飛阿弥陀」。 川が綺麗である。

XX橋 標高: 21.3m MAP 4km以内の寺社検索

XX橋手前の古川
XX橋手前の古川 
XX橋
XX橋 
XX橋 - 上流から撮影
XX橋 - 上流から撮影 
親柱上のカッパの像
親柱上のカッパの像 
親柱上のカッパの像
親柱上のカッパの像 
親柱上のカッパの像
親柱上のカッパの像 
親柱上のカッパの像
親柱上のカッパの像 
XX橋脇の若竹屋酒造場
XX橋脇の若竹屋酒造場 

ここまで古川に沿って東進してきた街道は橋の手前で左にカーブし、 西側の構口を過ぎて 田主丸中央商店街入口でさらに右にカーブする。 一種の枡形構造である。

古川に架けられたXX橋を渡ると、在郷町、田主丸町である。 橋の4本の親柱には、おどけたカッパの石像が飾られている。

橋のすぐ東側には、若竹屋酒造場がある。 元禄12年(1699)創業の老舗。 (47CLUB参照の事。)

この橋は在郷町、田主丸では大事なキーポイントであるが、残念ながら橋の名がわからない。 親柱の銘も読み取れない。仮に「XX橋」とする。分かり次第訂正します。

西側の構口 標高: 22.1m MAP 4km以内の寺社検索

構口付近 - 手前はXX橋
構口付近 - 手前はXX橋 

「田主丸町并村絵図(藤田正登蔵)」を見ると木戸のようなものがあったようであるが、 その遺構は確認出来なかった。

田主丸中央商店街入口 標高: 23.7m MAP 4km以内の寺社検索

商店街入口
商店街入口 
商店街入口
商店街入口 

街道はここで右に90°カーブする。

法林寺 標高: 20.8m MAP 4km以内の寺社検索

門前の街道 - 東の構口に向って撮影
門前の街道 - 東の構口に向って撮影 
門前の商家
門前の商家 

法林寺は浄土宗の寺院である。 門前にはお願い地蔵・六地蔵がある。境内にも多数の石仏が安置されている。

かっぱ茶屋 標高: 24.1m MAP 4km以内の寺社検索

かっぱ茶屋
かっぱ茶屋 
茶前のカッパの石像
茶前のカッパの石像 
茶前のカッパの石像
茶前のカッパの石像 
向いのレトロな建物
向いのレトロな建物 

建物には「より処 かっぱ茶屋」の看板。 古民家を利用した商店街の方々の寄り合いの場所のようである。

来光寺 標高: 20.9m MAP 4km以内の寺社検索

門前の街道 - 東の構口に向って撮影
門前の街道 - 東の構口に向って撮影 

来光寺は真宗大谷派の寺院。 境内には6000巻揃った鉄眼版の一切経が安置されている経堂がある。

鹿毛酒店 標高: 20.0m MAP 4km以内の寺社検索

鹿毛酒店
鹿毛酒店 
向いの商家
向いの商家 

以前(少なくとも2015-02-14まで)あった鹿毛酒店のページによれば、大正15年(1926)創業のお店。元は酒造業であったという。 店内には角打ちのサービスもあるようである。

祇園社 標高: 21.6m MAP 4km以内の寺社検索

祇園社
祇園社 
祇園社境内の恵比寿(3体鎮座している)
祇園社境内の恵比寿(3体鎮座している) 
拝殿の扁額
拝殿の扁額 
拝殿の方位盤
拝殿の方位盤 
①祇園社前の街道(左手が祇園社)
①祇園社前の街道(左手が祇園社) 
②祇園社前の街道(左手が祇園社)
②祇園社前の街道(左手が祇園社) 
③祇園社前の街道(左手が祇園社)
③祇園社前の街道(左手が祇園社) 
④祇園社前の街道(左手が祇園社、矢印の先が中新町)
④祇園社前の街道(左手が祇園社、矢印の先が中新町) 
辻に鎮座するカッパ像
辻に鎮座するカッパ像 
辻に鎮座するカッパ像
辻に鎮座するカッパ像 

祇園社の縁起は作者は不詳。 拝殿の扁額・方位盤は歴史を感じさせるものである。

境内には恵比寿像が3体安置されている。 境内の案内板(昭和49年 蛭子神社奉賛会)に恵比寿神の由来が記されている。 もうご承知の読者の方もおられるかもしれないが、作者は初めて知った。 作者のメモの意味で一部を引用する。

蛭子神(えびすのかみ)は、 日本書紀によると伊邪那岐尊(いざなぎのみこと)伊邪那美尊(いざなみのみこと)との間にお生まれになった 第1子が日の神の天照大御神(あまてらすおおのかみ)で 第2子が月の神、月讀の尊(つきよみのみこと)で、 第3子が蛭子神であります。

三番目の御子であるため蛭子三郎と申し上げ外にも恵比寿、恵比壽、 夷、戎などの文字をあてるし、又一説には事代主(ことしろぬし)の神と申します。

昔から七福神の中のお一人で、商売、農業、漁業などの生業を守護し、 家庭に福利をもたらす神として人から深く信仰されている神様です。

街道はこの祇園社前後で枡形構造をとる。 街道の写真に①から④まで東の構口に向って順に番号を付した。

カッパの像は祇園社の向いの住宅(このお宅のある所が"てつや"があった場所のようである。)の東側角に鎮座している。 脇の案内板の内容をそのまま記す。

守護神河童

この河童は豪商であった"てつや"の東北の角にあり、 俗に鬼門と云う位置にいます。

いかにも豪商の守護神の様に見えます。

中新町 標高: 21.6m MAP 4km以内の寺社検索

町並み
町並み 
町並み
町並み 
町並み
町並み 

祇園社の枡形を通り過ぎると、街道はここから暫くは直線である。 左右には白壁造りの昔ながらの町並みを眺めることができる。

東の枡形 標高: 22.4m MAP 4km以内の寺社検索

街道はここでも枡形構造を構成する。

東側の構口 標高: 19.8m MAP 4km以内の寺社検索

「田主丸町并村絵図(藤田正登蔵)」を見ると木戸のようなものがあったようであるが、 その遺構は確認出来なかった。

あけぼの屋 標高: 19.7m MAP 4km以内の寺社検索

石橋 - 突き当りがあけぼの屋
石橋 - 突き当りがあけぼの屋 
枡形の2番目のカーブ(先は橋口)
枡形の2番目のカーブ(先は橋口) 
親柱上のカッパの像
親柱上のカッパの像 
川沿いのカッパの像
川沿いのカッパの像 
あけぼの屋
あけぼの屋 

東構口を出て、石橋を渡ると和菓子屋「あけぼの屋」がある。 街道は店の前で左にカーブし、橋口の町内となる。 あけぼの屋の建物は黒っぽい部材と白壁が周辺の景観とよく調和している。

ここにもカッパの像が観られる。

西 和蔵の石碑 標高: 21.1m MAP 4km以内の寺社検索

西 和蔵の石碑
西 和蔵の石碑 
石碑前の街道
石碑前の街道 

石碑前の石製の案内板の内容をそのまま記載する。

「西 和蔵の碑」は、明治34年2月に乗合馬車有志の手によって建立されたものである。

当時の主な道は筑後から豊後へぬける豊後街道であった。 街道はこの地方で山辺往還と川筋に沿った往還とに分かれていた。

西 和蔵は二頭立ての馬車で久留米から此の碑の前の往還道を通り千足[1]へと運行していた。 明治32年1月、往還道を旅した夏目漱石は、乗合馬車の鈴の音に心を開き、 正岡子規へ次の句を宛てている。

なつかしむ (ふすま)に聞くや 馬の鈴

西 和蔵をはじめ、乗合馬車の同業者たちは、この国の運輸・交通の近代化の途上にあって、 地域の発展に大いに寄与したのである。

橋口の恵比寿像 標高: 21.6m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像前の街道 - 吉井宿に向って撮影
恵比寿像前の街道 - 吉井宿に向って撮影 
少し手前の商家 - 吉井宿に向って撮影
少し手前の商家 - 吉井宿に向って撮影 

恵比寿像は民家の軒下に鎮座している。

街道はこの先で国道210号線と合流する。

素盞鳴神社 標高: 20.3m MAP 4km以内の寺社検索

素盞鳴神社
素盞鳴神社 
素盞鳴神社前の街道 - 吉井宿に向って撮影
素盞鳴神社前の街道 - 吉井宿に向って撮影 
境内の恵比寿像
境内の恵比寿像 
境内の恵比寿像
境内の恵比寿像 
境内の猿田彦石神
境内の猿田彦石神 

境内には2体の恵比寿像と猿田彦石神がみられる。

延命長寿園 標高: 21.7m MAP 4km以内の寺社検索

小堂
小堂 
五重塔
五重塔 
「塚明神」
「塚明神」 
門前の街道 - 吉井宿に向って撮影
門前の街道 - 吉井宿に向って撮影 

門柱に「延命長寿園」「鎮西本山善導寺六十一世忍譽澂英 花押」「昭和二十六年九月 井上鐵五郎」銘。 境内には、小堂とその脇に地神大明王(昭和28年)と表記された石造五重塔、塚明神が安置されている。 小堂の扉は施錠されており、内部を拝む事は出来なかった。 縁起等子細不明。

境内奥は「長寿園」という植木(園芸)業の建物があるようである。 この地区の地名は「久留米市田主丸町植木」。地図で見ると、その地名通り植木を業とすると思われる「XX園」という名のついた建物が集中している。

樋ノ口の恵比寿像 標高: 24.9m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
遠景
遠景 
恵比寿像前の街道
恵比寿像前の街道 

恵比寿像は明治38銘。 良いお顔をされておられる。

厳浄寺 標高: 25.7m MAP 4km以内の寺社検索

石塔と恵比寿像
石塔と恵比寿像 
「鬼神神社北百米」
「鬼神神社北百米」 
恵比寿像前の街道
恵比寿像前の街道 

厳浄寺は佛國山と号し真宗大谷派の寺院である。

お寺の西側の路地には恵比寿像と石塔が鎮座している。 恵比寿像の街道を挟んだ向い側には「鬼神神社北百米」の道標が建っている。 なにやら怖そうな神社の名であるが残念ながら参拝できていない。

冨永の恵比寿像 標高: 29.3m MAP 4km以内の寺社検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像前の街道 - 吉井宿に向って撮影
恵比寿像前の街道 - 吉井宿に向って撮影 
昔の面影をよく残した商家
昔の面影をよく残した商家 

恵比寿像は昔の面影をよく残した商家の前に鎮座している。 この恵比寿様。お顔が写実的である。笑ったお顔。願主を模したものかもしれない。 昭和2年6月銘。

街道はこの先吉井宿に向かう。 この地点と吉井宿の西側の入口との間の経路が皆目見当がつかない。 さてどうしたものか?

脚注