府中北追分(旧:筑後国有馬藩領 現:福岡県久留米市御井町)
概要
ここでは府中宿の北側の追分から次の草野宿手前までのルートを掲載する。 このルートは、右手に耳納連山を見て進む平坦な道である。 まさにその名の通り「山辺の道」である。 特に、耳納連山山中には、歴史ある神社・お寺など多数見られる。 建物の保存状態も良好である。
「府中北追分」の名は作者が勝手に命名した。正式名称が分かり次第修正します。
経路
府中北追分 標高: 23.2m MAP 4km以内の寺社検索
ここでは当時の遺構は確認できない。
山川町追分 標高: 30.5m MAP 4km以内の寺社検索
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府中北追分から来た街道は、ここで中道と山辺道に分かれる。 この追分付近の道幅はかなり狭い(3.3mほど)。
三叉路手前の北側には清酒「冨の寿」で有名であった「冨安合名」があったという。 (確か昔ラジオでコマーシャルソングをよく耳にした記憶がある。) 今は外塀だけで敷地内は更地となっている。 1790年に創業を始め、以来約250年間の歴史を持つ蔵元であったというが蔵を閉めたようである。 寂しい限りである。
漱石句碑 標高: 30.1m MAP 4km以内の寺社検索
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漱石句碑は、山川町追分から2軒東側の街道脇に設置されている。
「追分とかいふ処にて車夫共の親方乗って行かんかがあまり可笑しかりければ...」
「親方と 呼びかけられし 毛布哉」
案内板(山川校区観光開発委員会・久留米市)によれば、明治32(1899)年1月7日(土)、漱石は豊前耶馬溪への旅からの帰り道、 吉井宿を経てこの山川町追分を通りかかった。 追分に居た人力車夫から「親方、車に乗っていかんかのう」と呼びかけられて、この句を作ったという。 「毛布」とは、冬季の防寒用として人力車のひざ掛けとして使用したものという説と、 赤青の毛布を頭から被って吹雪の中を歩くときに使用したという説があるという。
この句は、後に『坊っちゃん』で利用されたという。 この続きは現場にて案内板をお読み下さい。 漱石は久留米市にこれと併せて合計5回訪問しているという。([W]漱石ゆかりの地:福岡県[漱石 Now and Then]参照のこと。)
句碑の後方には、石塔が安置されている。表面には何も刻まれていないような自然石である。 恵比寿像が刻まれていたものが風雪により消えてしまったものかもしれない。
郡境石(御井郡・山本郡) 標高: 20.5m MAP 4km以内の寺社検索
この辺りに「御井郡・山本郡」の郡境石があるようである。 未確認。
永勝寺参道口 標高: 25.4m MAP 4km以内の寺社検索
永勝寺は柳坂山と号し曹洞宗の寺院である。 秋の紅葉は素晴らしい。 参道途中には「柳坂の櫨並木」もある。こちらも秋にお勧めである。
千光寺参道口 標高: 25.4m MAP 4km以内の寺社検索
千光寺は龍護山と号し、曹洞宗の寺院である。 境内に「アジザイ園」がある。 また、キンモクセイの巨木、ツツジなどもみられる。 ここから400mほど下った所には「道の駅くるめ」がある。食事・休憩などに利用できる。
生目八幡宮 標高: 31.6m MAP 4km以内の寺社検索
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縁起については、不詳。 「活眼神社」とも表記されるようである。 境内の井戸には、近年珍しい手動のポンプが設置してある。
観興寺参道口 標高: 34.9m MAP 4km以内の寺社検索
観興寺は山本山普光院と号し、曹洞宗の寺院である。 境内からの山本町の眺めはなかなかのものである。
若宮八幡宮(御仮屋) 標高: 34.6m MAP 4km以内の寺社検索
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案内板(久留米市観光振興課)によれば、ここから直線距離で約1kmほど南東の発心山山中に鎮座する若宮八幡宮(本宮)から2年ごとに神輿が渡御し、 この社にとどまり、神が人々の願いを聞き、また本宮に戻るという神事(「風流」とも 「御神幸」言われる)が行われるという。市指定無形民俗文化財指定。 (9月15日・16日頃(土日曜日)に催される)
大勢の参拝人が見守る中、風流を先頭に約100人の行列が本宮より出発、先頭には 赤面・青面の獅子が舞い、神輿を守ってここに到着。クライマックスには境内で獅子と神輿が烈しくぶつかり合う祭礼であるという。(若宮八幡宮御神幸祭参照。)
この神事で使われる、神輿・お面などは、草野宿内の山辺道文化館に常設展示されている。
下馬場古墳・若宮八幡宮・永禅寺参道口 標高: 33.4m MAP 4km以内の寺社検索
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参道途中にある案内板の内容をそのまま記す。
(有形文化財)紙本著色若宮八幡宮縁起
吉木の若宮八幡宮は、文治2年(1187)平家討伐に軍功のあった草野太郎永平によって建立されたもので、 何回か修理や改築を行い現在にいたっています。
若宮八幡宮には草野氏の居城である武井城と発心城を中心とする2幅の縁起物があります。
縁起には居城の他に、武家屋敷や若宮八幡宮、祇園社、熊野権現などの建物や祭りが描かれています。 また、山辺往還や武者行列などもあり、往時の草野をみることができます。
1幅の縁起は、画面の人物の服装や風俗から判断して、 江戸時代中期以降の作品と考えられ、 狩野派系統の画家によって描かれたようです。
複製が草野歴史資料館に展示されています。
久留米市教育委員会
一の鳥居から1kmほどの一直線の参道。両サイドには柿畑。 それから、長い石段。これは一汗かきます。 途中の楼門がまたすごい。 そこから、さらに石段である。 本殿域には多数の末社群、本殿などがみられる。 ここからの吉木町の眺めはなかなかのもの。 (足の不自由な方、お年寄りの方は車でも参拝できるルートがあります。)
楼門付近から、右手方向に行けば永禅寺(曹洞宗)が伽藍を構えている。
また、一の鳥居から程無い所には 下馬場古墳もみられる。 この古墳は中に入って見学できるようである。 小山の上に多数の高い木々が生えているのですぐにわかると思います。
矢作の町並み入口 標高: 34.4m MAP 4km以内の寺社検索
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矢作公民館脇の案内板の内容をそのまま記す。
矢作地区の伝統的町並み
この地区は、当地方の経済の要、農業を母体として栄えた農村集落であり、 南北に通る矢作道路を中心に江戸〜大正期の農家や蔵、紋、塀、矢作公民館光明山脇の案内板の内容をそのまま記す(旧青年夜学校)等の伝統的様式の建造物が建ち並んでいます。
主屋は、ひとかかえもある柱や梁を用いた二階建の堂々としたものが多く、 壁は、腰板、漆喰の真壁造りが大半であり、 切妻の蔵や納屋が、附属して建てられています。
屋敷廻りは、北の方では、石柱門や生垣が、南の方では、薬医門と鎧下見、漆喰塗りの源氏塀や、 棟門と腰板漆喰塀、透かし板等が見られます。
また、矢作道路に沿って南北に流れる水路の石垣と川床の石畳、 高く築かれた野石布積みの石垣と蔵の壁面が、この町並みの静かでゆったりした趣を伝えています。
時間の関係でゆっくり散策できなかった。次回はじっくり見学しようと思う。
この先はほどなくして、草野宿となる。