薬院(旧:筑前国福岡薬院町 現:福岡市中央区)
概要
『筑前國続風土記』巻之9 御笠郡下 雑餉隈の項に「是より春日原を通りて、城下薬院口に行く、 其道近し。」 とある。 本ルートは石堂橋口からのルートに較べて、福岡城内と、雑餉隈・太宰府・長崎街道山家宿などを行き来する近道として利用されたのだろう。
この「薬院口」の正確な位置は作者は知らない。 今昔マップ(1922-1926の地図) に描かれた雑餉隈から薬院への道は現在の薬院六角に行き着く。 ここではそこを「薬院口」として話を進めよう。
ここでは、薬院口から雑餉隈までのルートを記す。 本ルートは上記の今昔マップをたよりに、ど素人の作者が独自に想定したものである。 誤りなどあればご指摘いただければ幸いです。
経路
薬院口 標高: 7.3m MAP 4km以内の寺社検索
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「薬院」の名の由来は奈良時代(710-794)、遣唐使の吉備真備が大宰府に赴任した時に薬草園をつくり施薬院を建てたのが有力説のようだ。江戸期には医家も多くあったようだ。(「薬院」地名の由来は? | トキメキ☆植物療法日記 @福岡 より)
『筑前國続風土記』巻之3 福岡 福岡町の項に「薬院町は城の東郭の外にあり」とある。 このあたりから東・南の方向は「城外」だったようだ。 ここから北側の「城内」には長圓寺・香正寺・安養院・法泉寺・盛福寺が伽藍を構えている。これらの寺は城の防衛機能も担っていたのだろう。
ここは六角となっており交通量が半端ない場所となっている。その一角に「こば酒店」がある。 ネットからの情報によれば、昭和10年(1935)台に開業したようだ。 多種の酒の販売と角打ちもあり。周辺は近代的な建物が立並ぶ中唯一この店だけは昭和の風情を残すものとなっている。(参考:福岡-薬院大通「こば酒店」ワイワイ愉しい賑わう角打ち | せんべろnet)
薬院大通交差点 標高: 7.6m MAP 4km以内の寺社検索
右の写真の通り、道は拡張され昔の遺構を探す術は無い。
ここより次の雑餉隈までは、作者はバイクで何度も通ったことがあるが、昔の遺構らしきものは確認できていない。
新川橋 標高: 10.5m MAP 4km以内の寺社検索
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新川橋は昭和10年(1932)7月銘。 画像でご覧の通り、この地点では昔の風情は皆無である。
街道左手のビルの前に延命地蔵顔王大菩薩の地蔵堂がある。ビルの正面にはめ込まれたもの。 当地蔵尊が昔からあったとすると、元は街道沿いにあり再開発時に今の場所に移転されたのではなかろうか?