博多(旧:筑前国博多辻堂町 現:福岡市博多区)
概要
博多から、日田へ向かう玄関口は博多辻堂町にあった辻堂口であった。 『日田街道 - その歴史と美-展』によれば、そこには「辻堂大門」「辻堂御門」「辻堂町郭門」などと呼ばれ、 瓦葺、築地の袖塀を伴う四脚門があったという。 (この門は享保11年(1726)7月の台風で転倒したという記録がある。)
『筑前國続風土記拾遺』巻之6 博多 下 辻堂町上に下記の記事がみられる。
府大道
辻堂口を出て比恵川を沿ひ太宰府にゆく大道をいへり。(以下略)
『筑前名所図会』巻之2 博多 承天寺の図の右下に辻堂口門と思われる袖塀を伴う門が描かれている。 辻堂口門は、この絵からして現在の承天寺の山門すぐ南側にあったと思われる。 (その門は、現在この地から100mほど東側に「博多千年門」として復元されている。)
ここでは、辻堂口門から雑餉隈までのルートを記す。 本ルートは上記の資料及び今昔マップを元にど素人の作者が想定したルートである。 誤りなどあればご指摘よろしくお願いいたします。
経路
辻堂口門 標高: 9.2m MAP 4km以内の寺社検索
『日田街道 - その歴史と美-展』によれば、 ここから福岡城下へは、ここより北進して官内町、中石堂町あたりで唐津街道と合流。 そこより西進して中島橋を渡るルートであったようである。
半道橋 標高: 5.2m MAP 4km以内の寺社検索
右の『筑前名所図会』の図には「比恵山王社 半路橋」と書き込みがみられる。 ここで「山王社」とは、この地点の御笠川の対岸にある山王公園の敷居内に鎮座している日吉神社のことである。 現在のこの周辺の町名「比恵」もこの日吉神社が比叡山から勧請されたことによるもののようだ。(西日本新聞(2017/3/25 17:48)より
右図は、この日田街道(と思われる)が左右に通り、並行して流れる御笠川には橋が架けられそれを渡った所から山王社(日吉神社)への参道が描かれている。
ここより南東側は現在では「半道橋」の町名が振られている。ここから対岸の山王社(日吉神社)へ渡る橋は「山王橋」である。この橋が「半道橋」であればこの図の読み解きは解決なのだが、そうは問屋がおろさない。この周辺に「半道(路)橋」という橋は見当たらない。
ここからは作者の想像。昔はこの辺りの御笠川に「半路橋」が架けられており、博多あるいは日田方面から日田街道を通ってやって来た参詣者たちはこの橋を渡って山王社(日吉神社)に参詣したのだろう。現在の町名「半道橋」はこの橋の名からつけられたものだろう。
『筑前名所図会』の解説は下の通り。
比恵の山王 比叡山の山王を勧請せし故に、村の名をも比叡村と云しなり、今ハ比恵(と)書す。
『筑前國続風土記』巻之6 那珂郡下の項下の通り。
山王権現社
比叡村にあり。比叡山の山王を勧請せし故に、村の名をも比叡と名づく。社は村の南に松林の高き岡に有。(以下略)
半道橋の猿田彦大神 標高: 6.5m MAP 4km以内の寺社検索
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猿田彦大神の銘は「平成16年甲申(2004) 再建」銘。 昔から、この地に鎮座していたのだろう。
大正11年(1922)頃の地図(今昔マップ)ではここには小集落があったことがわかる。
次は雑餉隈である。