平戸城下ひらど(旧:平戸領 現:長崎県平戸市)

概要

平戸城天守図、17世紀 - Wilipediaより引用
平戸城天守図、17世紀 - Wilipediaより引用 

出稿中。

経路

平戸島作者推定上陸地 標高: 9.8m MAP 4km以内の寺社検索

『伊能九州図と平戸街道―平戸藩旧蔵絵図収録 (九州文化図録撰書 (4))』のCapiter1 平戸藩の交通体系と参勤交代(P6)に下記の記事がある。 作者はこの記事から類推してこの地点を上陸地と考える。

(前略)平戸藩主の場合は、城内の外郭にある御船場御門を出、直ちに江戸参勤または長崎警備のための船隊中の御座船に乗り、 平戸浦を出港するのが通例である。

他方、一般庶民は、札の辻の東方、本町・宮町・福寿町・常盤町・大福町・祝町・そして崎方を経て中ノ崎に出、和船で約1里の海峡を航行して、対岸の日ノ浦湊に上陸した。(後略)

札の辻作者推定地 標高: 4.3m MAP 4km以内の寺社検索

『伊能九州図と平戸街道―平戸藩旧蔵絵図収録 (九州文化図録撰書 (4))』のCapiter1 平戸藩の交通体系と参勤交代(P6)に下記の記事がある。 作者はこの記事から類推してこの地点を札の辻と考える。

(前略)平戸領内の当街道の起点は平戸(亀岡)城下の幸橋近くの札の辻でなければならない。 それは平土城の本丸よりニ之郭・三之郭を経由して、外郭より平戸浦に架した幸橋を渡り、直行して番所と門柵を通過し、 天神町・安富町の前をはしる街路にぶつかったT字形、右手前(安富町)の町端にある高札場である。

もっとも、ここが近世初期から高札場が置かれて諸街道の起点だったか否かは明確でない。 それは幸橋が元禄15年(1702)に初めて普請の成就を見ているからである。 これ以前の札の辻は、平戸浦の最奥部の上陸地にあたる街路の可能性もある。(後略)