野町宿(旧:筑前国夜須郡野中村 現:福岡県朝倉郡筑前町野町)
概要
『筑前國続風土記』巻之10 夜須郡の項に下のような記事がみられる。
○野町
此町は、秋月町より西の方、筑後の松ヶ崎[1]に通る馬次の宿也。 秋月より2里あり。 野町より西の方、松ヶ崎の驛へゆくに、其間1里6町あり。 是より筑後へも肥前[2]へも通る大道なり。 秋月と野町の間彌永町あれど、 馬驛に非ず。 野町は、むかし野原にて町はなかりしが、 黒田長興此所を馬驛とせば宜かるべしとて、 寛永14年(1637)に始て町を立てたまふ。 依井村の枝村なり。
『秋月街道をゆく 』によれば、宿場内には、本陣・番所・人馬継所があったとある。 現在この場所には当時の面影を残すものは、 当時からあったと思われる信覚寺以外は何も残っていない。 右上図は秋月藩が1813年-1820年の間に測量した図を元に作成されたものである。 宿場内には2つの大きく左右にカーブする枡型の道の構造が見られるが、拡張工事によって現在はほぼ直線的な道となっている。 宿場の西の端に真新しい石碑があるのみである。
ここでは、野町宿から次の松崎宿までのルートを記載する。
経路
信覚寺 標高: 34.9m MAP 4km以内の寺社検索
信覚寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、寛永20年(1643)創建という。 構口があったとすれば、この門前あたりと思われる。 今はその遺構は何も残っていない。
石碑 標高: 34.4m MAP 4km以内の寺社検索
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
ここには、「関所跡」「番所跡」とそれぞれ文字の刻まれた真新しい石碑が建てられている。 「関所跡」の石碑には「西南方100m先」、 「番所跡」の石碑には「北東約100m先」と但し書きが見られる。 関所跡とされる場所は現在は水田となっている。 番所跡とされる場所は現在は民家となっている。
石碑の裏手に小堂があり、その中に弘法大師像・伝教大師像(?)の石像が安置されている。
山隈の国境石 標高: 26.3m MAP 4km以内の寺社検索
![]() | ![]() |
国境石は、国道500号線の脇にひっそりと立てられている。 この付近の国道500号線は、多数の大型の貨物トラックが轟音をあげて疾走している。 交通事故にはくれぐれもご注意下さい。
国境石は長年の風雪で判読不可能である。『秋月街道をゆく 』によれば、 「従是北東筑前領」と刻印されているという(高さ1.3m)。
薬師うどん店前の薬師堂 標高: 25.8m MAP 4km以内の寺社検索
![]() | ![]() |
薬師堂は、うどん店のケヤキの木の根本に建てられている。 堂内には金色の薬師仏が安置されている。
十文字信号脇のえびす像 標高: 23.8m MAP 4km以内の寺社検索
![]() | ![]() |
![]() | ![]() |
えびす堂は国道500号線脇に建てられている。
えびす堂撮影中に近所の方に声をかけられしばし立ち話。 その方の話によれば、この東側には戦時中は大刀洗飛行場があり、 えびす堂周辺は飛行場関係者を相手にした商店街として栄えていたという。 このえびす像もその時に「商売繁盛」を祈念して建立されたものの様である。 今もこのえびす像は近所の7-8軒の方々によって大切に守られているという。