長府宿(ちょうふ)[山陽道] (旧:長府藩領 現:下関市長府金屋町)

概要

ここでは長府宿から次の赤間関までのルートを掲載する予定である。

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長府の古い町並み |日本再発見!!伝統的な古い町並みと集落・酒蔵探訪「一路一会」

ルート

田上菊舎旧宅跡→大乗寺→徳応寺→法華寺→正円寺→本覚寺→立善寺→忌宮神社→長門国惣社跡→功山寺→貴船神社・慈雲寺→赤間関

田上菊舎旧宅跡 標高:5.8mMAP  4km以内の寺院検索

海道沿いに設置された案内板の内容を下に記す。

菊舎旧宅跡(印内町)

田上菊舎は、加賀の千代女と並び称される江戸期の代表的な女流俳人である。

本名を道といい、宝暦3年(1753)10月、長府藩士田上由永の長女として豊浦郡田耕村(現豊北町)に生まれ、16歳で村田家に嫁いだが24歳にして夫を失う。

のち、安永9年(1781)28歳のとき、尼となって俳道修行の旅へ出発[1]、以後は、ひたすら句作風雅の旅に過す。 その足跡は遠く北陸までも及び、彼女の句として広く知られる『山門を出すれば日本ぞ茶摘み唄』も、寛政2年(1790)宇治万福寺を訪ねた折の作である。

菊舎は、当時の文人墨客との交流も多く『手折菊』『都の玉ぎぬ』などの著書も残している。 ことに文人殿様として知られる長府藩主11代の毛利元義公から、その才知を愛され、恵まれた晩年を送るが、文政9年(1826)8月23日、この地において74歳の生涯を閉じた。

現在、長府の地には、功山寺徳応寺(金屋町)の境内に句碑が建てられ、墓が徳応寺と本覚寺(中の町)の2か所にある。


大乗寺 標高:5mMAP  4km以内の寺院検索

大乗寺は願海山不退院と号し、浄土宗の寺院である。


徳応寺 標高:4.8mMAP  4km以内の寺院検索

徳応寺は称名山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。


法華寺 標高:5.2mMAP  4km以内の寺院検索

法華寺は法華宗本門流の寺院である。


正円寺 標高:5.1mMAP  4km以内の寺院検索

正円寺は鼓石山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。

境内には、「正円寺の大イチョウ」(山口県指定天然記念)がある。


本覚寺 標高:5.3mMAP  4km以内の寺院検索

本覚寺は法性山真如院と号し、浄土宗の寺院である。


立善寺 標高:6.3mMAP  4km以内の寺院検索

立善寺は光栄山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。


忌宮神社 標高:4.2mMAP  4km以内の寺院検索

未稿。


長門国惣社跡 標高:12.4mMAP  4km以内の寺院検索

未稿。


功山寺 標高:16.1mMAP  4km以内の寺院検索

功山寺は金山と号し、曹洞宗の寺院である。


貴船神社・慈雲寺 標高:22.1mMAP  4km以内の寺院検索

この地点は慈雲寺と貴船神社の参道口である。

慈雲寺は旭光山と号し曹洞宗の寺院である。

貴船神社境内の案内板の内容を下に記す。

貴船神社記

(前略)平家大将 平知盛は、京都鞍馬山も鎮座の貴船神社より御分霊を先つ貴船尻(今の中電)に祀るも後世毛利藩々主の命に依り火の山中腹を霊地と(さだ)めこの地に祭られ爾来毛利藩主を始め前田村々民の尊崇篤く氏子仲よくお社を守護そ現在に至る。