宰府参詣道_原田口

概要

追分石「左 太宰府天満参詣道」(文久4年)
追分石「左 太宰府天満参詣道」(文久4年) 
筑紫神社 原田駅(解説) - 『筑前名所図会』<br>図の上がほぼ北。左右(東西)方向に長崎街道が通り、東構口から北側に上り坂が描かれている。その脇に「博多■」の書き込みがある。
筑紫神社 原田駅(解説) - 『筑前名所図会』
図の上がほぼ北。左右(東西)方向に長崎街道が通り、東構口から北側に上り坂が描かれている。その脇に「博多■」の書き込みがある。 
東が上の図。元禄の鳥居の脇から東構口に向かう道が長崎街道。途中から西に向かう道が宰府参詣道。小さな赤丸の所に追分石が描かれている。 - 『田嶋外伝浜千鳥』(安政5年)図。原田宿東構口脇の石製の案内板より引用
東が上の図。元禄の鳥居の脇から東構口に向かう道が長崎街道。途中から西に向かう道が宰府参詣道。小さな赤丸の所に追分石が描かれている。 - 『田嶋外伝浜千鳥』(安政5年)図。原田宿東構口脇の石製の案内板より引用 

『長崎街道 世界とつながった道』に掲載されている「御笠郡図」(文久2年(1862))を見れば、長崎街道原田宿から(森本)→(木山)→(タラミ)→諸田村→恒松村→永岡村→針摺村の経路で街道が描かれている(()で囲ったの地名は小字と思われる)。これが、原田宿から宰府への参詣道だろう。

当参詣道は、針摺村で日田街道に合流。その後二日市宿もしくは山家参詣道経由で宰府に入ったものと思われる。

『長崎街道 世界とつながった道』によれば、原田宿の町茶屋の休憩者名簿には長崎奉行の家族が江戸への帰り道、原田宿で「宰府御参詣」に備え、お茶漬けを所望したと記されているという。

長崎街道原田宿の東構口を出た所に追分石「左 太宰府天満参詣道」がある。文久4年(1864)に長崎の寄合町の商人が建てたものであるという。 同書の巻末の「北部九州の近世主要街道」図をみれば、原田宿-二日市宿間に街道があったことがわかる。

『筑前名所図会』筑紫神社 原田駅(解説)図をみれば、東構口から山家宿に向かう道とこの二日市宿の向かうと思われる道の分岐状態が描かれている。

当街道の全ルートは『筑前維新の道―さいふみち博多街道』 (九州文化図録撰書)のぶ工房によった。

ルート

原田宿東構口→以来尺橋→鉄塔下→以来尺踏切跡→假塚大日堂→假塚観音堂→泰仙寺→諸田の猿田彦大神→宰府参詣道口(原田口)

地図

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原田宿東構口 標高:42.3mMAP  4km以内の寺院検索

原田宿東構口前の追分。前後方向の道は長崎街道。鳥居前で左側に分岐している道が参詣道。鳥磐城の赤丸の地点に追分石
原田宿東構口前の追分。前後方向の道は長崎街道。鳥居前で左側に分岐している道が参詣道。鳥磐城の赤丸の地点に追分石 
追分石(正面。南側)。下部に発起世話人の氏名が刻まれている。
追分石(正面。南側)。下部に発起世話人の氏名が刻まれている。 
追分石(裏面。北側)。「文久4年甲子 太宰府宿坊 執行坊」
追分石(裏面。北側)。「文久4年甲子 太宰府宿坊 執行坊」 
追分石(側面。東側)。「長崎寄合町」の文字の下に多数の氏名が刻まれている。
追分石(側面。東側)。「長崎寄合町」の文字の下に多数の氏名が刻まれている。 

東構口を出ると「左 太宰府天満参詣道」と記された追分石に突き当たる。 この追分石の前を右に曲がって東側の道を進めば、長崎街道・山家宿に向かう道。左に曲がれば宰府に向かう参詣道である。

追分石の側面に「長崎寄合町」の5名男性の氏名が刻まれている。 当追分石建立の寄進者の一覧と思われる。「寄合町」とは寛永19年(1642)に市中の遊女が丸山町・寄合町に集められたのが始まり。 延宝版『長崎土産』には「丸山町遊女屋59軒遊女335人内太夫69人、寄合町遊女屋44軒遊女431人内太夫58人」とある。(丸山 (長崎市) - Wikipedia より。

これらの寄進者達は遊郭の経営者だったのだろうか? 現代の寄合町の場所はこちら。丸山町の隣町である。

同追分石の裏面には「文久4年(1864)甲子 太宰府宿坊 執行坊」とある。 安楽寺天満宮によれば、この執行坊は安楽寺天満宮の5別当の内のひとつ。当追分石は執行坊が中心となって建立されたものと思われる。

東構口|原田宿も参照のこと。


以来尺(いらいじゃく)橋 標高:50.9mMAP  4km以内の寺院検索

以来尺橋 - 太宰府に向って撮影
以来尺橋 - 太宰府に向って撮影 

参詣道は筑紫神社門前の追分石より徐々に上り坂でこの以来尺橋を渡り左手に送電線を見て北上する。

現在はこの地点は当参詣道・JR鹿児島本線と県道582号線とは立体交差している。 県道582号線は切通をまっすぐに西進している。

昔はこの少し手前で左手に曲がり、この橋の手前で右に曲がり橋を渡ったあたりで分岐。 直進すれば参詣道、左折すれば現在の県道582号線の経路をたどっていたようだ。 県道582号線を直進させるために丘を削り、その上に参詣道を通す為に、この橋が建設されたようだ。(今昔マップより推論)

「以来尺」。気になる珍しい固有名詞である。由緒などはわからない。この先に「以来尺踏切跡」もあるがこのあたりの地名なのだろう。


鉄塔下 標高:57.9mMAP  4km以内の寺院検索

①参詣道(前方に送電線の鉄塔が見える) - 太宰府に向って撮影
①参詣道(前方に送電線の鉄塔が見える) - 太宰府に向って撮影 
②参詣道(左手に送電線の鉄塔がある) - 太宰府に向って撮影
②参詣道(左手に送電線の鉄塔がある) - 太宰府に向って撮影 
③参詣道 - 太宰府に向って撮影
③参詣道 - 太宰府に向って撮影 
④参詣道 - 太宰府に向って撮影
④参詣道 - 太宰府に向って撮影 
⑤参詣道(両サイドは竹林) - 太宰府に向って撮影
⑤参詣道(両サイドは竹林) - 太宰府に向って撮影 
⑥参詣道 - 太宰府に向って撮影
⑥参詣道 - 太宰府に向って撮影 
⑦三叉路(ここで左に曲がる。ここからは下り坂) - 太宰府に向って撮影
⑦三叉路(ここで左に曲がる。ここからは下り坂) - 太宰府に向って撮影 
⑧参詣道 - 太宰府に向って撮影
⑧参詣道 - 太宰府に向って撮影 
⑨参詣道(このあたりは昔の街道の風情が味わえる) - 太宰府に向って撮影
⑨参詣道(このあたりは昔の街道の風情が味わえる) - 太宰府に向って撮影 
⑩参詣道 - 太宰府に向って撮影
⑩参詣道 - 太宰府に向って撮影 
⑪参詣道(このすぐ先に以来尺踏切跡がある。ここからは危険な為前身を断念。) - 太宰府に向って撮影
⑪参詣道(このすぐ先に以来尺踏切跡がある。ここからは危険な為前身を断念。) - 太宰府に向って撮影 

ここでは、以来尺橋を渡った所から以来尺踏切跡手前までについて記す。

この地点付近の道は左手にJR鹿児島本線がほぼ平行して通っている。 白い危険箇所にはガードレールが設置されているが、かなり老朽化している。 踏査には十分な注意が必要。特に、⑦から先は倒木や多数の蜘蛛の巣があり、見通しも悪いので単独行は避けるべき。

作者が踏査したルート(地図で示しているルート)は送電線鉄塔前後では鉄塔が建設された為か若干東側に変更されているようだ。

右図は以来尺橋を渡った所から順に付番して掲示している(10-15m間隔で撮影)。

⑦から⑪までの道は昔の道の風情を十分感じることができる。

⑪地点で道は草木が繁茂しているため、前進を断念。ここからさらに前進すると以来尺踏切跡に到達するはずである。


以来尺踏切跡 標高:51.4mMAP  4km以内の寺院検索

全景(◎の地点に以来尺踏切跡がある)
全景(◎の地点に以来尺踏切跡がある) 
①以来尺踏切跡(ここで鹿児島本線を横切る。危険なため横断は駄目!かなりの頻度で列車が往来している)
①以来尺踏切跡(ここで鹿児島本線を横切る。危険なため横断は駄目!かなりの頻度で列車が往来している) 
②参詣道
②参詣道 
③参詣道
③参詣道 
④参詣道
④参詣道 
⑤参詣道
⑤参詣道 
⑥参詣道
⑥参詣道 
⑦参詣道
⑦参詣道 
⑧参詣道
⑧参詣道 
⑨参詣道(矢印の先に假塚大日堂が見える)
⑨参詣道(矢印の先に假塚大日堂が見える) 

ここでは以来尺踏切跡から次の大日堂までのルートをたどる。

写真は以来尺踏切跡から太宰府に向かう順に付番しています。

この地点付近の道も見通しが悪いので単独行は避けるべき。以来尺踏切跡付近は鹿児島本線の列車が頻繁に走るので十分な注意が必要。間違っても線路は渡らない事

以来尺踏切跡からしばらくは昔の風情が感じられる道だ。 まさに「緑のトンネル」である。

作者はルートへは假塚大日堂側から入って踏切跡まで行き、そこから引き返しながら歩いた。

踏切跡に向かう山道は始まる所は地元の人でないとわからないかもしれない。 そこには大きな竹が倒れており、それをまたごして山道に入る。

幸い、近くに地元の古老(女性)がおられ、親切に教えて頂いた。感謝感謝感謝! 古老の話ではいまではこのルートは利用されてないが、昔は馬車も通っていたという。 当参詣道は、太宰府天満宮参詣者だけでなく地元の方々の生活道としての役割があったのだろう。


假塚大日堂 標高:46.9mMAP  4km以内の寺院検索

大日堂
大日堂 
大日堂前の宰府参詣道 - 太宰府に向って撮影
大日堂前の宰府参詣道 - 太宰府に向って撮影 

假塚大日堂筑紫四国札所(本尊:大日如来 )となっている。

大正期(1912-1926)の地図ではこのあたりは「筑紫假塚(ちくしかんづか)」あるいは単に「假塚」と呼ばれていた。

「かづか」ではなく「かづか」とよむ。

ちなみに、少し北側の泰仙寺のあたりは「諸田假塚」と呼ばれていた。

道はここより上り坂となっている。


假塚観音堂 標高:52.1mMAP  4km以内の寺院検索

観音堂
観音堂 
御堂前の宰府参詣道(御堂は写真右手) - 太宰府に向って撮影
御堂前の宰府参詣道(御堂は写真右手) - 太宰府に向って撮影 

假塚観音堂筑紫四国札所第65番札所といなっている。

御堂のすぐ裏手にはJR鹿児島本線が南北に走っている。


泰仙寺 標高:46.4mMAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
門前の宰府参詣道
門前の宰府参詣道 

泰仙寺は祥雲山と号し真宗大谷派の寺院である。


諸田(もろた)の猿田彦大神 標高:49.6mMAP  4km以内の寺院検索

猿田彦大神前の街道(右手に猿田彦大神) - 太宰府に向って撮影
猿田彦大神前の街道(右手に猿田彦大神) - 太宰府に向って撮影 
猿田彦大神
猿田彦大神 

猿田彦大神は街道の右手にポツンと立っている。 寄進銘などは確認できない。

道は上り坂である。


宰府参詣道口(原田口) 標高:39.6mMAP  4km以内の寺院検索

原田口[日田街道福岡城路] 参照のこと。