佐賀城下(さが)[長崎街道] 旧:肥前佐賀 現:佐賀県佐賀市SAGA CASTLE TOWN

概要

佐賀城城門
佐賀城城門 
佐賀城天主台跡の石垣
佐賀城天主台跡の石垣 
街道両側の側溝の蓋
街道両側の側溝の蓋 
街道両側の側溝の蓋
街道両側の側溝の蓋 

「佐賀」の地名の由来は『長崎街道 肥前佐賀路』に掲載されている。その文を引用する。

『肥前風土記』の(くす)の栄え説、 つまり、クスノキが茂り栄える「栄の国」が転用されて佐嘉になったという説が一般化されている。

「佐嘉」が「佐賀」に統一されたのは明治2年1869のことで、それ以前は「佐嘉」の文字が多く用いられていた。

奈良時代、風土記が成立した8世紀には、すでに佐嘉の地名があった。 そのころの肥前国府は、佐賀市街から北数キロにある佐賀郡大和町の久池井にあった。 この一帯には『日本書紀』に見える■[1]姫神社(河上神社) [2]をはじめ、国分寺、国分尼寺なども建てられ、 当時はここが肥前国の中心・佐賀であった。

佐賀城下の街道を歩くときには、街道沿いの側溝には右の写真のような蓋がほぼ全ルートに設置してあり、散策する人には親切である。 また、追分石を模した道標も要所要所に設置されておりこれも親切である。道標は近年に作成されたものである。

ルート

牛島宿信号 → 構口橋信号 → 構口橋 → 思案橋 → 材木町のカーブ → 旧三省銀行 → 旧牛島家 → 旧古賀家 → 八坂神社 → 呉服元町信号 → 本陣跡 → 旧本陣跡 → 白山名店街 → 白山1丁目信号 → 龍造寺八幡宮 → 福地鮮魚店前の恵比寿像 → 大覚寺 → 蓮生寺 → 伊勢神社 → 本願院前 → 真覚寺 → 天徳寺 → 北面天満宮 → 六座町 → 築地反射炉跡 → 西念寺 → 泰教寺 → 肥前忠吉屋敷跡 → 照光寺 → 恵比寿像 → ノコギリ状の街道 → 龍雲寺 → 地蔵橋 → 地蔵院 → 長安寺 → 高橋 → 苗運寺 → 別れの松 → 正休寺 → 妙福寺 → 法勝寺 → 刑場跡 → 道標 → 香椎神社 → 牛津宿

Link

佐賀宿へ|めがねのコクラヤ  佐賀城下 佐賀国道事務所


牛島宿信号 標高:3.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 交差点 - 西に向かって撮影
    交差点 - 西に向かって撮影 

街道は、この先の構口橋の手前まで喪失している。 写真の自転車のご婦人のところを佐賀城下に向かって進む。

写真左右方向がR333,前後方向がR264。


構口橋信号 標高:4.5m MAP  4km以内の寺院検索

  • 交差点
    交差点  
  • 信号脇の恵比寿像
    信号脇の恵比寿像 

街道は赤信号の通りを構口に向かって進む。信号脇には恵比寿像が鎮座。


構口橋 標高:5.4m MAP  4km以内の寺院検索

構口橋
構口橋  
番所跡
番所跡  
恵比寿像
恵比寿像  
番所跡前の街道 - 佐賀城下に向かって撮影
番所跡前の街道 - 佐賀城下に向かって撮影 

大溝川にかかるこの橋を渡ると、いよいよ佐賀城下に入る。

構口橋を渡ると、すぐ左手に番所跡の標識がある。

案内板の内容をそのまま記載する。

佐賀城下長野街道の入口

佐賀城下の表の入口が構ロである。長崎街道は、 この構口を通り、 牛島町、 柳町、 元町、 白山町、 多布施町、 伊勢町、 六座町を通り、 八戸町に至る。 構え口にはその名が示すように佐賀城下の要衝の一つである番所が設けられていた。

当時街道を通行する旅人は必ずこの番所を通らなければならなかったが、 旅人の中には脇街道を利用する者もあり藩当局を悩ませていた。 そのため天明5年1785 には構ロ、 八戸、 そのほか数ヶ所に木戸や 番所を設けて防備の強化を計っていた。

今日、 むかしの建物は残っていないが、 跡地に残存する敷石により藩政時代の番所をしのぶことかできる。

の佐賀新聞に、 構口橋の位置が現在よりも30mほど南にあったことが発見された旨の記事が出ている。 番所の正確な位置も特定されるかもしれません。調査結果の結論を待つ。


思案橋 標高:5.9m MAP  4km以内の寺院検索

  • 思案橋 - 牛津宿に向かって撮影
    思案橋 - 牛津宿に向かって撮影  
  • 思案橋脇の恵比寿像
    思案橋脇の恵比寿像  

思案橋は紺屋川にかかっている。

昔は川舟が行き来していた。橋の上流の芦町は歓楽街、下流は今宿の遊廓街で「行こか戻ろか」とこの橋の上で思案したという。

この付近に南蛮寺(キリスト教会)跡があると聞いたが、作者は確認できなかった。


材木町のカーブ 標高:6.2m MAP  4km以内の寺院検索

  • 道標
    道標  
  • 古い街並
    古い街並  

思案橋を渡り、しばらくすると街道はここで直角に右にカーブする。 また、その先20mで直角に左にカーブする。

ここでは、古い街並みが見られる。


旧三省銀行 標高:7.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 旧三省銀行内部
    旧三省銀行内部  
  • 旧三省銀行(写真右手) - 牛津宿に向かって撮影
    旧三省銀行(写真右手) - 牛津宿に向かって撮影  

ここより街道は真西に300mほど一直線で進む。

この旧三省銀行,旧牛島家,旧古賀家,八坂神社などが続く。 いずれも出入り自由で拝観料などもとっていない。マナーは守って見学されたし。

パンフレットによれば明治15年に設立され、むくりのある切妻屋根など、伝統的な蔵作りである。


旧牛島家 標高:7.9m MAP  4km以内の寺院検索

外観 - 牛津宿に向かって撮影
外観 - 牛津宿に向かって撮影  
中庭
中庭  
土間
土間  
二階の織機
二階の織機  
二階の長持
二階の長持  
門前の恵比寿像
門前の恵比寿像 

元は今宿町にあったもので、平成5年、道路拡張の為現在の場所に移築された。 佐賀城下では最古の町家建築という。

街道を挟んだ所には宝永山 専福寺がある。 寺内には蘭学者 島本良順の墓所がある。


旧古賀家 標高:7.2m MAP  4km以内の寺院検索

古賀家の門
古賀家の門  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
内部
内部  
恵比寿像
恵比寿像  

古賀銀行の創設者古賀善平の住宅で、明治17年に建てられたという。明治時代の実業家の居宅としての贅沢なつくりである。

古賀家内部は、まさに明治期の建築様式がそのまま残されている。 欄間・襖絵など見入ってしまった。 冗長ではあるが、写真を多数掲載します。


八坂神社 標高:7.6m MAP  4km以内の寺院検索

鳥居
鳥居  
本殿
本殿  
境内風景(鳥居の向こうの赤煉瓦は佐賀市歴史民族館)
境内風景(鳥居の向こうの赤煉瓦は佐賀市歴史民族館)  

境内の案内板によれば、初代藩主の鍋島勝茂1580-1657により佐賀城の鬼門除に勧請されたという。


呉服元町信号 標高:5.7m MAP  4km以内の寺院検索

  • 長崎街道の看板
    長崎街道の看板  

街道はこの先70mほど西に直進する。


本陣跡 標高:6.7m MAP  4km以内の寺院検索

  • 本陣跡
    本陣跡  

ごらんのとおり何の痕跡も残っていない。そこに設置されている案内板の内容を下記に記す。

(前略)寛政1789-1801末期、この地に住んでいた御用商人、野口恵助の自宅を借り受け、 佐賀藩の本陣として使用していましたが、その後、藩は隣接屋敷地の買収などを重ねて、 御書院・寝所・御次・家老屯など数多くの部屋を備えた呉服町本陣屋敷がこの地に整備されました。

ここは、光明寺の門前である。 遍照山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。


旧本陣跡 標高:5.6m MAP  4km以内の寺院検索

称念寺(浄土宗)・ 願正寺(浄土真宗本願寺派)は呉服町に本陣が設置されるまでは、 本陣として使用されていたという。

白山名店街 標高:5.3m MAP  4km以内の寺院検索

  • アーケード内部 - 牛津宿に向かって撮影
    アーケード内部 - 牛津宿に向かって撮影  
  • アーケード内部 - 牛津宿に向かって撮影
    アーケード内部 - 牛津宿に向かって撮影 

街道はこの先300mほど商店街のアーケード内を進む。


白山1丁目信号 標高:5m MAP  4km以内の寺院検索

  • 佐星醤油の建物
    佐星醤油の建物  

街道は、ここより次の地点まで喪失している。ここより迂回が必要である。 中央橋の北側の川沿いに佐星醤油の建物が見える。大正期の建物のようである。


龍造寺八幡宮 標高:4.7m MAP  4km以内の寺院検索

龍造寺八幡宮の肥前鳥居
龍造寺八幡宮の肥前鳥居  
龍造寺八幡宮裏手の太鼓橋
龍造寺八幡宮裏手の太鼓橋  
龍造寺八幡宮裏手の街道(左の屋根が八幡宮の本殿)
龍造寺八幡宮裏手の街道(左の屋根が八幡宮の本殿)  
龍造寺八幡宮の脇の恵比寿像
龍造寺八幡宮の脇の恵比寿像  

肥前鳥居は、佐賀市の重要文化財とのこと。 本殿前の太鼓橋はかなり古いものである。


福地鮮魚店前の恵比寿像 標高:6.5m MAP  4km以内の寺院検索

  • 恵比寿像
    恵比寿像  

街道左手にある鮮魚店。この前にも恵比寿像が鎮座。 街道は西に一直線に進む。


半跏恵比寿像 標高:7m MAP  4km以内の寺院検索

  • 恵比寿像
    恵比寿像  

恵比寿像脇の案内板によれば寛政5年1793の作で市内で最も古い像の一つとのこと。

GPSの精度が悪く、位置が東西にずれている可能性があります。


大覚寺 標高:8.4m MAP  4km以内の寺院検索

大覚寺門前の街道(右側が大覚寺。突き当りに伊勢神社の鳥居が見える) - 牛津宿に向かって撮影
大覚寺門前の街道(右側が大覚寺。突き当りに伊勢神社の鳥居が見える) - 牛津宿に向かって撮影 

大覚寺は光明山と号し浄土宗の寺院である。


蓮生寺 標高:7.4m MAP  4km以内の寺院検索

蓮生寺は聴松山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


伊勢神社 標高:7.4m MAP  4km以内の寺院検索

一の鳥居(肥前鳥居)
一の鳥居(肥前鳥居)  
伊勢神社前の街道(写真右手が伊勢神社) - 牛津宿に向かって撮影
伊勢神社前の街道(写真右手が伊勢神社) - 牛津宿に向かって撮影  
境内の肥前狛犬
境内の肥前狛犬  
本殿前の狛犬
本殿前の狛犬  
本殿前の狛犬
本殿前の狛犬  
境内の馬の石像
境内の馬の石像  
境内の馬の石像
境内の馬の石像  

ここまで西に向かっていた街道は伊勢神社の鳥居の前で直角に南にカーブする。

神社前の案内板によれば、伊勢神社前の肥前鳥居は慶長12年1607の銘があるという。(佐賀市の重要文化財)

また、境内の肥前狛犬は寛文7年1667の銘があり、市内で最も古いものであるという。


本願院前 標高:6.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 本願院前の街道
    本願院前の街道  

本願院は山号を成就山と号し、天台宗の寺院である。

街道は、ここから400mほど西に向かってまっすぐ進む。


真覚寺 標高:5m MAP  4km以内の寺院検索

真覚寺は明宝山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


天徳寺 標高:4.5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影 

天徳寺は種福山と号し臨済宗南禅寺派の寺院である。


北面天満宮 標高:5.6m MAP  4km以内の寺院検索

鳥居
鳥居  
天満宮前の街道 - 牛津宿に向かって撮影
天満宮前の街道 - 牛津宿に向かって撮影  
鳥居の後ろの門
鳥居の後ろの門  
門の屋根部の彫物
門の屋根部の彫物  
本殿
本殿 
境内風景 - ここにも恵比寿像
境内風景 - ここにも恵比寿像  

案合板の内容をそのまま記す。

北面天満宮の縁起と六座町の由来

北面天満宮は、 むかし、 鍋島町蛎久(かきひさ)[3]が肥前の国府であった頃、 市場に鎮座の一国一社の天満宮を佐賀城下の町造りの際、 鋼島直茂が蛎久の市場と共に当地に移してまつった。

当時蛎久で神社[4]の諸事を司どっていた天徳寺住持、 竹庵西堂は藩主の命を受け豪族右近刑部その他有力な人々とともに天正3年11月25日1575 神霊をこの地に移してまつり現在に至っている。

以来天満宮は文教の守護神として又、 火災除けの神として住民の崇拝厚くその実りとして六座町には今日まで大火災はないと言われ ている。 現在の神殿は貞享3年1686拝殿は元禄15年1702改築されたものである。

又、 所蔵の大太鼓は慶長11年1606製作され石の鳥居は明暦4 年1658の建立となっている。 六座町の名は、 蛎久から天満宮とともに市場が移されたとき穀物座、木工座、金銀座、縫工座、煙硝座、鉄砲座の六つの座ができたことから由来している。 六座町は佐賀城下で一番古い歴史を持った町で、市場発祥の地として長崎街道佐賀城下の繁華街であった。

北面天満宮の肥前鳥居はサイズこそ小さいが、足の元部が太くどっしりとしてひときわ存在感がある。 街道はしばらく西に向かって直進する。


六座町 標高:7.1m MAP  4km以内の寺院検索

金銀座跡の道標
金銀座跡の道標 
木工座跡の道標
木工座跡の道標 
煙硝座跡の道標
煙硝座跡の道標 
穀物座跡の道標
穀物座跡の道標 

この付近には、六座(東側から順に鉄砲座・金銀座・木工座・煙硝座・縫工座・穀物座)が軒を連ねていたという。

街道沿いには、それぞれの場所に道標が設置されている。


築地反射炉跡入口 標高:4.5m MAP  4km以内の寺院検索

築地反射炉跡(ついじはんしゃろあと)については、築地反射炉跡(ついじはんしゃろあと) 佐賀市[佐賀県]を参照のこと。


西念寺 標高:6.8m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(左手が西念寺) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(左手が西念寺) - 牛津宿に向かって撮影 

街道は西念寺門前に向かって左に直角に曲がる。

西念寺は慈光山と号し浄土宗の寺院である。


泰教寺 標高:5.5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(右手が泰教寺)
門前の長崎街道(右手が泰教寺) 

泰教寺は光長山と号し日蓮宗の寺院である。


肥前忠吉屋敷跡 標高:6.6m MAP  4km以内の寺院検索

石碑と案内板
石碑と案内板 

案内板の内容を下に記す。

慶長のはじめ頃、佐賀郡長瀬村の鍛冶職人忠吉は、藩主直茂に見い出され、京都に上り、刀鍛冶埋忠明寿に師事、数年の歳月を費やして腕を磨いて帰国、住居を長瀬村(現高木瀬町長瀬)から城下町西に移住して鍛冶場をつくった。 当時、六座町以西はまだ町名がなかったので、出生地の村名をとって長瀬町と名付けたといわれている。

忠吉は橋本新左衛門といったが、元和年間1615-1624武蔵大掾(むさしだいじょう)を受領し名を忠広と改めた。 刀匠忠吉一門は9代まで継承され、見事な肥前刀を生み出した。

屋敷跡を示す「刀匠近江屋敷跡」「刀匠河内大掾藤原正広家」の石柱が建てられてる。


照光寺 標高:5.5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道
門前の長崎街道 

照光寺は無邊山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


恵比寿像 標高:5.2m MAP  4km以内の寺院検索

  • 恵比寿像
    恵比寿像  
  • 恵比寿像前の街道
    恵比寿像前の街道  

恵比寿像は民家のブロック塀に埋め込まれた祠の中に鎮座されている。 いいお顔をされている。


ノコギリ状の街道 標高:6.8m MAP  4km以内の寺院検索

ノコギリ状の街道
ノコギリ状の街道  
ノコギリ状の街道
ノコギリ状の街道  
ノコギリ状の街道
ノコギリ状の街道  
恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像
恵比寿像 

このあたりから次の地蔵橋手前まで街道がノコギリ状にギザギザになってる。 西側から攻められた場合に隠れて敵の不意をつく防衛上の造りと思われる。

めずらしく、大黒像も鎮座している。

しばらくは、古い街並みが続く。


龍雲寺 標高:6.1m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(右手が雲龍寺) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(右手が雲龍寺) - 牛津宿に向かって撮影 

龍雲寺は慶聚山と号し曹洞宗の寺院である。


地蔵橋 標高:5m MAP  4km以内の寺院検索

地蔵橋 - 牛津宿に向かって撮影
地蔵橋 - 牛津宿に向かって撮影  
地蔵菩薩像
地蔵菩薩像  
地蔵堂菩薩より少し西の街並 - 牛津宿に向かって撮影
地蔵堂菩薩より少し西の街並 - 牛津宿に向かって撮影  

地蔵橋を渡るとすぐ右手に巨大な地蔵菩薩が鎮座している。

案内板によれば、この地蔵菩薩像は、宝歴6年1756に長瀬町の鋳物師によって鋳造された銅製のものであったという。 戦時中の昭和19年に供出され、昭和28年に八戸地区の有志によって石像として再建された。


地蔵院 標高:3.6m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(右手が地蔵院) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(右手が地蔵院) - 牛津宿に向かって撮影 

地蔵院は慈雲山と号し曹洞宗の寺院である。


長安寺 標高:6.2m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道
門前の長崎街道 

長安寺は馮翊山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


高橋 標高:4.4m MAP  4km以内の寺院検索

高橋
高橋  
高橋
高橋  
高橋
高橋  
高橋 - 橋の向こうの山並は背振山系
高橋 - 橋の向こうの山並は背振山系  
高橋手前の古い商家
高橋手前の古い商家  
高橋手前脇の恵比寿像
高橋手前脇の恵比寿像  
高橋を渡った所の恵比寿像
高橋を渡った所の恵比寿像  

この橋を渡ると佐賀城下を出たことになる。 ここに存在感のある橋が復元されている。 橋の前後には、ここにもやはり恵比寿像が鎮座している。

橋の脇の案内板の内容を引用する。

佐賀城下長崎街道西の入り囗

八戸町の西の端・深町井樋に架けられた橋が高橋で、 現国道207号線の新高橋と街道筋の旧高橋は50mほど離れ、平行に架 けられている。

旧高橋は慶長年間、佐賀城下町建設のときに架設されたと考えられる。 旧高橋から東へ街道沿いに高橋宿、鍵の手に折れ曲がり、八戸宿に繋がる。 この鍵の手のところに番所が設置されていた。 扇町の街道から旧高橋にさしかかる鍵型の辻路は、嘉瀬方面から押し寄せる敵勢を本庄江でくい止めるために作られたと伝えられる。 高橋は本庄江を航行する船の往来を便利にするため、 橋桁を高く持ち上げ、船の帆柱や竿が支障なく通るようにしたため、 その名が起こったといわれている。

江戸時代まで高橋の市場には集散する船の積み荷でにぎわっていた。

一(市) は高橋、二(荷) は牛津、 三(産)は泰順、 四 (詩) は安道、 五(碁) は但馬、 六(禄) は諫早、 七(質) は成宮、 八(鉢)は皿山、 九(句) は十方庵

という数え歌のように、 高橋周辺は市として栄え、瓦屋、かま ぼこ製造屋、元結紙製造屋などがあった。


苗運寺 標高:6.2m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(左手が苗運寺) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(左手が苗運寺) - 牛津宿に向かって撮影 

苗運寺は普門山と号し曹洞宗の寺院である。

門前の長崎街道(現国道207号線)は道路拡張の為、道幅が広くなっており当時の面影は無い。


別れの松 標高:4.4m MAP  4km以内の寺院検索

別れの松(写真中央。後ろに木と重なってわかりづらい。)
別れの松(写真中央。後ろに木と重なってわかりづらい。) 
別れの松前の街道
別れの松前の街道 

松の木の根本に設置されている案内板の内容を下に記す。

別れの松

刑場に()かれる罪人が、ここで見送りの肉親や知人と永遠の別れを告げねばならなかった。 そこで別れの松と呼ばれていた。 早朝、白衣をまとった姿で獄屋(ごくや)を出された罪人は、この松のところでしばらく駕籠(かご)を止めて見送りの者と別れの水盃(みずさかずき)を交わすことを許されていた。

明治になり、嘉瀬の刑場が廃止になっても「別れの松」は代々植えつがれて今に残されている。

街道はここより国道207号線からそれて旧道に入る。


正休寺 標高:5.5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(右手が正休寺) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(右手が正休寺) - 牛津宿に向かって撮影 

正休寺は浄土真宗本願寺派の寺院である。


妙福寺 標高:5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道 - 牛津宿に向かって撮影 
寺の東側の商家 - 牛津宿に向かって撮影
寺の東側の商家 - 牛津宿に向かって撮影 

妙福寺は石岡山と号し日蓮宗の寺院である。


法勝寺 標高:4.1m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道(右手が法勝寺) - 牛津宿に向かって撮影
門前の長崎街道(右手が法勝寺) - 牛津宿に向かって撮影 

法勝寺は臨済宗南禅寺派の寺院である。


刑場跡 標高:6.1m MAP  4km以内の寺院検索

嘉瀬川の河川敷には鍋島藩政時代の刑場があったという。 場所は定かではない。

およそ270有余年前、妙福寺の日仙上人が夢想をうけて刑死者のためこの付近に供養の卒塔婆を建てた。 明和3年17668月同寺の日潮上人によって現存する千人塔に改建。 昭和40年8月嘉瀬川改修工事のためこの千人塔は嘉瀬川の河畔(現在の森林公園)から妙福寺に移されたという。 現在は森林公園内にも「千人塚塔」が建てられている。


道標 標高:3.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 道標(「久保田村道路」)
    道標(「久保田村道路」)  
  • 道標前の街道(自転車の人が向かっている方向が街道、道標は写真左下隅) - 牛津宿に向かって撮影
    道標前の街道(自転車の人が向かっている方向が街道、道標は写真左下隅) - 牛津宿に向かって撮影  

街道はこの手前で一時R207よりそれる。

ショッピングセンター駐車場入口に小さな道標がある。R48側には「久保田村道路」、裏側には「佐賀縣」の文字が刻印されている。


香椎神社 標高:3.5m MAP  4km以内の寺院検索

肥前鳥居
肥前鳥居 
石橋
石橋  
香椎神社脇の街道(写真左手奥に香椎神社が鎮座する) - 牛津宿に向かって撮影
香椎神社脇の街道(写真左手奥に香椎神社が鎮座する) - 牛津宿に向かって撮影  

肥前鳥居は久保田町の重要文化財。四脚門は江戸期初頭に建立で佐賀県の重要文化財。

次の宿場は牛津宿である。