黒崎宿周辺のスポット  KUROSAKI STATION

概要

ここでは黒崎宿[長崎街道]周辺のスポットを紹介する。

花尾城跡 標高:344.8m MAP  4km以内の寺院検索

  • 石碑
    石碑 
  • 城跡
    城跡 
  • 城跡より八幡西区方面を望む
    城跡より八幡西区方面を望む 

花尾城跡は、黒崎宿を見下ろす花尾山の山頂にあった。 現在、山頂にはその遺物は確認できず、案内板と石碑があるのみである。 ここは、市民の軽い登山コースの一つとなっている。

山頂の案内板の内容をそのまま記載する。

史跡 花尾城跡

麻生氏の居城跡で、小倉の大三岳城跡や文字の門司城跡と共に中世北九州の代表的な山城の一つ。

平家滅亡後、宇都宮朝綱の次男家政は鎌倉幕府の命により遠賀郡山鹿(やまが)に下り、 山鹿氏を称したのち、 その子時家は次男資時に麻生庄野面(のぶ)庄、上津役(こうじゃく)里を割譲、 よって資時は麻生庄に本拠をおき麻生氏を名乗った。

この城の築城年代は定かではないが、南北朝時代と推定されており、その頃は麻生山と呼ばれていたという。

ここでは、中世に、いくたびかの合戦があったが、なかでも文明10年1687 麻生氏の家督をめぐって、惣領家弘家と反惣領派家延との内紛は知られており、 このとき山口の大内政弘弘家を援け、当城にこもる家延を攻めたたま、家延は和議を乞い城を開けた。

その後の麻生氏は家氏のとき、豊富秀吉の九州征伐のあと天正15年1587筑後に所替えとなり、 三百数十年にわたる当地でのその歴史をとじた。


五卿上陸地 標高:3.1m MAP  4km以内の寺院検索

  • 五卿上陸地の婢
    五卿上陸地の婢 
  • 現代の黒崎埠頭から若戸大橋を望む
    現代の黒崎埠頭から若戸大橋を望む  

東構口より海側に300mほど行ったところに五卿上陸地跡の案内板がある。 五卿上陸地の碑の案内板の内容をそのまま記す。

文久3年1863、政変により公武合体派が優勢となり、攘夷派の 公卿(くぎょう)三条実美(さねとみ)ら7人は、京都を 追われ長州へ逃れました。世に七卿落(しちきょうおち)といわれた 事件です。

その後5人になった公卿は、第一次長州征討の結果、太宰府へ配流(はいる) と決まり、五卿は元治2年18561月15日彦島をたち、黒崎(みなと) に上陸しました。碑はもと100mほど西にありました。

五卿は_三条実美、三条西季知(すえとも)東久世通禧(ひがしくせみちとみ)壬生基修(みぶもとなが)四条隆謌(しじょうたかうた)です。 - 北九州市教育委員会

碑の元あったとされる場所は現在は工場の敷地内となっている。

碑のある場所より50mほど北には今も黒崎港がある。 黒崎埠頭の写真の右前方に若戸大橋が写っている。


黒崎城跡(道伯山(どうはくざん)) 標高:4.3m MAP  4km以内の寺院検索

  • 黒崎城跡の石垣
    黒崎城跡の石垣 

道伯山(地元に人は"城山"と呼ぶ)にはその昔黒崎城があったが、一国一城令により廃却された。 城山山頂は、現在は公園となっており当時のおもかげは、わずかに石垣を残すのみとなっている。


熊野神社標高:36.6m MAP  4km以内の寺院検索

  • 一の鳥居(弘化2年の銘)
    一の鳥居(弘化2年の銘) 
  • 境内風景(正面が本殿)
    境内風景(正面が本殿) 
  • 毘沙門堂・恵比寿堂
    毘沙門堂・恵比寿堂 
  • 庚申尊天(寛永3年の銘)
    庚申尊天(寛永3年の銘) 
  • 手水(天保12年の銘)
    手水(天保12年の銘) 
  • 参道(前の道路はR200)
    参道(前の道路はR200) 

文禄の役1592-1593秀吉がこの地に宿陣した所である。 境内には弘化2年1845の一の鳥居・寛永3年1626銘の庚申尊天・天保12年1841銘の手水などがある。