北方宿(きたがた)[長崎街道] 旧:肥前国大崎村大副 現:佐賀県武雄市北方町KITAGATA STATION

概要

  • 北方宿の町並み(左手は北方大崎郵便局) - 西構口に向かって撮影
    北方宿の町並み(左手は北方大崎郵便局) - 西構口に向かって撮影 
  • 元禄年間の鳥瞰図(東西の構口・大崎八幡神社が描かれている) - 本陣前の案内板より抜粋
    元禄年間の鳥瞰図(東西の構口・大崎八幡神社が描かれている) - 本陣前の案内板より抜粋 

ここでは焼米追分の先から当北方宿を通り、塚崎宿の手前迄のルートを掲載する。

長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))によれば、宿場内には、本陣・駕籠立場・高札場など基本的な宿駅機能を全て有していた。他に、多久領米蔵・脇本陣もあったという。

当宿場は直角に曲がった構造をしており、曲がり角には唐津街道との追分がある。

北方宿→塚崎宿嬉野宿のルートは「塚崎道」とよばれ、享保4年1719以降に開発された街道という。 それ以前は、焼米追分で分岐する「鹿島道(浜通り)」が利用されていたという。

ルート

十三塚北向き地蔵堂→一里松観音堂→十三塚→木ノ元神社→稲主神社→北方宿東構口→本陣跡→泰林寺→大崎八幡神社→北方追分→北方宿西構口→妙輪寺→火除地蔵→高橋宿バス停→朝日東分→享保橋→英彦山大権現社→八並の石塔→円寿院→諏訪神社→石仏の祠→塚崎宿

Link

鳴瀬宿&塩田宿&北方宿へ|めがねのコクラヤ
北方宿 佐賀国道事務所


十三塚北向き地蔵堂 標高:6.4mMAP  4km以内の寺院検索

地蔵堂
地蔵堂 
地蔵堂東側の長崎街道(地蔵堂は矢印の所) - 北方宿に向かって撮影
地蔵堂東側の長崎街道(地蔵堂は矢印の所) - 北方宿に向かって撮影 

十三塚北向き地蔵堂には観音像、地蔵菩薩像3体が安置されている。

地蔵堂は街道より数メートルはずれた所にある。お見逃しなく。


一里松観音堂 標高:8.1mMAP  4km以内の寺院検索

観音堂
観音堂 
観音堂前の街道 - 北方宿に向かって撮影
観音堂前の街道 - 北方宿に向かって撮影 

観音堂の天井には「昭和44年19699月吉祥日 建立者 中尾芳雄 観音御堂棟上 大工 秋山和彦」銘がある。

この先の十三塚大師堂前の案内板によれば、この辺りに一里松が植えられていたという。


十三塚 標高:8.9mMAP  4km以内の寺院検索

大師堂
大師堂 
十三塚(赤丸のもの)
十三塚(赤丸のもの) 

街道はここで十三塚のある小山を避けるように緩やかに右にまがる。まっすぐに進むと十三塚大師堂とその先に十三塚がある。

十三塚の由来については十三塚大師堂のページをご覧ください


木ノ元神社 標高:7.6mMAP  4km以内の寺院検索

木ノ元神社前の街道(右手が木ノ元神社と案内板) - 北方宿に向かって撮影
木ノ元神社前の街道(右手が木ノ元神社と案内板) - 北方宿に向かって撮影 
木ノ元神社
木ノ元神社 
木ノ元神社石祠内
木ノ元神社石祠内 
木ノ元神社石祠側面の銘文(びっしりと文字が刻まれ文末に「明治36年3月」とある)
木ノ元神社石祠側面の銘文(びっしりと文字が刻まれ文末に「明治36年3月」とある) 
勝満寺本堂
勝満寺本堂 

街道脇に石祠と案内板がある。

案内板によれば、この石祠自体が「木ノ元神社」だという。作者は「神社」といえば、鳥居+社殿があるイメージだが。。。

濡れ衣を着せられた稲主神社の木ノ元公(きのもとこう)がこの場所で7人の我が子を(あや)め自害し、身の潔白を示したという伝説があるという。

木ノ元神社前の街道を数m進むと、北方宿に向かって右手には勝満寺への参道口がある。同寺は壽量山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。葦葺屋根の本堂は一見の価値あり。


稲主神社 標高:9.3mMAP  4km以内の寺院検索

①門前の街道
①門前の街道 
②門前の街道 - 境内より撮影
②門前の街道 - 境内より撮影 
③門前の街道 - 北方宿に向かって撮影
③門前の街道 - 北方宿に向かって撮影 
最上稲荷神社、その後に稲主神社本殿
最上稲荷神社、その後に稲主神社本殿 
拝殿
拝殿 
お篭り堂(と思われる)
お篭り堂(と思われる) 
社殿脇の階段(自然石を刻んで造られている)
社殿脇の階段(自然石を刻んで造られている) 
社殿
社殿 
元禄期の鳥瞰図(赤矢印の先が稲主神社。木ノ元神社脇の案内板より抜粋)
元禄期の鳥瞰図(赤矢印の先が稲主神社。木ノ元神社脇の案内板より抜粋) 

上の木ノ元神社と一部重複するが当社の起源は下記のとおり。(「木ノ元」と「木之元」とは同一人物。)

時は鎌倉時代、当地に住んでいた木之元氏が稲を盗んだとの濡れ衣を着せられ、疑いを晴らす為我が子7人の腹を割き無実を立証。自らも切腹。

その後、当地では「災厄頻りに起り五穀実らず住民難渋」した。世人はこれは(たた)りであるとして嘉禎元年1235神殿を建立して祀った。これが当社の起源である。

木之元氏は京都御所守護の要職にあった源頼茂。鎌倉幕府3代将軍源実朝が暗殺された1219後、頼茂が将軍職を狙っているとの讒言があり、後鳥羽上皇により兵を向けられた。このためにこの地に逃れ、姓を木之元と改めたという。(以上境内の案内板より)

参考:稲主神社

源頼茂 - Wikipediaによれば、彼は平安京の仁寿殿で自害とある。これ以上の深入りは止めておく。

稲主神社境内には肥前型狛犬が鎮座。歴史を感じさせる境内である。当社では毎年10月19日には志久七囃子浮立(しくななばやしふりゅう)が催されていたが今は途絶えているという。

街道は門前の前後でクランク状に曲がる。


北方宿東構口 標高:6.3mMAP  4km以内の寺院検索

東構口(前方右手の壁の白い建物は本陣跡) - 宿場内に向かって撮影
東構口(前方右手の壁の白い建物は本陣跡) - 宿場内に向かって撮影 
東構口に架けられた橋の下を流れる川
東構口に架けられた橋の下を流れる川 

ここでは番所・木戸などの遺構は何も確認できない。


本陣跡 標高:8.4mMAP  4km以内の寺院検索

本陣跡
本陣跡 

文化9年1812には伊能忠敬一行が宿泊。他に長崎奉行・幕府役人・佐賀藩主なども立ち寄った。

街道を挟んだ向い側には脇本陣・多久領の米蔵があった。(以上案内板より)


泰林寺 標高:9mMAP  4km以内の寺院検索

本堂
本堂 
門前の長崎街道(右手が泰林寺) - 北方宿に向かって撮影
門前の長崎街道(右手が泰林寺) - 北方宿に向かって撮影 

泰林寺は松谷山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


大崎八幡神社 標高:8.6mMAP  4km以内の寺院検索

大崎八幡神社前の街道(正面の家の所が追分。右手が大崎八幡神社)
大崎八幡神社前の街道(正面の家の所が追分。右手が大崎八幡神社) 
鳥居
鳥居 
石段(ここを登れば社殿があるはず)
石段(ここを登れば社殿があるはず) 

当八幡宮の社殿は鳥居をくぐり、そこから少し先の左手にある石段を登った所にあるようだ。 作者は当日これからの行程を考え体力温存の為、石段を登ることは諦めた。石段の下で一礼。

案内板によれば、社殿には大崎村大副炭鉱(おおさきむらおおぞえたんこう)の繁栄と「やま」で働く人の安全を祈願した炭鉱絵馬が奉納されているという。市重要有形民俗文化財。慶応元年1865に奉納されたもの。

参考:大崎八幡宮


北方追分 標高:8.4mMAP  4km以内の寺院検索

①追分(左は塚崎宿方向、右は唐津街道)
①追分(左は塚崎宿方向、右は唐津街道) 
②追分(前方へは長崎街道、右手は唐津街道)
②追分(前方へは長崎街道、右手は唐津街道) 
追分石(と思われるとえびす像)
追分石(と思われるとえびす像) 
追分石(と思われるとえびす像、拡大)
追分石(と思われるとえびす像、拡大) 
追分にある石塔(五輪塔の最上部の宝珠ではなかろうか?)
追分にある石塔(五輪塔の最上部の宝珠ではなかろうか?) 

ここは長崎街道と唐津街道の追分である。 左に曲がれば塚崎宿方面、直進すれば、唐津街道の川古宿方面への街道である。

長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))によれば、「いまり/たけお/さか」銘の追分石があるという。写真①で示した位置に石塔とえびす像が並んで立っている。追分石はこの石塔と思われる。

追分石との対角線の角に五輪塔の最上部の宝珠と思われる石がある。


北方宿西構口 標高:8.2mMAP  4km以内の寺院検索

西構口があったという場所には、番所・木戸等の遺構は何も確認できない。


妙輪寺 標高:5.3mMAP  4km以内の寺院検索

妙輪寺は恵日山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。


火除地蔵 標高:5.5mMAP  4km以内の寺院検索

  • 火除地蔵
    火除地蔵 
  • 火除地蔵前の街道(街道はここを左(北西方向)に直角に曲がる)
    火除地蔵前の街道(街道はここを左(北西方向)に直角に曲がる) 

北方宿西構口からほぼ一直線に南西方向に進んできた街道はここで右に直角に曲がる。

火除地蔵尊は六地蔵塔の形式をしている。銘などは判読できなかったが、かなりの年代物である。

また、この地点より30mほど手前には「高橋」が架かっている。長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))によれば、最近までは石橋が架かっていたとの事。 現在はコンクリート製に変わっている。


高橋宿バス停 標高:6.5mMAP  4km以内の寺院検索

  • バス停付近の街道 - 塚崎宿に向かって撮影
    バス停付近の街道 - 塚崎宿に向かって撮影 

バス停の名前からしてこの付近も宿場があったのだろうか? 古い町並みが残っている。

街道はこの先200mほど行った所の朝日小学校の所で左に直角にカーブする。 朝日小学校の所は唐津街道との追分となっている。


朝日東分 標高:7.3mMAP  4km以内の寺院検索

この地は唐津街道との追分となっている。 直進すれば、唐津方面、 左に曲がれば、塚崎宿方面への街道である。

追分の西側にはあさひ保育園がある。 保育園の正門脇にはエノキの大木がある。


享保橋 標高:7.3mMAP  4km以内の寺院検索

享保橋 - 塚崎宿に向かって撮影
享保橋 - 塚崎宿に向かって撮影 
享保橋 - 川の下流に向かって撮影
享保橋 - 川の下流に向かって撮影 
享保橋 - 川の上流に向かって撮影
享保橋 - 川の上流に向かって撮影 

名前からして、「塚崎道」が開通時に架けられたものであろう。

周辺はのどかな田園地帯である。 この川は六角川と合流する。


英彦山大権現社 標高:25.3mMAP  4km以内の寺院検索

  • 英彦山大権現社鳥居
    英彦山大権現社鳥居 
  • 英彦山大権現社鳥居前の街道 - 塚崎宿向かって撮影
    英彦山大権現社鳥居前の街道 - 塚崎宿向かって撮影 

鳥居には安政2年1855の銘がある。

鳥居の先には参道と思われる長い道があるが、その本殿は時間の都合で確認できていない。

鳥居前から塚崎宿方向を眺めると御船山が確認できる。


八並の石塔 標高:20.7mMAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
石塔裏の六地蔵塔
石塔裏の六地蔵塔 
石塔前の街道 - 塚崎宿に向かって撮影
石塔前の街道 - 塚崎宿に向かって撮影 
石塔
石塔 

案内板の内容を下記に記載する。

八並(やつなみ)の石塔

建久4年1193,源頼朝が、富士の裾野で催した「巻狩り」は、 曽我兄弟の敵討ちで、世に知られている。 曽我兄弟は、父の敵工藤祐経(くどうすけつね)が、 この巻狩りに参加していることを知り、 夜の暗にまぎれて忍び込み、 無事仇を討つ。 ところが陣中は大さわぎとなり、 兄の十郎は殺され、弟の五郎は捕らえられ、 やがて鎌倉の牢屋で病死した。

十郎の許婚者であった大磯の虎御前は、 黒髪を切り落とし、 兄弟の冥福を祈るため、善光寺の尼さんになった。

ちょうどその頃、佐賀の小城の里に、西国一と云われる岩蔵寺が建つと聞いて、 虎御前は九州に下ってきた。 その途中、中国と四国に、それぞれ石塔をたてて、兄弟の冥福を祈ったという。 三番目に建てたのが、八並の石塔である。(武雄市文化財)

虎御前は、小城の岩蔵寺で、写経と読経の毎日を過ごしながら余命を全うしたと伝えている。

石塔は建てられたままとすれば800年ばかり経過している。 見たところ柔らかい石質(多分砂岩)でできている。 覆屋もなく雨ざらしである。 何とか保護できないものか?


円寿院 標高:21.4mMAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道 - 塚崎宿に向かって撮影
門前の長崎街道 - 塚崎宿に向かって撮影 

円寿院は諏訪山と号し、真言宗醍醐派の寺院である。


諏訪神社 標高:21mMAP  4km以内の寺院検索

本殿
本殿 
鳥居
鳥居 
境内の石碑(向かって左手が伊勢講碑)
境内の石碑(向かって左手が伊勢講碑) 
境内から眺める桜山(写真右手)
境内から眺める桜山(写真右手) 
諏訪神社前の街道(右手が諏訪神社) - 塚崎宿に向かって撮影
諏訪神社前の街道(右手が諏訪神社) - 塚崎宿に向かって撮影 
桜山
桜山 

鳥居脇の案内板の内容をそのまま記す。

諏訪神社と伊勢講碑

13世紀のおわり、 第5代後藤清明の次男、次郎が、その領地八並を与えられ分家、八並に館を定めたとき、 守護神としてまつったのが諏訪神社である。

戦いの神、農業の神としてあがめられて来たが、 本社は、長野県諏訪市にある。 朝廷の崇敬あつい神様であった。 祭神は、タケミナタカノカミ、ヤサカトメノカミである。

神社のうしろに、「八並さん」といわれる、 大きな五輪塔がある。 これは八並の領主が元寇1274のとき、 乗っている馬がつまずいて落馬し、戦死したのを葬り、その家族ものちに葬られたと云い伝える。 以来、明治になるまで、 八並区民は、馬を飼わなかったと云う。

境内に、明治38年の伊勢講碑がある。 代参の年と名前が刻んである。 伊勢講碑は、市内に61基残っているが、 八並のものは、 汽車が通じてからお参りしたことになる。 その道中記も残っており、 計算すると往復15日の旅だったらしい。

境内からは塚崎宿の街並み、本陣跡の裏にそびえる桜山が一望できる。 あいにく「八並さん」といわれる、大きな五輪塔は見逃してしまった。


石仏の祠 標高:20.4mMAP  4km以内の寺院検索

  • 石仏の祠
    石仏の祠 
  • 石仏の祠前の街道 - 塚崎宿向かって撮影
    石仏の祠前の街道 - 塚崎宿向かって撮影 

祠には2体の石仏が安置されている。

この先200mほど進むとカギ型に曲がった街道となる。 塚崎宿の東の木戸(構口)場所は作者はわからないが、そこを塚崎宿の入口としよう。