北方宿(きたがた)[長崎街道] 旧:肥前国北方 現:佐賀県武雄市北方町KITAGATA STATION

概要

(おことわり)肝心かなめの北方宿の宿場内は諸般の事情でまだ歩いていない。 したがって、現在のところ、この先の塚崎宿の手前の高橋宿付近から塚崎宿の木戸口までの記述になっている。

北方宿→塚崎宿→嬉野宿のルートは「塚崎道」とよばれ、享保4年1719以降に開発された街道という。 また、焼米追分で分岐する「鹿島道(浜通り」を利用していた佐賀藩士達も北方宿を利用していたようである。 (推敲中)

ルート

稲主神社 → 北方宿東構口 → 泰林寺 → 大崎八幡神社 → 北方追分 → 北方宿西構口 → 火除地蔵 → 高橋宿バス停 → 朝日東分 → 享保橋 → 大英彦山権現社鳥居-安政2年 → 八並の石塔 → 円寿院 → 諏訪神社 → 石仏の祠 → 塚崎宿

Link

鳴瀬宿&塩田宿&北方宿へ|めがねのコクラヤ
北方宿 佐賀国道事務所


稲主神社 標高:9.2m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。

参考:稲主神社


北方宿東構口 標高:7.6m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。


泰林寺 標高:9m MAP  4km以内の寺院検索

泰林寺は浄土真宗本願寺派の寺院である。


大崎八幡神社 標高:8.6m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。


北方追分 標高:8.4m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。


北方宿西構口 標高:8.2m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。


火除地蔵前 標高:5.5m MAP  4km以内の寺院検索

  • 火除地蔵
    火除地蔵 
  • 火除地蔵前の街道(街道はここを左(北西方向)に直角に曲がる)
    火除地蔵前の街道(街道はここを左(北西方向)に直角に曲がる) 

北方宿西構口からほぼ一直線に南西方向に進んできた街道はここで右に直角に曲がる。

火除地蔵尊は六地蔵塔の形式をしている。銘などは判読できなかったが、かなりの年代物である。

また、この地点より30mほど手前には「高橋」が架かっている。『長崎街道 (肥前佐賀路) (九州文化図録撰書 (2))』によれば、最近までは石橋が架かっていたとの事。 現在はコンクリート製に変わっている。


高橋宿バス停 標高:6.5m MAP  4km以内の寺院検索

  • バス停付近の街道 - 塚崎宿に向かって撮影
    バス停付近の街道 - 塚崎宿に向かって撮影 

バス停の名前からしてこの付近も宿場があったのだろうか? 古い町並みが残っている。

街道はこの先200mほど行った所の朝日小学校の所で左に直角にカーブする。 朝日小学校の所は唐津街道との追分となっている。


朝日東分 標高:7.3m MAP  4km以内の寺院検索

この地は唐津街道との追分となっている。 直進すれば、唐津方面、 左に曲がれば、塚崎宿方面への街道である。

追分の西側にはあさひ保育園がある。 保育園の正門脇にはエノキの大木がある。


享保橋 標高:7.3m MAP  4km以内の寺院検索

享保橋 - 塚崎宿に向かって撮影
享保橋 - 塚崎宿に向かって撮影 
享保橋 - 川の下流に向かって撮影
享保橋 - 川の下流に向かって撮影 
享保橋 - 川の上流に向かって撮影
享保橋 - 川の上流に向かって撮影 

名前からして、「塚崎道」が開通時に架けられたものであろう。

周辺はのどかな田園地帯である。 この川は六角川と合流する。


英彦山大権現社 標高:25.3m MAP  4km以内の寺院検索

  • 英彦山大権現社鳥居
    英彦山大権現社鳥居 
  • 英彦山大権現社鳥居前の街道 - 塚崎宿向かって撮影
    英彦山大権現社鳥居前の街道 - 塚崎宿向かって撮影 

鳥居には安政2年1855の銘がある。

鳥居の先には参道と思われる長い道があるが、その本殿は時間の都合で確認できていない。

鳥居前から塚崎宿方向を眺めると御船山が確認できる。


八並の石塔 標高:20.7m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
石塔裏の六地蔵塔
石塔裏の六地蔵塔 
石塔前の街道 - 塚崎宿に向かって撮影
石塔前の街道 - 塚崎宿に向かって撮影 
石塔
石塔 

案内板の内容を下記に記載する。

八並(やつなみ)の石塔

建久4年1193,源頼朝が、富士の裾野で催した「巻狩り」は、 曽我兄弟の敵討ちで、世に知られている。 曽我兄弟は、父の敵工藤祐経(くどうすけつね)が、 この巻狩りに参加していることを知り、 夜の暗にまぎれて忍び込み、 無事仇を討つ。 ところが陣中は大さわぎとなり、 兄の十郎は殺され、弟の五郎は捕らえられ、 やがて鎌倉の牢屋で病死した。

十郎の許婚者であった大磯の虎御前は、 黒髪を切り落とし、 兄弟の冥福を祈るため、善光寺の尼さんになった。

ちょうどその頃、佐賀の小城の里に、西国一と云われる岩蔵寺が建つと聞いて、 虎御前は九州に下ってきた。 その途中、中国と四国に、それぞれ石塔をたてて、兄弟の冥福を祈ったという。 三番目に建てたのが、八並の石塔である。(武雄市文化財)

虎御前は、小城の岩蔵寺で、写経と読経の毎日を過ごしながら余命を全うしたと伝えている。

石塔は建てられたままとすれば800年ばかり経過している。 見たところ柔らかい石質(多分砂岩)でできている。 覆屋もなく雨ざらしである。 何とか保護できないものか?


円寿院 標高:21.4m MAP  4km以内の寺院検索

門前の長崎街道 - 塚崎宿に向かって撮影
門前の長崎街道 - 塚崎宿に向かって撮影 

円寿院は諏訪山と号し、真言宗醍醐派の寺院である。


諏訪神社 標高:21m MAP  4km以内の寺院検索

本殿
本殿 
鳥居
鳥居 
境内の石碑(向かって左手が伊勢講碑)
境内の石碑(向かって左手が伊勢講碑) 
境内から眺める桜山(写真右手)
境内から眺める桜山(写真右手) 
諏訪神社前の街道(右手が諏訪神社) - 塚崎宿に向かって撮影
諏訪神社前の街道(右手が諏訪神社) - 塚崎宿に向かって撮影 
桜山
桜山 

鳥居脇の案内板の内容をそのまま記す。

諏訪神社と伊勢講碑

13世紀のおわり、 第5代後藤清明の次男、次郎が、その領地八並を与えられ分家、八並に館を定めたとき、 守護神としてまつったのが諏訪神社である。

戦いの神、農業の神としてあがめられて来たが、 本社は、長野県諏訪市にある。 朝廷の崇敬あつい神様であった。 祭神は、タケミナタカノカミ、ヤサカトメノカミである。

神社のうしろに、「八並さん」といわれる、 大きな五輪塔がある。 これは八並の領主が元寇1274のとき、 乗っている馬がつまずいて落馬し、戦死したのを葬り、その家族ものちに葬られたと云い伝える。 以来、明治になるまで、 八並区民は、馬を飼わなかったと云う。

境内に、明治38年の伊勢講碑がある。 代参の年と名前が刻んである。 伊勢講碑は、市内に61基残っているが、 八並のものは、 汽車が通じてからお参りしたことになる。 その道中記も残っており、 計算すると往復15日の旅だったらしい。

境内からは塚崎宿の街並み、本陣跡の裏にそびえる桜山が一望できる。 あいにく「八並さん」といわれる、大きな五輪塔は見逃してしまった。


石仏の祠 標高:20.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 石仏の祠
    石仏の祠 
  • 石仏の祠前の街道 - 塚崎宿向かって撮影
    石仏の祠前の街道 - 塚崎宿向かって撮影 

祠には2体の石仏が安置されている。

この先200mほど進むとカギ型に曲がった街道となる。 塚崎宿の東の木戸(構口)場所は作者はわからないが、そこを塚崎宿の入口としよう。