朝日西分-(朝日中野)-(朝日川上)-徳須恵[唐津街道_佐賀長崎路]  ASAHI_NISHIWAKE-TOKUSUE

  • 若木町の牟田酒造所
    若木町の牟田酒造所 

概要

ここでは朝日西分より徳須恵までのルートを記載する。

本ルートのほとんど全ては『唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』を参考にしている。

ルート

朝日中野追分 → 朝日川上追分 → 円照寺 → 阿弥陀堂 → 唐津街道戸坂峠の石碑 → 馬渡甲斐守俊明戦死の処 → 泣きびす地蔵尊 → 大師堂 → 川古の大楠 → 火伏地蔵尊 → 六地蔵塔と地蔵 → 自然石板碑 → 秀岩寺 → 牟田酒造所 → 文化年号の石灯篭と地蔵菩薩 → 桃川口留番所跡 → 領境石推定地 → 賢勝寺


朝日中野追分 標高:17.4m MAP  4km以内の寺院検索

未稿。


朝日川上追分 標高:26.5m MAP  4km以内の寺院検索

全景(左に進めば塚崎宿、右手は唐津方向、手前は北方宿)
全景(左に進めば塚崎宿、右手は唐津方向、手前は北方宿) 
道標(平成21年銘) - 朝日中野追分側より撮影
道標(平成21年銘) - 朝日中野追分側より撮影 
道標 - 北方宿川より撮影
道標 - 北方宿川より撮影 
小堂
小堂 
小堂内の大黒天
小堂内の大黒天 

ここには平成21年(朝日町まちづくり推進会)銘の道標がある。 塚崎宿側の面には「唐津街道」、北方宿側の面には「佐嘉道」の表示あり。

道標を背にして、小堂がある。中には大黒天と思われる石像が安置されている、


円照寺 標高:26.4m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
門前の唐津街道 - 唐津に向かって撮影
門前の唐津街道 - 唐津に向かって撮影 

円照寺は宝谷山と号し浄土真宗本願寺派の寺院である。

境内には2本のケヤキの古木がある。


阿弥陀堂 標高:51.2m MAP  4km以内の寺院検索

阿弥陀堂
阿弥陀堂 
唐津街道(左手のしだれ桜の裏手に阿弥陀堂) - 唐津に向かって撮影
唐津街道(左手のしだれ桜の裏手に阿弥陀堂) - 唐津に向かって撮影 

阿彌陀堂内には5体の石仏が安置されている。向かって左手より大日如来、尊名不詳、千手観音、薬師如来、地蔵菩薩。 左より2体目の尊名不詳の石仏が阿弥陀如来なのかもしれない。かなり傷んでいる。

街道はここより程なくして戸坂峠である。 このあたりからかなりの急坂となる。


唐津街道戸坂峠の石碑 標高:78.6m MAP  4km以内の寺院検索

真新しい御影石製の石碑には「唐津往還」「戸坂峠」と記されている。 此の地点で街道は旧道より県道498号線に合流する。


馬渡甲斐守俊明戦死の処 標高:90.6m MAP  4km以内の寺院検索

登坂峠バス停付近の街道 - 唐津に向かって撮影
登坂峠バス停付近の街道 - 唐津に向かって撮影 
「馬渡甲斐守俊明戦死の処」石碑
「馬渡甲斐守俊明戦死の処」石碑 
馬渡甲斐守俊明の墓所(推定)
馬渡甲斐守俊明の墓所(推定) 
馬渡甲斐守俊明の墓所(推定)遠景
馬渡甲斐守俊明の墓所(推定)遠景 
手作り豆腐「若木屋」と「肥前ラーメン」 - 登坂峠バス停より撮影
手作り豆腐「若木屋」と「肥前ラーメン」 - 登坂峠バス停より撮影 
戸坂峠バス停
戸坂峠バス停 

石碑は街道(県道498号線)沿いの登坂峠より少し西側に入った所にある。 その先には墓所と思しき墓碑と拝殿がある。

下のLinksによれば、馬渡(もうたい)甲斐守俊明は戦国武将。没年は1533年・1566年の2説がある。 馬渡氏は川古領を領していたが、後藤氏との戦いに敗れ、この地で戦死した。 その後、川古領は後藤氏が領したのだという。

バス停前の街道の対面には、手作り豆腐「若木屋」と「肥前ラーメン」がある。 ここの豆腐はなかなかのもの。価格もリーズナブル。作者は「よせ豆腐」を購入。家に戻り頂いた。 濃厚な味。水も良いので舌触りは満点。

お隣の「肥前ラーメン」でランチタイム。 ちゃんぽん、550円也。価格もリーズナブルであるが、季節の野菜たっぷり、ボリュウームも満点である。 他の定食なども価格はすごくリーズナブル。おすすめである。

バス停に昭和自動車(株)の張り紙あり。「この度、『伊万里-武雄線』が平成30年4月1日をもって廃止となります。」 時代は変わる。寂しい限りである。

Links
馬渡(もうたい)氏・前篇】西肥前強化月間 ( 歴史 ) - 九州戦国ブログ~室町末期から江戸初期まで~ - Yahoo!ブログ


泣きびす地蔵尊 標高:60m MAP  4km以内の寺院検索

地蔵堂遠景
地蔵堂遠景 
唐津街道(左右方向の道。右手が川古方向) - 地蔵堂を背にして撮影 2018-04-01
唐津街道(左右方向の道。右手が川古方向) - 地蔵堂を背にして撮影 2018-04-01 

詳細は泣きびす地蔵尊のページをご覧下さい。

「泣きびす」とは涙脆なみだもろくてちょっとしたことですぐ泣き出す人のことを言う佐賀の方言。 夜泣きをする子供や泣き癖の強い子供を連れ、お菓子などを供物としてお参りするとナキビスが治ると言われている。


大師堂 標高:58.7m MAP  4km以内の寺院検索

大師堂
大師堂 
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影 

詳細は大師堂のページをご覧下さい。


川古の大楠 標高:57.5m MAP  4km以内の寺院検索

大楠
大楠 
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影 

大楠は樹周21m、樹高25m、根周り33m。全国で5番目の大きさを誇るものという。

公園内には観音堂がある。 詳細は観音堂のページをご覧ください。


火伏地蔵尊 標高:59.3m MAP  4km以内の寺院検索

七地蔵塔
七地蔵塔 
石仏
石仏 
全景
全景 
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影 

境内の案内板の内容を下に記す。

火伏地蔵尊(ひよけじぞうそん)の由来

江戸時代の文化9年1812長崎脇街道(唐津街道)の宿場であった川古宿に原因不明の大火災が起こり、 約50戸の人家が全焼し、街道を覆うように茂っていた大楠まで枝葉を焼き取られてしまった。

住む家も失い、火災の悲惨さを身を以って感じた住民たちは二度と火災が起こらないようにと、 六地蔵に火伏地蔵尊一体を加え七地蔵とし、嘉永5年1852宿通りの真中に火伏地蔵尊として建立し、 火災撲滅を祈願した。

爾来この習慣は現在に至るまで続けられ、毎年、8月23日は火伏地蔵祭りとして区民あげて盛大に行われ、 近隣からの参詣者も多い。

平成12年20008月吉日 皿宿区

このあたりが川古宿であったようである。 この前後の道幅はほぼ昔のままのようである(2間程度)。


六地蔵塔と地蔵 標高:55.7m MAP  4km以内の寺院検索

全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘)
全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘) 
六地蔵塔
六地蔵塔 
遠景
遠景 
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影 

ここには、六地蔵塔、2体の地蔵菩薩像、石灯籠がある。

石灯籠には延享5年1748の銘あり。


自然石板碑 標高:54.4m MAP  4km以内の寺院検索

板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘)
板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘) 
石段
石段 
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影 

板碑は坂の上にある。 両側は草でほぼ覆われている。 板碑の裏の年号などの確認は長いものの気配を感じ断念。

板碑には「天照皇太神宮■結衆」銘あり。


秀岩寺 標高:51.1m MAP  4km以内の寺院検索

秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影
秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影 
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影 
遠景
遠景 

秀岩寺は高峯山と号し、曹洞宗の寺院である。


牟田酒造所 標高:39.3m MAP  4km以内の寺院検索

牟田酒造所
牟田酒造所 
正面玄関のガラス戸(凝ったつくりである)
正面玄関のガラス戸(凝ったつくりである) 
酒蔵
酒蔵 
酒蔵の壁のツバメ(手持ちの望遠の為不出来な写真。すみません。)
酒蔵の壁のツバメ(手持ちの望遠の為不出来な写真。すみません。) 
看板
看板 
門前の街道(左手が牟田酒造所) - 唐津に向かって撮影
門前の街道(左手が牟田酒造所) - 唐津に向かって撮影 

ホームページによれば、 創業以来390年を誇る伝統の老舗である。 メインブランド名は「若木桜」。当地区の地名「若木」を取り入れたものという。

昔は呉服屋、菓子屋、豆腐屋が軒をならべる宿場町であったという。 今でも昔ながらの町並みがみられる。

この場所の前後の街道の道は昔ながらの狭い道幅である。

蔵前で撮影していると、店主が出てこられしばし歓談。 蔵の敷地内の撮影もOKを頂いた。 感謝感謝である。

敷地内の至る所にツバメが営巣しており、飛び交っていた。


文化年号の石灯篭と地蔵菩薩 標高:41.1m MAP  4km以内の寺院検索

石灯籠と地蔵菩薩
石灯籠と地蔵菩薩 
石灯籠と地蔵菩薩前の街道 - 唐津に向かって撮影
石灯籠と地蔵菩薩前の街道 - 唐津に向かって撮影 

唐津に向かって街道左手の石灯籠と地蔵菩薩は民家の庭先にある。 少し奥にあるのでお見逃しなきよう。

唐津街道―肥前佐賀長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』によれば、左手の石灯籠には文化1804-1818の銘があるというが未確認。


桃川口留番所跡 標高:29.3m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影 
領境石
領境石 
裏手の神社
裏手の神社 
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右)
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右) 
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました 

過去の番所の遺構などは確認できない。 番所の門の模型・「諏訪神社御神幸御旅所・諸祭事用地」の建物それと領境石がある。

領境石は、ここより3km程北の桃川新橋の北側にあったもの(下の領境石推定地参照)。 明治になって保存の為移設されたものという。

文化9年1812には伊能忠敬一行がこの地を測量したという。

慶長2年15972月には秀吉の禁教令によって捕らえられたキリシタン26名とその護衛の一行(総勢300名近く)がこの地を通過したという。

この前の道を西に100mほど進むと桃川宿・佐嘉藩西目代官所があったという。 この道は伊万里に通じる道である。


領境石推定地 標高:22m MAP  4km以内の寺院検索

領境石
領境石 

「従是南佐嘉領」と刻まれているというが、風化がひどく素人では判読できない。 唐津領と佐賀領の境界を示すものである。

上の桃川口留番所跡に掲示されている説明書によれば、 「従是東唐津領」と刻まれたものは、唐津領府招(南波多町)にあったものが、 伊万里市歴史民族資料館の庭に保存されているという。


賢勝寺 標高:21.6m MAP  4km以内の寺院検索

門前の県道38号線(唐津街道)
門前の県道38号線(唐津街道) 

賢勝寺は太陽山と号し真宗大谷派の寺院である。