朝日西分-(朝日中野)-(朝日川上)-徳須恵  ASAHI_NISHIWAKE-TOKUSUE

概要

ここでは朝日西分より徳須恵までのルートを記載する予定である。

ルート

朝日中野 → 朝日川上 → → 大師堂 → 川古の大楠 → 火伏地蔵尊 → 六地蔵塔と地蔵 → 自然石板碑 → 秀岩寺 → → 桃川口留番所跡 → 領境石推定地 → 賢勝寺


朝日中野 標高:14.8m MAP  4km以内の寺院検索

未稿。


朝日川上 標高:24.1m MAP  4km以内の寺院検索

未稿。


大師堂 標高:55.7m MAP  4km以内の寺院検索

大師堂
大師堂 
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影
東側に架けられた井手川橋(大師堂は橋を渡って右手の白い建物に隠れている) - 唐津に向かって撮影 

詳細は大師堂のページをご覧下さい。


川古の大楠 標高:54.2m MAP  4km以内の寺院検索

大楠
大楠 
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影
唐津街道(左手が川古の大楠公園) - 唐津に向かって撮影 

大楠は樹周21m、樹高25m、根周り33m。全国で5番目の大きさを誇るものという。

公園内には観音堂がある。 詳細は観音堂のページをご覧ください。


火伏地蔵尊 標高:59.3m MAP  4km以内の寺院検索

七地蔵塔
七地蔵塔 
石仏
石仏 
全景
全景 
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影
地蔵尊前の街道(右手が火伏地蔵尊) - 唐津に向かって撮影 

境内の案内板の内容を下に記す。

火伏地蔵尊(ひよけじぞうそん)の由来

江戸時代の文化9年1812長崎脇街道(唐津街道)の宿場であった川古宿に原因不明の大火災が起こり、 約50戸の人家が全焼し、街道を覆うように茂っていた大楠まで枝葉を焼き取られてしまった。

住む家も失い、火災の悲惨さを身を以って感じた住民たちは二度と火災が起こらないようにと、 六地蔵に火伏地蔵尊一体を加え七地蔵とし、嘉永5年1852宿通りの真中に火伏地蔵尊として建立し、 火災撲滅を祈願した。

爾来この習慣は現在に至るまで続けられ、毎年、8月23日は火伏地蔵祭りとして区民あげて盛大に行われ、 近隣からの参詣者も多い。

平成12年20008月吉日 皿宿区

このあたりが川古宿であったようである。 この前後の道幅はほぼ昔のままのようである(2間程度)。


六地蔵塔と地蔵 標高:54.2m MAP  4km以内の寺院検索

全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘)
全景(向かって右端の石灯籠は延享5年銘) 
六地蔵塔
六地蔵塔 
遠景
遠景 
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影
街道(左手が六地蔵塔と地蔵) - 唐津に向かって撮影 

ここには、六地蔵塔、2体の地蔵菩薩像、石灯籠がある。

石灯籠には延享5年1748の銘あり。


自然石板碑 標高:54.5m MAP  4km以内の寺院検索

板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘)
板碑(「天照皇太神宮■結衆」銘) 
石段
石段 
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影
街道(右手に石段あり) - 唐津に向かって撮影 

板碑は坂の上にある。 両側は草でほぼ覆われている。 板碑の裏の年号などの確認は長いものの気配を感じ断念。

板碑には「天照皇太神宮■結衆」銘あり。


秀岩寺 標高:52.3m MAP  4km以内の寺院検索

秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影
秀岩寺より少し手前の街道 - 唐津に向かって撮影 
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影
秀岩寺門前の街道(右手は秀岩寺) - 唐津に向かって撮影 
遠景
遠景 

秀岩寺は高峯山と号し、曹洞宗の寺院である。


桃川口留番所跡 標高:31.8m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影
番所跡前の街道(左に進むと桃川宿を経由し伊万里に至る) - 唐津に向かって撮影 
領境石
領境石 
裏手の神社
裏手の神社 
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右)
裏手の神社鳥居前の石塔と恵比寿像(右) 
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました
伊万里郷荒繪圖(江戸中期) - 番所内に掲示されていました 

過去の番所の遺構などは確認できない。 番所の門の模型・「諏訪神社御神幸御旅所・諸祭事用地」の建物それと領境石がある。

領境石は、ここより3km程北の桃川新橋の北側にあったもの(下の領境石推定地参照)。 明治になって保存の為移設されたものという。

文化9年1812には伊能忠敬一行がこの地を測量したという。

慶長2年15972月には秀吉の禁教令によって捕らえられたキリシタン26名とその護衛の一行(総勢300名近く)がこの地を通過したという。

この前の道を西に100mほど進むと桃川宿・佐嘉藩西目代官所があったという。 この道は伊万里に通じる道である。


領境石推定地 標高:20.8m MAP  4km以内の寺院検索

領境石
領境石 

「従是南佐嘉領」と刻まれているというが、風化がひどく素人では判読できない。 唐津領と佐賀領の境界を示すものである。

上の桃川口留番所跡に掲示されている説明書によれば、 「従是東唐津領」と刻まれたものは、唐津領府招(南波多町)にあったものが、 伊万里市歴史民族資料館の庭に保存されているという。


賢勝寺 標高:23.5m MAP  4km以内の寺院検索

門前の県道38号線(唐津街道)
門前の県道38号線(唐津街道) 

賢勝寺は太陽山と号し真宗大谷派の寺院である。