多久宿(たく)[唐津街道_佐賀長崎路] 旧:肥前国佐賀藩領 現:佐賀県多久市北多久町TAKU STATION

牛津追分(長崎街道は直進、唐津街道は右折)
牛津追分(長崎街道は直進、唐津街道は右折) 
笹原峠(わずかに街道と思われる山道) - 厳木宿に向かって撮影
笹原峠(わずかに街道と思われる山道) - 厳木宿に向かって撮影 

概要

多久宿は実際に宿場があったかどうかはわからない。また実際街道沿いのどの場所が「宿場」であったのかも不明。 当サイトでは中尾神社-昌福寺あたりがその中心であったと仮定する。

長崎街道牛津宿の追分から多久宿を経由して厳木宿の手前までのルートについて記載する。

ルート

牛津追分 → 沖神社 → 円長寺の西 → 門前観音堂 → 三岳寺橋 → 地蔵菩薩と青面金剛 → 清浄院参道口 → 金泉寺参道口 → 大黒像・猿田彦 → 牛像 → 2mの大板碑 → 鏡神社 → 大黒と菩薩像 → 古賀宿-大黒像・三神像・三神神社石塔(天保14年) → 大平庵 → 菩薩堂(文化13年他3体) → 中尾神社 → 昌福寺 → 山犬原の恵比寿像 → 山犬原の六地蔵堂 → 少貳神社 → 番所 → 笹原峠 → 笹原峠西 → 厳木宿


沖神社 標高:3.5m MAP  4km以内の寺院検索

街道はここで左にカーブ。沖神社は右手の矢印の位置 - 多久宿に向かって撮影
街道はここで左にカーブ。沖神社は右手の矢印の位置 - 多久宿に向かって撮影 
鳥居
鳥居 
石塔・石祠群
石塔・石祠群 
「弁財天」と彫られた石塔(写真中央)
「弁財天」と彫られた石塔(写真中央) 

長崎街道の牛津追分から分岐してきた街道はここで県道332号線と合流する。

沖神社は㈱牛津蒲鉾の工場の南側にひっそりと鎮座している。 社殿は無く、石塔・石祠が横一例に並んでたっている。

牛津追分から国道207号線の高架下の前後までの道幅は当時のままのようだ。


円長寺の西 標高:4.6m MAP  4km以内の寺院検索

円長寺全景
円長寺全景 
円長寺井樋跡(牛津川)
円長寺井樋跡(牛津川) 

街道沿いの参道口より100mほど東進すると円長寺が伽藍を構えている。円長寺は久昌山と号し臨済宗南禅寺派の寺院である。

第9世木隠値和尚は、円長寺井樋の創設者として知られている。

円長寺の西隣には大戸ヶ里大日堂[天満宮] がある。天満宮境内には高さ1m程の「南無弁才■■」(「元禄4年辛未1691 正月吉祥日」銘) の石碑がある。

街道はここで左にカーブする。


門前観音堂 標高:6.4m MAP  4km以内の寺院検索

門前公民館と観音堂(右端) - 多久宿に向かって撮影
門前公民館と観音堂(右端) - 多久宿に向かって撮影 
門前観音堂脇の街道(観音堂は右端の矢印の位置)
門前観音堂脇の街道(観音堂は右端の矢印の位置) 

街道はここで門前観音堂脇の旧道を通る。

当ルートは大部分『唐津街道 肥前長崎路から時津街道へ』を参考にしているが、 地図の印刷精度では街道がこの旧道を迂回して通っているのか、直進しているのか判別ができない。 経験的には旧道が正解と思われる為当ページではそうしている。


三岳寺橋 標高:8m MAP  4km以内の寺院検索

三岳寺橋東側の街道(写真左手が三岳寺橋。前方の山は天山) - 多久宿に向かって撮影
三岳寺橋東側の街道(写真左手が三岳寺橋。前方の山は天山) - 多久宿に向かって撮影 
晴気川(川の向こう側の白いガードレールに沿って街道は多久宿に向かって進む) - 三岳寺橋を渡った所より撮影
晴気川(川の向こう側の白いガードレールに沿って街道は多久宿に向かって進む) - 三岳寺橋を渡った所より撮影 

街道は晴気川に沿って北上する。この付近は晴気川の堤防の上を進む。前方には天山などの山々を拝むこことができる。 なかなかの景色である。

三岳寺は医王山と号し臨済宗南禅寺派の寺院である。

街道はここで左にカーブする。


地蔵菩薩と青面金剛 標高:8.3m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
街道 - 多久宿に向かって撮影
街道 - 多久宿に向かって撮影 
地蔵菩薩
地蔵菩薩 
青面金剛
青面金剛 
板碑
板碑 

街道脇に地蔵菩薩・板碑・青面金剛が立っている。

『唐津街道 肥前長崎路から時津街道へ』によれば、地蔵菩薩は天保15年1844、青面金剛は天保13年1842の銘があるという。


清浄院参道口 標高:7.3m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
参道途中にある大黒天と石祠
参道途中にある大黒天と石祠 

清浄院は宝樹山と号し臨済宗南禅寺派の寺院である。


金泉寺参道口 標高:6.9m MAP  4km以内の寺院検索

門前の唐津街道(右手が参道口) - 多久宿に向かって撮影
門前の唐津街道(右手が参道口) - 多久宿に向かって撮影 
参道口に鎮座する大黒天像
参道口に鎮座する大黒天像 
金泉寺本堂
金泉寺本堂 

金泉寺の宗旨は不詳である。 寺の本堂と思しき建物は小山のほぼ頂上にある。

伊藤氏メモ元々は住職のいたお寺であり、戦時中には弾除(たまよけ)け観音として多くの人が訪れていたという。現在は住職はおらず地元地区で管理している。寺院創設は少なくとも江戸期以前のようらしいという(この項は、近在の方の話による)。()

参道口の山門脇に大黒天像が立っている。丸っこいお姿、ここより南方に直線距離で3kmほどの所を拠点にしていた砥川石工(とがわいしく)の技の流れを組む石工の手によるものかもしれない。(牛津宿周辺のスポット参照のこと。)

本堂と思しき建物の尾根伝いに東側には丹坂峠(にさかとうげ)古戦場の道標がある。龍造寺隆信 - Wikipediaによれば、永禄6年1563、龍造寺隆信・千葉胤連の同盟軍が有馬氏・大村氏の連合軍を破った場所とある。


大黒像・猿田彦 標高:6.7m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


牛像 標高:9.2m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


2mの大板碑 標高:9.5m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。この辺りは右原(みぎばる)と呼ばれていた。


鏡神社 標高:6.1m MAP  4km以内の寺院検索

肥前型鳥居あり。このあたりは上右原と呼ばれていた。


大黒と菩薩像 標高:5.6m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


古賀宿-大黒像・三神像・三神神社石塔(天保14年) 標高:7.4m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


大平庵 標高:19.9m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。こだわりの逸品。日本酒と生そば。大平庵参照のこと。


菩薩堂(文化13年他3体) 標高:25.3m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


中尾神社 標高:64.7m MAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


昌福寺 標高:69.9m MAP  4km以内の寺院検索

本堂
本堂 

昌福寺は寿福山と号し、浄土真宗本願寺派の寺院である。

寛永15年1639、多久邑主茂辰が小侍村にあった昌福寺前に番所を置き、その翌年、番所に移したという。


山犬原(やまいんばる)の恵比寿像 標高:88.6m MAP  4km以内の寺院検索

街道の右側に鎮座しているようだ。


少貳神社 標高:42.6m MAP  4km以内の寺院検索

ここより東方200mほどの所に鎮座。場所はこちら


山犬原(やまいんばる)の六地蔵堂 標高:42.8m MAP  4km以内の寺院検索

六地蔵塔は木造のお堂の中。


番所 標高:85.5m MAP  4km以内の寺院検索

「関所跡の石碑」(左右方向が唐津街道) - 番所天満宮の一の鳥居前
「関所跡の石碑」(左右方向が唐津街道) - 番所天満宮の一の鳥居前 
門前の唐津街道(右手に石碑)
門前の唐津街道(右手に石碑) 
番所天満宮一の鳥居と唐津街道(赤線)
番所天満宮一の鳥居と唐津街道(赤線) 
番所天満宮社殿
番所天満宮社殿 

「関所跡」の石碑脇の案内板の内容を下に記す。

番所跡

島原の乱平定後、第2代多久邑主茂辰は寛永15年1638初め小侍に関所を設け、この地に足軽10人を配置して通行人別を改め、また米等の藩外流出を取り締まった。

関所の長司を番頭と称し、平士1人をこれにあて、その下に昇り組、石組を置いた。

この番所は小侍の昌福寺前に設けられていたが、その翌年、現在地に関所を移し篠原の鉄砲町の剛組とともに番所を固く守った。

長司の番頭は塾をおいて地方教育にも当たっていたが、明治8年関所を廃した。この番所が現在の字名となっている。

多久市

番所跡の石碑とここから北方に厳木多久有料道路を跨いだ所に番所天満宮が鎮座。

参考:<多久物語>小侍番所 佐賀藩と唐津藩の境目守る|まちの話題|佐賀新聞ニュース|佐賀新聞LiVE


笹原峠(ささばるとうげ) 標高:120.7m MAP  4km以内の寺院検索

峠道道(左手が厳木宿側) - 笹原観音境内より撮影
峠道道(左手が厳木宿側) - 笹原観音境内より撮影 
峠(倒木でほとんど街道は識別できない)
峠(倒木でほとんど街道は識別できない) 
石組みがある(近年のものかどうかはわからない)
石組みがある(近年のものかどうかはわからない) 
わずかに街道と思われる - 厳木宿に向かって撮影
わずかに街道と思われる - 厳木宿に向かって撮影 
笹は少ないがあるにはある
笹は少ないがあるにはある 

峠には過去の遺物は石垣があるがそれ以外は何も確認できない。 「道」と思えば思えなくもない所が散見されるだけである。 石垣の構築年代もわからない。

作者が「峠」と思って写真撮影をした場所は『唐津街道 肥前長崎路から時津街道へ (九州文化図録撰書)』に掲載されている地点をgoogle map上にプロットして、スマホを片手に現在地を確認しながら到達した場所である。GPSの精度・作者の勘違いなどで、ひょっとしたら間違っているかも知れない。


笹原峠西 標高:110.5m MAP  4km以内の寺院検索

街道 - 厳木宿に向かって撮影
街道 - 厳木宿に向かって撮影 
街道 - 厳木宿を背にして撮影
街道 - 厳木宿を背にして撮影 
石垣跡
石垣跡 
石垣跡(木の根元に食い込んでいる)
石垣跡(木の根元に食い込んでいる) 

峠から下って来てここで、やっとこさ視界が開ける。 ここから先の街道の両側に民家が見られる。

ここにも石垣跡があるが年代等は不詳。

街道はここから更に下り、厳木宿に向かう。

ここから南西側の丘の中腹には笹原観音がある。