深江宿(ふかえ)[唐津街道] 旧:中津領深江村 現:糸島市二丈深江FUKAE STATION

概要

深江神社の無額の鳥居
深江神社の無額の鳥居 
延寿院境内の領界石「(中)津領」(「中」の部分より上が欠落している)
延寿院境内の領界石「(中)津領」(「中」の部分より上が欠落している) 
深江駅・天満宮 正覚寺・子負原八幡(巻之10怡土郡)
深江駅・天満宮 正覚寺・子負原八幡(巻之10怡土郡)
『筑前名所図会』

『筑前国続風土記』巻之22 公領の項に下記の記載がある。

○深江

藻藍草に、深江の郷と有。 和名抄には、怡土郡に深江の郷なし。 此村は前原を去事1里24町西に在て、海邊に在村也。 町有。民家多し。

前原の西の方には此宿驛ばかりなり。 是より西は肥前濱崎も馬驛有。 深江より濱崎へ3里22町有。 深江海は古歌にもよめり。

(以下は深江神社の由来についての記述であるので省略。下の深江神社の項を参照のこと。)

右の『筑前名所図会』で深江神社,羅漢橋正覚寺など現在の位置に描かれている。

筑前の街道 (西日本選書 (5))』によればこのあたりは、江戸中期より 豊前中津藩に属していたという。その為、代官所も設置されていたようである。 常夜灯の西側に延寿院があり、境内に「中津領」の領界石がある。 深江宿の郊外にある万歳山 龍国寺は、 住職が変わるたびに中津城への就任の挨拶の旅に出たという。 そのコースは下のとおり。

1.福岡城下 → 篠栗 → 飯塚 → 香春 → 新町 → 椎田 → 中津城下
2.福岡城下 → 青柳 → 赤間 → 木屋瀬 → 黒崎 → 倉城下 → 苅田 → 大橋 → 椎田 → 中津城下

帰り道は、往路の逆をそのままたどった和尚、英彦山参詣・大宰府参詣をして帰ってきた和尚もいたようである。
1.英彦山 → 小石原 → 甘木 → 二日市 → 福岡城下
2.椎田 → 油須原 → 秋月城下 ... → 宰府 → 二日市→ 福岡城下

ルート

羅漢橋跡 → 徳永寺・正覚寺 → 常夜灯 → 深江神社 → 猿田彦 → 松並木 → 自然石梵字石碑 → 川の下第2踏切付近 → 鎮懐石八幡宮前 → 202号線より分岐点(大入) → 大入海岸 → 庚申塔(大入) → 地蔵堂(大入) → 庚申塔 → 番所跡 → 福吉入口 → ふくよし橋(近くに自然石梵字板碑がある) → 西縄手第3踏切 → 愛宕社 → 旧道入り口 → 白山神社 → 永見寺 → 国境石 → 道標 → 浜崎宿


羅漢橋(らかんばし)跡 標高:1.7m MAP  4km以内の寺院検索

  • 羅漢橋跡 - 街道は左から右に向って深江宿内進む
    羅漢橋跡 - 街道は左から右に向って深江宿内進む 
  • 羅漢橋の橋脚
    羅漢橋の橋脚 

羅漢橋は福岡西方沖地震()により倒壊したという。 橋脚近くには年代物の石が積まれている。未確認ではあるが、旧橋の部材か?(記)

暫定版かもわからないが、コンクリートの橋が新しくかかっている。


徳永寺・正覚寺 標高:4.8m MAP  4km以内の寺院検索

徳永寺山門
徳永寺山門 
徳永寺門前の街道(つきあたりが正覚寺北門)
徳永寺門前の街道(つきあたりが正覚寺北門) 
正覚寺山門
正覚寺山門 

南下してきた街道は徳永寺門前を過ぎ、正覚寺の北門前で直角に右に曲がり深江宿内に入る。 この付近が深江宿の北側の入口だったのであろう。


常夜灯 標高:5.4m MAP  4km以内の寺院検索

常夜灯
常夜灯 
常夜灯前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影
常夜灯前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影 

街道と宿場町 (アクロス福岡文化誌) 』によると、火災封じの願をかけて天保3年1832に建てられたという。

常夜灯脇には薬師堂が建っている。地元の方々の厚い信仰心であろう、花・お菓子などが手向けられている。

正覚寺前より進んで来た街道はここで、ほぼ直角に南にカーブする。 ここから次の深江神社までは一直線で両側には古い街並みが続く。


深江神社 標高:7.1m MAP  4km以内の寺院検索

深江神社
深江神社 
深江神社前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影
深江神社前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影 
無額の鳥居
無額の鳥居 
太閤お茶会跡 - 本殿に向かって左手
太閤お茶会跡 - 本殿に向かって左手 
手水舎(文政13の銘あり)
手水舎(文政13の銘あり) 

深江神社の境内は広い。 地元の方のお話によれば、南隣の深江小学校の敷地も境内であったという。 境内には秀吉の茶会跡(本殿左手), 小早川隆景が寄進したという2の鳥居、文政銘の自然石の手水など歴史ある品々を観ることができる。 (ちなみに2の鳥居は地元の方は「無額の鳥居」と呼ぶらしい。束額に何も文字が書かれていないためという。)

境内を囲う練り塀・石垣も歴史を感じさせるものである。

その歴史は鳥居前の案内板に分かり易く、記載されている。そのまま引用する。

深江神社語由緒

祭神 玉依姫命(神武天皇の御母)宝満宮・菅原道真命(野見宿称十世の孫)天満宮

建久8年1197高祖城主原田種直公は、原田家再興の守護神として、 竈門宝満宮及び太宰府天満宮を上深江片峯に勧請されたが、 境内の狭隘を恐れ、建仁3年1203深江現在地に御奉遷鎮座申し上げられた。 これが深江神社の起源である。

降って豊臣秀吉公が名護屋城在陣の折り 天正20年15928月 当社に参拝された時に、奇しくも秀頼公誕生の報を受け、 秀吉公恭悦斜ならず、当社は秀頼公の産神なりと思召された。

早速、時の領主小早川隆景公に命じ、御社殿を再興させられ、なお、秀頼公誕生を記念して深江神社の 宮司の坊を誕生山神護寺秀覚院と改号された。 隆景公も石の鳥居を奉納されたのであるが現在の第2の鳥居がそれである。

慶長18年1613唐津領主寺沢志摩守は当社に100間四方の社地を寄進され、 なお大久保加賀守の代に至るまで、年々米2石の献納が行われた。

享保2年1717中津領となってからは怡土郡西14ヶ村の総宗廟として、近郷近在の尊崇厚く、 秋の神行祭は殷賑を極め、大正初期までは流鏑馬行事も行われ、盛大な神事であった。


猿田彦の石碑 標高:5.1m MAP  4km以内の寺院検索

  • 猿田彦
    猿田彦 
  • 猿田彦前の街道 - 左側が猿田彦
    猿田彦前の街道 - 左側が猿田彦 

街道はここで右に直角に曲がり、南西に向かう。


松並木 標高:7.5m MAP  4km以内の寺院検索

街道はここで右に直角に曲がり、南に向かう。 ここから次の自然石梵字石までは松並木がまばらに続く。 写真を撮り損ねました。次回掲載します。


自然石梵字石 標高:5.7m MAP  4km以内の寺院検索

梵字石と地蔵堂
梵字石と地蔵堂 
地蔵堂の北西100m付近の海岸 - 南西に向かって撮影(右隅に大入の配崎が見える)
地蔵堂の北西100m付近の海岸 - 南西に向かって撮影(右隅に大入の配崎が見える) 
獣魂碑
獣魂碑 
地蔵堂 - 裏手より撮影
地蔵堂 - 裏手より撮影 

深江宿に向かって左手に梵字石小さな石塔地蔵堂がある。 梵字石には文化4年1807の銘がある。

街道はここより少し南西に向い、その先を南に向かうが、その先の道は消失している。


川の下第2踏切 標高:3.1m MAP  4km以内の寺院検索

  • 踏切
    踏切 
  • JR筑肥線
    JR筑肥線 

街道はこの踏切の少し西側でJR筑肥線を横切り、すぐ右折する。ほどなく鎮懐石八幡宮前である。


鎮懐石八幡宮前 標高:3.6m MAP  4km以内の寺院検索

本殿
本殿 
鎮懐石碑
鎮懐石碑 
船繋石
船繋石 
万葉歌碑
万葉歌碑 
塞神と陰陽石
塞神と陰陽石 
展望台から眺める唐津湾
展望台から眺める唐津湾 
鳥居
鳥居 
鎮懐石八幡宮前の街道 - 大入に向かって撮影
鎮懐石八幡宮前の街道 - 大入に向かって撮影 

八幡宮前の街道は今でこそ右手にJR筑肥線の線路が走っているが、当時はすぐ海であったと思われる。 旅人は右手の海を見ながら唐津に進んだのだろう。 八幡宮には展望台があり、そこから眺める唐津湾は絶景である。

境内には、万葉歌碑・鎮懐石碑・船繋石・塞神(さやのかみ)と陰陽石などの石像物がある。 特に、万葉歌碑は安政6年18596月に建てられたもので九州最古のものであるという。

歌碑には、『万葉集』巻5に記録されている鎮懐石の場所と波多江駅家との位置関係を記録し、さらに 山上憶良の長歌・反歌が記載されている。 下に反歌の部分を引用する。 いわゆる、万葉仮名と言われているもので作者にはこれが日本語とはとても思えない。 少しきついがルビをふってみる。

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これを、訳すと下記のようになるという???

天土(あめつち)の  共に久しく  言ひ()げと  この奇魂(くしみたま)  ()かしけられしも

なお、その他の石像物については,鎮懐石八幡宮(福岡県二丈町) - 九州神社紀行-ブログに詳しく記載されている。


202号線との接点 標高:5.6m MAP  4km以内の寺院検索

  • 202号線との接点 - 深江宿側より撮影
    202号線との接点 - 深江宿側より撮影 

街道は写真の松原側の海岸沿の道を浜崎宿に向って進む。写真手前は202号線。

写真の横断歩道の左側にはJR大入駅がある。無人駅である。(2009/10/24現在)


大入海岸 標高:5.7m MAP  4km以内の寺院検索

  • 海岸
    海岸 

このあたりは夏場は海水浴客で賑わう。海は澄んでいて、砂は真っ白である。 作者はたまにここにシロギス釣りに行く。


庚申塔(大入) 標高:4.9m MAP  4km以内の寺院検索

庚申塔
庚申塔 
庚申塔前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影
庚申塔前の街道 - 浜崎宿に向かって撮影 
庚申塔遠景(左右方向が街道)
庚申塔遠景(左右方向が街道) 
大入漁港
大入漁港 
領界石(「是従東中津領」)
領界石(「是従東中津領」) 
配崎人柱供養塔
配崎人柱供養塔 

水島商店の脇に庚申塚はある。そこから海側へ50mほど行くと大入漁港がある。 ご覧の通り、綺麗な漁港である。

ここより北側の岬は配崎(はいさき)という。そこには天神社があり、「是従東中津領」の領界石がある。

岬の西側に配崎人柱供養塔がある。 この岬は昔は大潮の時には孤島となった所。それを防ぐための潮留めの堤防はしばしば決壊。 この堤防の工事の時に地元の若者が人柱となったという。その後は決壊しなくなったという。

深江宿-浜崎宿間の距離は3里22町(≒14km強)。 通常の唐津街道の宿場間の距離は約2里(≒8km)である。 深江宿-浜崎宿の距離が長すぎる。 街道はこの先浜崎宿まで、山中を通り、さらに海岸沿いを通る。当時はかなり厳しい行程であったと思われる。 深江宿を出発した旅人はこの大入で一休みして英気を養ったのではなかろうか? 所謂「間の宿(あいのしゅく)」の役割をはたしていたと思われる。

ここより、次の地蔵堂の少し先までは緩やかな上り坂となっている。


地蔵堂(大入) 標高:6.7m MAP  4km以内の寺院検索

地蔵堂 - 浜崎宿に向って撮影
地蔵堂 - 浜崎宿に向って撮影 
地蔵堂脇の唐津街道 - 浜崎宿に向かって撮影
地蔵堂脇の唐津街道 - 浜崎宿に向かって撮影 

地蔵堂は大入公民館の広場の端にある。脇には2基の石塔もみられる。


庚申塔 標高:8.5m MAP  4km以内の寺院検索

  • 庚申塔
    庚申塔 
  • 庚申塔前の街道 - 浜崎宿に向って撮影
    庚申塔前の街道 - 浜崎宿に向って撮影 

福よし歯科医院のそばに鎮座している。 石燈篭には文化5年(1808)の銘あり。


番所跡 標高:6.6m MAP  4km以内の寺院検索

御堂前の唐津街道(右手に地蔵堂) - 浜崎宿に向かって撮影
御堂前の唐津街道(右手に地蔵堂) - 浜崎宿に向かって撮影 
地蔵堂
地蔵堂 
地蔵尊 - ご本尊
地蔵尊 - ご本尊 
地蔵尊内の台座の拓本
地蔵尊内の台座の拓本 
全景 - 白山神社
全景 - 白山神社 
社殿 - 白山神社
社殿 - 白山神社 
神楽殿 - 白山神社
神楽殿 - 白山神社 
イチョウの大木 - 白山神社
イチョウの大木 - 白山神社 

番所跡前は国道202線が走り、車がひっきりなしに往来している。 番所跡にはしらみぐち地蔵尊が鎮座している。 このあたりは「白み口」と呼ばれていたという。 案内板の内容をそのまま記載する。

白み口(しらみくち)」と「地蔵尊」

初代唐津城主、寺沢志摩守広高が、 慶長4年1599に怡土郡3万石を加増され開田や開塩事業の督励のため、 よく現地廻りにでかけていた。

早朝に唐津を出て馬で出発、 東の空が白みかける頃ちょうどこのあたりに来ていた。

その為にこの周辺を「白み口(しらみくち)」と呼んでいた。

地蔵尊は享保18年1733に大飢饉があり当時の二丈町の3分の1に当る約1500人の人々が死亡。 地蔵尊にまとめて葬った。 相前後して六ヶ所の地蔵尊がつくられたという。

番所の地蔵尊の台座には、この功績をたたえて大法寺7代和尚のことが天明1786の 日付で残っている。

福吉校区まちづくり推進協議会

地蔵堂前のJR筑肥線の踏切は白山神社の参道口となっているようである。 白山神社はここより道なりに南へ650mの所に鎮座している。

当社では「福井神楽」が5月の第2日曜日に奉納されている。 案内板によれば、明治20年に筑前国田島郷より神楽師を迎え発足したという。 社殿前には形の整ったイチョウの大木がみられる。


福吉入口 標高:6.3m MAP  4km以内の寺院検索

  • 福吉入口 - 唐津に向って撮影
    福吉入口 - 唐津に向って撮影 

ここから202号線に別れ福吉の漁師町に入る。


ふくよし橋 標高:2.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • ふくよし橋 - 唐津に向って撮影
    ふくよし橋 - 唐津に向って撮影 

橋の向こうに梵字石と思われる石があるが、風雪に削られてか文字は確認できなかった。


西縄手第3踏切 標高:6.2m MAP  4km以内の寺院検索

  • 踏切 - 唐津に向って撮影
    踏切 - 唐津に向って撮影 

R202を横切り、踏切を越え、ここより山道に入る。


愛宕社 標高:123.9m MAP  4km以内の寺院検索

愛宕社
愛宕社 
愛宕社 - 鳥居をくぐって石段の先に本殿と思しき祠
愛宕社 - 鳥居をくぐって石段の先に本殿と思しき祠 
鳥居拡大(「寳歴」の文字が見える)
鳥居拡大(「寳歴」の文字が見える) 
愛宕社前の街道 - 唐津に向って撮影
愛宕社前の街道 - 唐津に向って撮影 

愛宕社はちょうどこの街道の峠あたりに鎮座している。ここからは下り坂である。 『唐津街道』には鳥居に宝歴8年(1758)(天保7年(1836)再建)の銘があるように記載されているが、 かろうじて"寳歴"の文字のみ判読できた。


旧道入口 標高:124.4m MAP  4km以内の寺院検索

  • 道標
    道標 

道路脇に「古代の道標」「唐津街道」の二つの道標がある。 ここから次の目印までは旧街道の状態がよく保存されている。


白山神社 標高:19.7m MAP  4km以内の寺院検索

白山神社
白山神社 
灯篭 - 「文久三(1863)」の文字が読める
灯篭 - 「文久三(1863)」の文字が読める 
白山神社下の街道(向って右に白山神社は鎮座) - 唐津に向って撮影
白山神社下の街道(向って右に白山神社は鎮座) - 唐津に向って撮影 

白山神社は街道の唐津に向って右側の坂道を少し登ったところに鎮座されている。


永見寺 標高:20.2m MAP  4km以内の寺院検索

永見寺山門
永見寺山門 
永見寺
永見寺 
永見寺前の街道 - 唐津に向って撮影
永見寺前の街道 - 唐津に向って撮影 

永見寺前の街道は唐津に向って右側に唐津湾をながめながら進む。 永見寺は曹洞宗の寺院である。


国境石 標高:22.9m MAP  4km以内の寺院検索

国境石(「是従東筑前(國)」)
国境石(「是従東筑前(國)」) 
国境石西側面(「小川中央境」)
国境石西側面(「小川中央境」) 
国境石の小川がこの下のJR筑肥線に流れこんでいるトンネル)
国境石の小川がこの下のJR筑肥線に流れこんでいるトンネル) 
国境石すぐ浜崎宿側の街道 - 浜崎宿に向かって撮影)
国境石すぐ浜崎宿側の街道 - 浜崎宿に向かって撮影) 
R202からは国境石へはこの道路標識右のJRの線路を渡り、田んぼのあぜ道を通りさらに坂道を登って行く(JRの線路を横断するのでかなり危険である)
R202からは国境石へはこの道路標識右のJRの線路を渡り、田んぼのあぜ道を通りさらに坂道を登って行く(JRの線路を横断するのでかなり危険である) 
包石 - 平成14年(2002年)の大波 により瓦解したが、その2年後に地元の有志により修復されたという。                      
包石 - 平成14年(2002年)の大波 により瓦解したが、その2年後に地元の有志により修復されたという。                   
包石全景
包石全景 
包石脇の伊能忠敬の歌碑
包石脇の伊能忠敬の歌碑 
七郎神社境内の奉納されたおもちゃの刀
七郎神社境内の奉納されたおもちゃの刀 
七郎神社前の202号線 - 唐津に向って撮影
七郎神社前の202号線 - 唐津に向って撮影 
七郎神社の境内
七郎神社の境内 
七郎神社境内の石像
七郎神社境内の石像 
県境の道路標識 - 唐津に向って撮影
県境の道路標識 - 唐津に向って撮影 

国境石は清水が湧く小川の中に立っている。 表には「従是筑前國」、西側側面には「小川中央境」と刻まれている。 よくも小川と言えども水の流れる中に立てたものである。 当時も国境を厳密に規定していたことがうかがえる。 街道はこの小川を横切り、包石を右下に見ながら西に向かう。 国境石から20mほど街道跡がそのまま保存されているようである。 国境石から東側は絶壁となっており残念ながら街道跡は残っていない。 国境石は崖の上にある。ここにたどり着くまでの旧街道はかなりの悪路なので単独行はやめた方が良い。

この小川はそのすぐ下に走るJR筑肥線の線路下へ人口のトンネルを通り流れ、 さらにその線路下の七郎神社の境内に流れ込み、さらにその流れは唐津湾へと流れ込んでいる。 この国境石の場所にたどり着くには二つのコースがある。 一つは七郎神社より少し唐津よりのJR筑肥線の線路に登り、それを横切り、田圃のあぜ道を通り、 さらに坂道を登り・さらに下る(このコースはJRの線路を横切るのであまりお勧めできない)。 もう一つはR202を唐津方面に少し走り、最初に左側に見える踏切を渡り舗装された道路を国境石から50m位手前に車を止め そこから徒歩にておりる。

国境石から唐津湾を見下ろすと包石(つつみいし)が見える。 『唐津街道 豊前筑前福岡路』によると、高さは5m。文禄・慶長の役で肥前名護屋に向う 多くの武将や、伊能忠敬をはじめ多くの人々が目にしたという。

包石脇に伊能忠敬の歌碑が建てられておりその説明によると、平成14年(2002年)の大波 により瓦解したが、その2年後に地元の有志により修復されたという。 下に伊能忠敬の歌を記載する。「測量日記 文化9年1812」の銘がある。

名にし逢う 響の灘の 白波は 鼓の石に おとづるるなり

包石の砂浜よりR202を横断すると七郎神社がある。 下に七郎神社脇の案内板の内容をそのまま記す。

七郎神社

藤原廣嗣(奈良時代太宰府小弐)が戦いに敗れ肥前に逃げる途中、 馬卆右馬七郎が足をすべらせ石窟に入り込み寒さを凌いでいた。 然し咳をしたので官軍に見つけられ自ら腹に刀を突きたて自害した。

天平12年760のことである。

土地の人が哀れに思い弔った。

現在かぜ、咳、ぜんそくの神様として参拝者があり、御願成就には木刀を供える風習がある。

-- 福吉校区まちづくり推進協議会

R202にはここより佐賀県の道路標識があり、石柱も建っている。


道標 標高:34m MAP  4km以内の寺院検索

  • 道標(写真左端の木の左側)- 浜崎宿に向かって撮影
    道標(写真左端の木の左側)- 浜崎宿に向かって撮影 

近辺を街道ルートを探して走り回っていたとき、偶然発見した。 すごい感激。

このあたりは、次の浜崎宿まで街道は海岸線を右に見ながらの山道である。