比良松宿(ひらまつ)[日田街道福岡城路] 旧:筑前国上座郡比良松町 現:朝倉市比良松HIRAMATSU STATION

概要

宿場内の町並
宿場内の町並 
比良松 - 『筑前國続風土記附録』挿絵
比良松 - 『筑前國続風土記附録』挿絵 
比良松の図
比良松の図
『筑前名所図会』

調査不足であるが、宿場内には宿場の遺構と思われるものは僅かに厳嶋神社のみである。 構口もその位置は定かではない。 桂川橋から盛文堂書店あたりを宿場内として話を進めよう。 桂橋を渡った所から100mほどの街道の両側に古い町並みが残っている。 どこか懐かしい風景である。

宿場内・周辺はGoogle Street Viewが可能である。 こちらでもお楽しみ下さい。

筑前國続風土記拾遺』巻之21 上座郡(下)に下記の記事がみられる。

比良松村

民居は1所にあり。大道を侠て町をなす。 此町に(えびす)松と云有。 棚を廻らし其下に蛭子の石神を置り。 昔ハ上比良松と云。 此地元須川村と云しを古賀新左衛門と云者農長たりし時、 町に松を植て村名とせしと云。 又或記にハ近江國比良の松を栽たりとも云。 本編には下比良松に松あることのみ誌せり。 今で此松比良松及入地村の中村ともに三所の町中に棚結る松并に夷社有。

ルート

桂川橋 → 千の蔵 → 舒翠館 → 盛文堂書店 → 厳嶋神社 → 恵蘇八幡宮 → 水神社 → 志波宿

桂川橋 標高:27.2m MAP  4km以内の寺院検索

桂川橋 - 宿場内に向って撮影
桂川橋 - 宿場内に向って撮影 
桂川橋(写真右上) - 桂川上流より撮影
桂川橋(写真右上) - 桂川上流より撮影 

桂川橋はこの先筑後川に合流する桂川に架かる橋である。

このあたりが比良松宿の西の玄関口であったと思われる。


千の蔵 標高:28.5m MAP  4km以内の寺院検索

千の蔵
千の蔵 
千の蔵前の街道 - 志波宿に向って撮影
千の蔵前の街道 - 志波宿に向って撮影 
店の軒下の杉ぼて
店の軒下の杉ぼて 
千の蔵向かいの商家の軒下
千の蔵向かいの商家の軒下 
千の蔵向かいの商家
千の蔵向かいの商家 

「千の蔵」は、「国菊」ブランドの酒蔵である。 ホームページによれば江戸後期の創業とのこと。

このあたりでは、昔ながらの商家の家並みが見られる。 街道はここからこの先の盛文堂書店前までは、緩やかな上り坂である。


舒翠館(じょすいかん) 標高:33.2m MAP  4km以内の寺院検索

  • 舒翠館
    舒翠館 
  • 舒翠館向いの民家の庭の松 - 甘木宿に向って撮影
    舒翠館向いの民家の庭の松 - 甘木宿に向って撮影 

案内板の内容を下に記す。

舒翠館は、明治18年1885の建造物で、 甘木・朝倉地方では最も古い建造物である。

明治24年海軍拡張問題によって議会は解散し、 政府は支持の吏党(与党)を当選させるため、 民党(野党)に対し選挙妨害を始めた。 この舒翠館でも明治25年2月1日約2,700名からの群衆を集めた演説会に、 吏党が妨害を加えた為、双方大乱闘となり多数の負傷者を出した(選挙干渉乱闘事件)。 この事件は県議会で問題となり、ついには内務大臣が失脚することとなった。

舒翠館の建物は、現在は比良松公民館として利用されているようである。

舒翠館の向いの民家の庭には樹高20m近い松の一種と思われる高木がある。 この松が『拾遺』に記されているものかどうかは未確認。 後にYahoo知恵袋でこの木を質問すると(ツガ)(マツ科ツガ属)の木とのこと。 普通の松とは従兄弟ほどの関係か? この推測はどうやらハズレのようである。


盛文堂書店 標高:34m MAP  4km以内の寺院検索

路地奥にあるお堂
路地奥にあるお堂 
盛文堂書店前の街道
盛文堂書店前の街道 
盛文堂書店より少し手前の街道 - 志波宿に向って撮影
盛文堂書店より少し手前の街道 - 志波宿に向って撮影 

ここまで緩やかな登りの街道は下りとなり、右に少しカーブする。 書店向いに路地の入口があり、狭い路地を20mほど進むとお堂がある。 お堂に何が祀られているかは未確認。


厳嶋神社前 標高:34.5m MAP  4km以内の寺院検索

鳥居
鳥居 
境内の猿田彦大神
境内の猿田彦大神 
本殿
本殿 
街道(左手先に厳島神社、右手は圓誠寺)
街道(左手先に厳島神社、右手は圓誠寺) 

鳥居に文政13年1830の銘、その脇の石灯籠に弘化3年1846の銘。

案内板の内容を下に記す。

斉明天皇6年660、朝鮮半島の百済が唐と新羅の連合軍に破れ、 日本朝廷に救援を求めてきたので、 翌7年661天皇は御西下し、 筑紫の国「朝倉橘広庭宮[1]」に入られ、 遠征の軍備を進められた。 天皇遠征軍の海上安穏と武運長久の祈願のため、 中大兄皇子(後の天智天皇)に命じ、創建されたのが厳島神社である。 祭礼は10月26日に行われる。

境内には愛宕神社、屋須多神、恵比寿神社を祀り, 特に愛宕神社の4月4日の春祭(馬市)では、子供相撲の奉納などあり、 多くの人々で賑わっている。

厳嶋神社の街道を挟んだ向い側には、平松山 圓誠寺(日蓮宗)が伽藍を構えている。


恵蘇八幡宮 標高:29m MAP  4km以内の寺院検索

鳥居
鳥居 
門前の街道 - 志波宿に向って撮影
門前の街道 - 志波宿に向って撮影 
大楠
大楠 
本殿
本殿 
えそ宿・八幡宮の図
えそ宿・八幡宮の図
『筑前名所図会』
えそ宿・八幡宮の図(御旅所、「御旅所ハ恵蘇の宿に西の大楠の下にあり」)
えそ宿・八幡宮の図(御旅所、「御旅所ハ恵蘇の宿に西の大楠の下にあり」)
『筑前名所図会』

門前の街道(国道386号線)は、片側一車線で狭く左に大きくカーブしている。 その上、交通量がすごい。 すぐ南側には水神社が鎮座しているが、ここから水神社へ道路を渡るにはかなり恐怖感を覚える。

鳥居脇の案内板の内容を抜粋する。

恵蘇八幡宮の由来

昔、郡中33ヶ村(上座郡)の総社として栄え、 現在は朝倉町の総社となっている。 応神天皇、斉明天皇、天智天皇を祭神として祀り、 毎年10月15日に御神幸が行われている。

由緒によると、斉明天皇は661年、百済国救援のため筑紫の朝倉橘広庭宮(朝倉町大字須川)に下られた。 この時随行の中大兄皇子(後の天智天皇)は国家安奉と戦勝祈願のため、 宇佐神宮(大分県)に奉弊使を遣わされた。 使の一行は恵蘇山麓に達した時、 天上から白幡が降り、 幡に八幡大神の文字が浮かび出たことから、 天降八幡なる宮社が創建された。 その後、天武天皇白鳳元年673に斉明天皇・天智天皇を合祀し、 この頃社名を恵蘇八幡宮にさだめたといわれている。

現在の本殿は安永元年17729月の改築である。

裏山は「木の丸公園」となっており、そこでは木の丸殿などの遺跡などを見ながら散策ができる。


水神社 標高:30.5m MAP  4km以内の寺院検索

本殿脇の大楠
本殿脇の大楠 
鳥居(天保4年銘)
鳥居(天保4年銘) 
山田井堰
山田井堰 
山田井堰
山田井堰 
門前の街道 - 志波宿に向って撮影
門前の街道 - 志波宿に向って撮影 
本殿
本殿 

境内東・南側は筑後川である。 境内からは山田井堰を眼下に見渡すことができる。 絶景である。 境内には、胸高周囲8.2m・樹高21mの大楠もみられる。