二日市宿(ふつかいち)[日田街道福岡城路] 旧:筑前国御笠郡二日市村 現:筑紫野市二日市FUTSUKAITI STATION

概要

  • 二日市宿概略図(筑紫野市歴史博物館 『日田街道 - その歴史と美-展』より引用)
    二日市宿概略図(筑紫野市歴史博物館 『日田街道 - その歴史と美-展』より引用) 
  • 昭和32年撮影の航空写真(筑紫野市歴史博物館 『日田街道 - その歴史と美-展』より引用) - 北に向って撮影されているようである。
    昭和32年撮影の航空写真(筑紫野市歴史博物館 『日田街道 - その歴史と美-展』より引用) - 北に向って撮影されているようである。 

二日市宿の周辺の宿駅は、福岡城下博多、長崎街道山家宿原田宿宰府である。 福岡・博多の人々は陸路で長崎方面へは、 二日市宿を経由して、山家宿あるいは原田宿より長崎へ下った。 また、天領日田方面から甘木宿経由で福岡・博多への往来も多かったのではなかろうか? 宰府は二日市宿より至近距離の為、ここに立ち寄った旅人は宰府詣もしたのではなかろうか? このように、江戸期は国中の交通の要衝のひとつであったと思われる。

筑前國続風土記拾遺』巻之17 御笠郡 三に下記の記事がみられる。

二日市村名義本編に出たり。

民居は1所に町をなせり。外に野添に作出1戸有 宿驛にして國君の行館あり。 2水は武蔵村よりいで1水は紫村より来る。 各村下似て1にあふ。 此下流本編に載たる白川なり。 近邉宰府村の境内に垣内といふ圃あり。 昔檜垣嫗か住し屋敷址といふ。 又村の東8町はかり田野際に大岩3あり。 鯰石といふ。 里人傳説あれといたつかはしけれはもらしぬ。 又沓石池田といふもあり。 白川は名所なり。 後撰并に檜垣集に歌あり。(後略)

ここでは、東構口から、次の甘木宿までの街道について記述する。 宿場内の各ポイントの情報は『日田街道 - その歴史と美-展』による。 宿場内は前コースGoogle Street Viewが可能です。 こちらもお楽しみください。

Links

二日市中央通り商店街 二日市の歴史に昭和初期の二日市の町の写真が多数掲載されています。

ルート

東構口(推定地) → 正行寺前 → 下町の恵比寿 → ゑびす醤油 → 大賀酒造場 → 御茶屋・郡屋跡 → 札の辻(二日市八幡宮) → 西構口(推定地) → 六地蔵 → 松尾神社 → 地蔵菩薩 → えびす像 → 地禄神社 → 郡境石 → 間方橋(山家川) → 朝日の恵比寿像1 → 朝日の恵比寿像2 → 古市彦太夫の墓 → 石櫃・薩摩街道追分 → 當所神社 → 多田家住宅 → 甘木宿

東構口(推定地) 標高:31.8m MAP  4km以内の寺院検索

東構口付近(手前の橋は迎田橋)
東構口付近(手前の橋は迎田橋) 
迎田橋手前の庚申塔
迎田橋手前の庚申塔 
迎田橋・橋口橋の記念碑(明治14年銘)
迎田橋・橋口橋の記念碑(明治14年銘) 
迎田橋 - 構口を背にして撮影
迎田橋 - 構口を背にして撮影 

関屋から南下してきた街道はここで、鷺田川に架かる迎田橋を渡る。 この地は宿場の西側を流れる鷺田川と東側を流れる高尾川が合流する地点である。 迎田橋を渡ったあたりが東構口があったと推定される場所という。 現在は構口の遺構はなにも存在しない。

迎田橋の手前には、庚申塔と明治14年銘の橋の記念碑がある。


正行寺前 標高:31m MAP  4km以内の寺院検索

  • 正行寺前の街道(右手が正行寺の山門) - 甘木宿に向って撮影
    正行寺前の街道(右手が正行寺の山門) - 甘木宿に向って撮影 

正行寺は竹原山と号し、浄土真宗東本願寺派の寺院である。 境内には三重塔がある。 この地区一番の広い寺域の寺院である。


下町の恵比寿 標高:31.5m MAP  4km以内の寺院検索

恵比寿像
恵比寿像 
恵比寿像全景
恵比寿像全景 
恵比寿像上部の飾り
恵比寿像上部の飾り 

恵比寿神社は正行寺の寺域のすぐ南側に鎮座している。 建物内には、自然石に恵比寿像が線画で描かれているようである。 写真で輪郭がはっきりしているのは、塗料でその線をなぞっている為のようである。 恵比寿像の上部には色鮮やかな飾りが下げられている。 (表の扉が閉ざされており、扉の格子越しに撮影のため、写真が少しぼやけている。)

この向かい側には町茶屋があったという。 『日田街道-その歴史と美-展』によれば、 「天明8年1788正月、二日市宿御茶屋奉行の寺田正左衛門が大賀善兵衛の屋敷の半分を買い上げ、 二日市宿の町茶屋にした」との記事がある。


ゑびす醤油 標高:33.3m MAP  4km以内の寺院検索

ゑびす醤油前の街道(突き当りを90度左にカーブする)
ゑびす醤油前の街道(突き当りを90度左にカーブする) 
全景
全景 
看板
看板 

ここまで一直線に進んできた宿場内の街道は、このゑびす醤油の先で左に直角にカーブする。 さらにその先の大賀酒造場の入口を右に直角にカーブする。 これを鉤の手あるいは枡形という。 攻めてくる敵の視界を遮り、直線的な侵入を防ぐ目的の構造である。

ゑびす醤油はホームページによれば、明治10年1877創業で、 現社長は四代目という。 看板が色鮮やかでなかなか良い。


大賀酒造場 標高:32m MAP  4km以内の寺院検索

酒造場全景 - ゑびす醤油前から撮影
酒造場全景 - ゑびす醤油前から撮影 
酒造場の店舗入口 - 甘木宿を背にして撮影
酒造場の店舗入口 - 甘木宿を背にして撮影 
中町の宿場の町並 - 大賀酒造場店舗入口を背に甘木宿に向って撮影
中町の宿場の町並 - 大賀酒造場店舗入口を背に甘木宿に向って撮影 

『日田街道-その歴史と美-展)』によれば、 「二日市村大庄屋、同庄屋を務めた。酒造業は大賀仁四郎が延宝元年1673に始めたと伝えられる。」 との記事がある。

宿場内の街道は、ここまでが「下町」。 ここからは「中町」である。 中町は所々に露店の花屋・魚の干物屋・漬物屋などが出て少し昔の風情を感じられる通りである。


御茶屋・郡屋跡 標高:32.9m MAP  4km以内の寺院検索

この西側の街道脇には郡屋、西側には御茶屋があったという。 現在はその遺構は皆無である。


札の辻(制札) 標高:32.8m MAP  4km以内の寺院検索

二日市八幡宮神木
二日市八幡宮神木 
札の辻(右手は二日市八幡宮の参道口)
札の辻(右手は二日市八幡宮の参道口) 
二日市八幡宮拝殿
二日市八幡宮拝殿 
二日市八幡宮鳥居(鳥居の左脇の道の先に湯町がある)
二日市八幡宮鳥居(鳥居の左脇の道の先に湯町がある) 

昔はこの辻の先は行き止まりで、そこには御茶屋奉行役宅があったと推定されている。 街道はここで左に直角にカーブ。 西構口に向かう。

街道脇には、二日市八幡宮への参道口がある。 八幡宮の鳥居脇の道は、 湯町(二日市温泉)に通ずる道である。 八幡宮の社殿は藩主黒田忠之の建立という。

ここの神木のイチョウの木は筑紫野市指定文化財となっており、 下のような言い伝えがあるという。 境内の案内板の内容を下に記す。

天正14年1586島津義久の率いる薩摩勢は高橋紹雲が守る岩屋城を攻め落とし、 その帰りにこの公孫樹(いちょう)を伐り倒そうとしました。 このとき長百姓(おとなひゃくしょう)惣左衛門の妻とやまだ家の老婆が駆けつけ、 老婆が「これは当所の氏神八幡宮の神木なり、 たちまち御罰を蒙るべし」といい、 そのまま木に抱きつき「この木を伐り申さば先ずこの姥を伐り、それよりこの木を伐り候え」 と言い放ったところ、伐り倒そうとした者たちは、 その勢いに怖れたのか、 斧を棄てて立ち去ったといわれています。

別の案内板によれば、この老婆は御年80歳であったという。


西構口(推定地) 標高:32.8m MAP  4km以内の寺院検索

  • 西構口 - 甘木宿に向って撮影
    西構口 - 甘木宿に向って撮影 
  • 西構口 - 宿場内に向って撮影
    西構口 - 宿場内に向って撮影 

右写真のように構口の遺構は何も無い。


六地蔵 標高:38.5m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
六地蔵前の街道 - 甘木宿に向って撮影
六地蔵前の街道 - 甘木宿に向って撮影 

街道はここまでは少し上り坂である。

六地蔵境内には、六地蔵、大師堂、地蔵堂がある。 石段脇にはクスの大木がみられる。


松尾神社 標高:44.1m MAP  4km以内の寺院検索

拝殿
拝殿 
門前の街道 - 甘木宿に向って撮影
門前の街道 - 甘木宿に向って撮影 
梵字石
梵字石 
えびす像
えびす像 
庚申尊天
庚申尊天 
小堂
小堂 
庚申尊天
庚申尊天 

『筑前國続風土記拾遺』巻之18 御笠郡 四 石崎村の項に下の記事が見られる。

松尾社

村内にあり。 大山咋命を祭る。 祭禮9月15日奉祀ハ修験者竈門山派泰養院なり。

境内では拝殿・本殿の他、えびす像・梵字石・庚申尊天・小堂などが見られる。

境内は地元の方々のゲートボールの練習場にも利用されているようである。


地蔵菩薩 標高:50.1m MAP  4km以内の寺院検索

地蔵菩薩
地蔵菩薩 
地蔵菩薩前の街道(右手が地蔵菩薩) - 甘木宿に向って撮影
地蔵菩薩前の街道(右手が地蔵菩薩) - 甘木宿に向って撮影 

街道右手に鎮座。


えびす像 標高:49.3m MAP  4km以内の寺院検索

えびす像
えびす像 
えびす像前の街道(左手がえびす像) - 甘木宿に向って撮影
えびす像前の街道(左手がえびす像) - 甘木宿に向って撮影 

民家の敷地に鎮座している。


地禄神社 標高:49.9m MAP  4km以内の寺院検索

参道口
参道口 
門前の街道 - 甘木宿に向って撮影
門前の街道 - 甘木宿に向って撮影 
参道
参道 
参道脇のネコちゃん
参道脇のネコちゃん 

『筑前國続風土記拾遺』巻之18 御笠郡 四 天山村の項に下の記事が見られる。

地禄天神社

鞭掛にあり。 此所の産神也。 所祭埴安命也。 祭日9月26日奉祀ハ原田村の社人山()氏也。 鞭掛ハ山家また上座下座夜須郡などより福岡博多に至る要衝なり。

参道は幅2m足らずか? かなり狭い。 民家脇の参道の先にさらに両脇を林に囲まれた参道が続いている。 ヘビ嫌いな作者は本殿まで行く事を断念。 またお参りに行こう。

参道脇にネコちゃんが居ました。


郡境石 標高:45.8m MAP  4km以内の寺院検索

  • 郡境石
    郡境石 

「是従西御笠郡、東夜須郡」。


間方橋(山家川) 標高:30.3m MAP  4km以内の寺院検索

間方橋 - 甘木宿に向って撮影
間方橋 - 甘木宿に向って撮影 
上流の風景
上流の風景 
孝子弥四郎の墓
孝子弥四郎の墓 

街道は一直線に甘木宿に向って進む。 周辺はのどかな田園地帯である。

橋の手前の道路脇電柱の横に「孝子弥四郎君の墓」(明治31年銘)がボツんと立っている。 墓碑が風化され「弥四郎」の「弥」の字に確証はないがほぼ間違いない。

この橋の手前の山家川の川沿いの道を南下すると朝日薬師堂があり境内に墓碑と石碑がある。 この地点から南方約1500mの地点の教覚寺に「孝子弥四郎翁遺髪塚」がある。


朝日の恵比寿像1 標高:34.8m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
猿田彦石碑(左)と恵比寿像(右)
猿田彦石碑(左)と恵比寿像(右) 
孝子彌四郎の墓への道標
孝子彌四郎の墓への道標 

境内には、猿田彦石碑・恵比寿像が並んで安置されている。 そのすぐ甘木宿側の道端には孝子彌四郎の墓への道標が立てられている。 「従是南9丁30間」。この道標の示すであろう位置に朝日薬師堂があり境内に墓碑と石碑がある。

この地から南2000m程の所にある福王山 教覚寺には「孝子彌四郎翁遺髪塚」がある。

『筑前國続風土記拾遺』巻之19 夜須郡 上 朝日村の項に下記の記事がみられる。

此村に孝子有。 名を弥四郎といふ。 文政3年1820持来の田畠3段3畝生涯無年貢并に家内面役を除けられ殊に一人役は永年宥免せらるゝ由の命を受。


朝日の恵比寿像2 標高:34.7m MAP  4km以内の寺院検索

猿田彦石碑(左)と恵比寿像(右)
猿田彦石碑(左)と恵比寿像(右) 
西側の薬師堂
西側の薬師堂 
前の街道 - 甘木宿に向って撮影
前の街道 - 甘木宿に向って撮影 

境内には猿田彦石碑と恵比寿像と、その西側には薬師堂がある。 薬師堂には、薬師如来石像と弘法大師石像が安置されている。 ここの猿田彦石碑と恵比寿像と上の朝日の恵比寿像1とは、外見上共通点が多い。 なぜこのような至近距離に二組が置かれているのか不思議である。

これとよく似たえびす像は、二日市宿内の下町の恵比寿長崎街道山家宿内の2つの恵比寿像、 それとその山家宿の西構口を出た所の恵比寿像を作者は確認している。 いずれも、同じ石工の作ではないだろうか?


古市彦太夫の墓 標高:34.2m MAP  4km以内の寺院検索

全景
全景 
石塔(「元禄」の銘が読み取れる)
石塔(「元禄」の銘が読み取れる) 
梵字石
梵字石 
石の覆屋に安置された石塔
石の覆屋に安置された石塔 
お堂
お堂 
石塔
石塔 
前の街道 - 甘木宿に向って撮影
前の街道 - 甘木宿に向って撮影 

街道脇は広場となっており、南側の一角に大小あわせて5基の石塔が立っている。 またコンクリート製の小堂があり、その小堂中には石仏2体が安置されている。 このうち、彦太夫の墓はどれなのかは作者は分からない。 境内の案内板の内容を下に記す。かなり長文であるがこの中牟田地区の当時の様子を垣間見ることができる。

古市彦太夫の墓

中牟田は朝日村から分かれた村で、 村の形成と発展は用水確保の歴史でもありました。 室町時代の応永11年1401、この地にやって来た税田小四郎(さいたこしろう)は上流の御笠郡山家村に若宮井手(わかみやいで)を築き、山家川から水を引いたと云います。 その後、天正年間1573-1592、「井手」は改修されています。 また、豊臣秀吉は朝鮮出兵のため、この村に「御蔵屋敷(みくらやしき)」を建て、兵糧米の備蓄をさせています。

江戸時代になって、村は福岡の黒田藩に属し、 宮崎藤右衛門(織部)という人が治めていました。 寛永18年1641、秋月藩でお家騒動が起こり、 福岡の黒田藩から藤右衛門を家老として迎え入れました。 その時藤右衛門の領地を動かさずに入国させたため、 中牟田村は秋月藩に編入(内証換え)されることになりました。

この宮崎家に古市彦太夫という家臣がいました。 彦太夫は村人たちが農業用水に苦労していることを知り、「若宮井手(わかみやいで)」をかさ上げして水量を増やし、下流の中牟田の下原(しもばる)まで水が届くよう大改修を計画しました。 彦太夫は「島原の乱」1637-1638で足を負傷していましたが、 輿(こし)に乗って工事を指揮し、無事完成させました。

万治2年1659、彦太夫は亡くなり、 水の配分をめぐってたびたび争いが繰り返されました。 そこで、水は「明六ツ(朝6時)から暮六ツ(夕方6時)までは山家村」、 「暮六ツ(夕方6時)から明六ツ(朝6時)までは中牟田村」が取水することを文書で改めて取り交わしました。

彦太夫の墓は街道沿いの「地輪(じりん)なみ」という所にありましたが、 平成5年度の県営ほ場整備事業に伴って、 北東約100メートルの現在地に移築されました。 彦太夫は村の恩人として、今でも「古市(ふるいち)さん」と親しみをこめて呼ばれ、 人々の生活を見守り続けています。(後略)

平成23年3月25日 筑前町教育委員会


石櫃・薩摩街道追分 標高:32.7m MAP  4km以内の寺院検索

この地点の説明は、薩摩街道追分の項を参照のこと。


當所神社(當所・熊野神社) 標高:41.6m MAP  4km以内の寺院検索

本殿
本殿 
本殿内
本殿内 
街道脇の地蔵堂
街道脇の地蔵堂 
前の街道 - 甘木宿に向って撮影
前の街道 - 甘木宿に向って撮影 

街道から神社境内へは坂道を10数m登った所にある。 表参道は、街道裏手(南側)となっている。 街道を挟んだ北側には大きな池がある。

『筑前國続風土記附録』巻之15 夜須郡 下 當所村の項に 「熊野権現社カンダバシ 神殿5尺四方・拝殿2間2間半 祭礼11月13日・奉祀高野出羽(以下略)」とある。

本殿前に置いてあったチラシ(表題「当所神社の歴史」)によれば次の通りである。 この村は秋月より2里、甘木より1里半。街道に面した絶好の休憩の場であった。 村内には鍛冶屋・桶屋・笠屋・飴屋・うどん屋・豆腐屋などがあり、 集落全体で一つの経済圏を確立した活気に満ちた村であったという。 また、当神社は「宝くじ祈願」の神社としても良く知られている。

この先街道は次の甘木宿に向かう。


多田家住宅 標高:43.2m MAP  4km以内の寺院検索

多田家住宅表門 文化遺産オンラインによれば、 表門は登録文化財であるという。築年明治24年1891。木造、瓦葺、間口2.9m、潜戸付。

この先街道は次の甘木宿に向かう。