坂梨宿(さかなし)[豊後街道] 旧:熊本藩領坂梨村 現:阿蘇市一の宮町坂梨SAKANASHI STATION

概要

民家前の灯籠
民家前の灯籠 
天神橋 - 下流より撮影
天神橋 - 下流より撮影 
「坂梨宿場街道散策図」 - 札の辻(坂梨公民館)の案内板より引用
「坂梨宿場街道散策図」 - 札の辻(坂梨公民館)の案内板より引用 

坂梨宿の成立過程などの詳細は未検討。整理でき次第追記します。

坂梨宿内には御茶屋をはじめ、旅人宿、酒造業、娯楽、雑貨、問屋、薬屋、医者、諸請けなど屋号持ちの店が軒を連ね大変な賑わいであったといわれている。

旅人の往来もさかんで、その中には日本初の実測地図を作成した伊能忠敬、勤王の志士高山彦九郎、儒教で詩人の頼山陽、藩校時習館教授高本紫溟など多くの文人も訪れ歌や漢詩を残している。(以上 札の辻(坂梨公民館)の案内板より)

ここでは、坂梨宿の坂梨手永会所跡から次の久住宿の手前までのルートについて記す。

参考

宮地~坂梨~久住【阿蘇】豊後街道 宿場町 坂梨(さかなし):肥後国 くまもとの歴史

ルート

坂梨手永会所跡→天神橋(めがね橋)→浄行寺→札の辻→御茶屋入口→木喰上人作子安観音→追分→番所跡→浄土寺観音堂参道口→13里木跡→「参勤交代道跡」道標→ヘキ谷の道標→水恩碑→大師堂→米賀の滝→光照寺→久住宿

坂梨手永会所跡 標高:539.6mMAP  4km以内の寺院検索

手永会所跡の道標
手永会所跡の道標 
手永会所前の豊後街道(右手の生け垣の裏に道標がある) - 久住宿に向って撮影
手永会所前の豊後街道(右手の生け垣の裏に道標がある) - 久住宿に向って撮影 

坂梨手永会所は12村(坂梨、北坂梨、野中、三ケ村、手野、尾籠、下原、中原、井手、宮地、塩塚、四分一)、小村67か村を管轄していた。坂梨には惣庄屋が置かれ、各村に庄屋が配置されていた。([404]坂梨宿史跡案内より)

当地には、街道沿いに道標があるのみで、昔の遺構は未確認。


天神橋(めがね橋) 標高:539.3mMAP  4km以内の寺院検索

天神橋を渡る街道 - 久住宿に向って撮影
天神橋を渡る街道 - 久住宿に向って撮影 
天神橋のたもと「弘化四丁未・・・」銘
天神橋のたもと「弘化四丁未・・・」銘 
端の脇の天満宮
端の脇の天満宮 
「秋場山大権現」(文政ニ年銘) - 天満宮境内
「秋場山大権現」(文政ニ年銘) - 天満宮境内 

橋のたもとに「弘化四丁未吉辰1847八代郡種山手永 棟梁 石工卯助」と刻まれている。

天神橋の工事はあしかけ3年を要し、約100個の石が使われている。(案内板より)

天神橋を渡った左手には天満宮が鎮座している。


浄行寺 標高:542.5mMAP  4km以内の寺院検索

本堂
本堂 

浄行寺は洸倫山と号し、真宗大谷派の寺院である。慶長7年1602浄圓により開基された。

現在は正門は東側のようだが、街道沿い(北側)にも門がある。


札の辻 標高:543mMAP  4km以内の寺院検索

坂梨公民館
坂梨公民館 
札の辻の先の商家
札の辻の先の商家 
札の辻の先の街道- 久住宿に向って撮影
札の辻の先の街道- 久住宿に向って撮影 

ここには坂梨公民館があり、街道沿いには、街道案内図・宿場の歴史などが記された案内板が設置されている。また、木製の門のようなものも設置されている。(写真を撮りそこねました。)

この場所を「札の辻」としたのは、案内板の文脈から作者が推定した。

ここから先しばらくは古い町並みがみられる。


御茶屋入口 標高:544.3mMAP  4km以内の寺院検索

御茶屋はここから北側に80mほど行った所にある。

現在の建物は明治2年に改築されたもの。 肥後国史には「お茶屋番の市原氏の先祖は高城主坂梨右衛門惟祐」とある。 市原家は加藤藩時代は大庄屋、細川藩では御惣庄屋をつとめた。現在は個人宅となっており公開はされていない。 ([404]坂梨宿史跡案内より)


木喰上人作子安観音 標高:545.1mMAP  4km以内の寺院検索

子安観音像
子安観音像 
参道口の豊後街道(観音堂は左手。赤丸の地点が微妙に蛇行している。枡形構造の道という) - 久住宿に向って撮影
参道口の豊後街道(観音堂は左手。赤丸の地点が微妙に蛇行している。枡形構造の道という) - 久住宿に向って撮影 

観音堂に祀られている等身大の観音像は寛政年間1789-1801木喰上人が坂梨を訪れた際、子宝に恵まれなかったこの地の豪商虎屋の夫人の頼みを受け、上人が彫ったもの。

ここから少し東側の街道は枡形構造の道である。([404]坂梨宿史跡案内より)

詳しくは木喰上人作子安観音のページをご覧下さい。


追分 標高:546.8mMAP  4km以内の寺院検索

ここから東に進む道は日尾峠を越えて高森へ、箱石峠を越えて野尻(高千穂、日向方面)へ通じる日向往還(野尻往還)の起点である。([404]坂梨宿史跡案内より)


番所跡 標高:555.5mMAP  4km以内の寺院検索

石碑(3基供平成18年銘)
石碑(3基供平成18年銘) 
石塔・石祠
石塔・石祠 
石塔拡大(中央の石塔に「秋葉山大権現 文政八」銘)
石塔拡大(中央の石塔に「秋葉山大権現 文政八」銘) 

ここには、3基の石碑と、石祠・石塔などがみられる。 3基の石碑の概要は下記の通りである。

高山彦九郎宿泊の地」(寛政4年17927月25日から27日まで当宿場に滞在。歌を詠んでいる。)

伊能忠敬宿泊の地」(文化7年181012月16日・文化9年18126月24日の二度当宿場に滞在。)

勝海舟と坂本龍馬が行く」(長崎に行べく文久4年18642月19日に当宿場を通過して、帰路も同年4月8日通過。)

当宿場は女性の出入りには特に厳しく、ここには女改(おんなあらため)の部屋があったと伝えられている。(札の辻の案内板より)


浄土寺観音堂参道口 標高:555.7mMAP  4km以内の寺院検索

観音堂
観音堂 
街道沿いの道標
街道沿いの道標 

浄土寺は鳳翔山と号し、曹洞宗の寺院であった。

平成24年2012 7月12日未明から早朝、土石流が集落を襲い、住人ら6人が亡くなり、寺も流された(九州北部豪雨)。 災害発生11日後、寺に祀られていた観世音菩薩(像高125cm)、十一面観音(像高55cm)が土砂の中から掘り出されその後本尊の全3体が見つかった。令和元年20198月、犠牲者の遺族達によって観音堂が再建された。


13里木跡 標高:557.6mMAP  4km以内の寺院検索

道標
道標 

街道は、ここで県道57号線に合流する。

街道脇の道標以外は昔の遺構は確認できない。


「参勤交代道跡」道標 標高:566mMAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為未稿。


ヘキ谷の道標 標高:677mMAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


水恩碑 標高:671.5mMAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


大師堂 標高:489.3mMAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


米賀の滝 標高:480.1mMAP  4km以内の寺院検索

未踏査の為、未稿。


光照寺 標高:527.9mMAP  4km以内の寺院検索

光照寺は慈明山と号し真宗大谷派の寺院である。