猪膝宿(いのひざ)[秋月街道] 旧:豊前国田川郡猪膝村 現:田川市猪国INOHIZA STATION

概要

  • 境内から眺める宿場(前方が北構口) - 安養寺境内から撮影
    境内から眺める宿場(前方が北構口) - 安養寺境内から撮影 
  • 猪膝宿の図(江戸時代) - 南構口の案内板より引用
    猪膝宿の図(江戸時代) - 南構口の案内板より引用 

ここでは、猪膝宿から次の大隈宿までのルートを記載する。 南構口にある案内板の内容を下に記す。

猪膝宿は香春から筑前大隈を過ぎ、八丁峠を越えて秋月に至る、通称「猪膝街道」の宿場町でした。

天正6年1587のころ、中村国武という人が香春〜大隈の間に宿場がなく、通行人が困っているのを見て、猪膝に宿駅(宿場の宿)をつくり、通行人の苦労を助けました。中村国武という人は、南北朝の時代1336-1392に金国山城の城主となられた菊池武盛という方の10代目の子孫です。詳しいことは、この公園内の石碑に書いてあります。

猪膝は豊前国・筑前国の国境にあり、小倉藩にとって重要なところでした。このため、藩は猪膝宿の整備をはかり、本陣(大名・幕府役人・藩役人などが宿泊した藩公認の宿舎)をつくりました。町の中央部にある密厳寺の近くが本陣跡といわれています。参勤交代のとき、薩摩藩・熊本藩・柳川藩・久留米藩・佐賀藩などの大名が宿泊・休憩・馬継などに本陣を利用しました。

猪膝宿の町並みは「北の構口(かまえぐち)」から「南の構口」までおよそ850mありました。「北の構口」は「御旅所(おんたびしょ)」のすぐ近くにあります。「南の構口」は「大刀洗(たちあらい)の井戸」のところで、構口の一部がのこっています。

この宿場町には旅籠屋(はたごや)が数軒あり、造酒屋・造醤油屋・両替屋・小間物屋・米屋・魚市場・こうじ屋・菓子屋・桶屋・畳屋・鍛冶屋・鋳掛屋(いかけや)・屋根師・紺屋(こうや)(染物屋)・髪結(かみゆい)などがありたいそう賑わっていました。

町の中央部に藩主巡検のとき、藩主が休憩のために出入りするときだけに使われた「御成門(おなりもん)」がのこっています。

作成日 2014年10月 中村一族の会

参考:田川後藤寺~猪膝宿~大隈峠~大隈宿~千手宿~八丁峠~秋月宿

ルート

北構口→道標「從是南筑前八丁越」→キクスイ醤油→密嚴寺門前→義井塾跡石碑→安養寺門前→南構口(大刀洗の井戸)→白鳥神社→安養寺→ 以下未稿 →大隈宿

北構口 標高:55.7mMAP  4km以内の寺院検索

北構口 - 宿場内に向って撮影
北構口 - 宿場内に向って撮影 

南構口の案内板に「北の構口は御旅所(おんたびしょ)のすぐ近くにあります。」と記載されているが、 その御旅所が確認できていない。 とりあえず、この場所を「北構口」と仮定しよう。

この付近には構口の遺構は確認できない。


道標「從是南筑前八丁越」 標高:56.6mMAP  4km以内の寺院検索

道標(拡大)
道標(拡大) 
道標
道標 
道標前の街道 - 南構口に向って撮影
道標前の街道 - 南構口に向って撮影 

街道左手に大きな石灯籠があり、その脇に近年建てられたと思しき御影石製の道標がある。

西面「從是 東中津道」。北面「從是 南 筑前八丁越」。南面「從是 北小倉道」。


キクスイ醤油 標高:57.2mMAP  4km以内の寺院検索

幟
幟 
醤油店前の街道 - 南構口に向って撮影
醤油店前の街道 - 南構口に向って撮影  
キクスイ醤油店
キクスイ醤油店 
醤油店脇の蛭子社
醤油店脇の蛭子社 

どっしりとした造りの建物である。 脇には蛭子社が鎮座している。


密嚴寺門前 標高:62.3mMAP  4km以内の寺院検索

密嚴寺門前の街道(左手が密嚴寺) - 南構口に向って撮影
密嚴寺門前の街道(左手が密嚴寺) - 南構口に向って撮影  
国境石?
国境石? 
国境石(拡大)
国境石(拡大) 

密嚴寺は真宗大谷派の寺院である。 南構口にある案内板によれば、この付近に本陣があったという。

寺から街道を挟んで斜め対面の民家の庭に巨大な石を発見。 外からはその上部しか見えないが「從是西...」と読める。 豊前と筑前の間の国境石ではなかろうか? されば石には「從是西筑前國」と刻まれているはずである。 豊前と筑前の国境はまだ南2kmほど下った所である。そこにあったものを移動してきたのではなかろうか?


義井塾跡石碑 標高:60.8mMAP  4km以内の寺院検索

石碑
石碑 
石碑前の街道 - 南構口に向って撮影
石碑前の街道 - 南構口に向って撮影 

石碑は真新しいものである(裏面に平成13年4月銘)。

上の参考サイトによれば、猪膝村生まれで、医学及び儒学を学んだ伊藤浚明が開いた私塾の跡。浚明は秋月藩の儒者吉田平陽から儒学を、豊後の帆足万里、肥後の村井蕉雪からは医学を学び、天保9年1838に猪膝において開業医となり、同時に子弟の教育に当たるようになり、その塾を義井堂と呼んだという。


安養寺門前 標高:61.4mMAP  4km以内の寺院検索

境内から眺める宿場 - 前方が北構口
境内から眺める宿場 - 前方が北構口 
門前の街道
門前の街道 
門前の街道 - 南構口に向って撮影
門前の街道 - 南構口に向って撮影 

安養寺は香雲山と号し曹洞宗の寺院である。

寺は高台にあり境内から宿場の風景を眺めることができる。


南構口(大刀洗の井戸) 標高:61.8mMAP  4km以内の寺院検索

大刀洗の井戸
大刀洗の井戸 
大刀洗の井戸内部
大刀洗の井戸内部 
南構口 - 大隈宿に向って撮影
南構口 - 大隈宿に向って撮影 
大刀洗の井戸脇の構口の石碑(石碑に向って左手の石垣が構口の遺構であろう。)
大刀洗の井戸脇の構口の石碑(石碑に向って左手の石垣が構口の遺構であろう。) 

井戸脇の案内板(平成5年5月 田川ライオンズクラブ建立)によれば、この井戸は昔日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地方の土賊・(いおり)を討伐したとき、この井戸で剣を洗ったとの伝説があり、旱魃(かんばつ)でも()れることのない霊水であるという。

案内板によれば、構口の石垣が残っていると記載されている。井戸に向って右手に年歴を経たしっかりとした石垣がある。 この事だろう。


白鳥神社 標高:63.7mMAP  4km以内の寺院検索

当社は古くは景行天皇由緒の地として帝王山に鎮座していた。 仁和3年887現在の地に移り、王大子宮と称していた。 元禄5年小倉藩主小笠原忠雄が鎮守大明神と改称れた。 明治4年1841白鳥神社と改められた。

神幸祭(5月2日、3日)楽打は江戸中期から伝承されている。 社殿の絵馬は、天保7年1836製作のものをはじめ、市内で最も多く所蔵されている。(以上 門前の案内板より)


安養寺 標高:40.9mMAP  4km以内の寺院検索

安養寺は曹洞宗の寺院である。